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第38話
社員食堂で戴智と東が食事をしていると、定食のトレーを持った村瀬が来た。
「ご無沙汰しております」
村瀬はトレーをテーブルに置くと、二人に丁寧な礼をした。
「その節はどうも…ご迷惑をおかけしました」
「いや、もういい。村瀬が真面目に頑張っていることは聞いている」
あれから村瀬は総務部に移動になった。心から反省していることは、仕事ぶりからうかがえる。
「実は先月、子供が産まれまして」
携帯電話の画像を見せる。淡いピンク色の可愛いベビードレスを着た写真は、一昨日撮ったばかりだという。
「もしもあのまま、会社を裏切り続けていれば、娘と妻の生活がどうなっていたかと…王永部長のおかげでクビが繋がりました。ありがとうございます」
戴智は嬉しそうに画像を眺める。自分と直接血が繋がった子供はできないが、一奈と璃子の子供を近い将来育てることになる。そうなると、やはり写真を撮ったりして、成長を楽しみにするのだろうか。そんな甘やかな期待が胸に広がる。
戴智としては、村瀬が逆恨みをすれば面倒なことになるため、解雇するより手元に置いて恩を着せた方がいいという考えだったが。今は自分の判断は正しかったと思う。結果的に村瀬と家族を、守ることができたのだから。
「村瀬のご両親も、きっと喜んでるんだろうな」
「ええ。うちの両親はもちろんのこと、妻の両親も喜んでくれましてね」
村瀬は目尻を下げる。
「義父が妻を目に入れても痛くないって感じで可愛がっていたせいか、僕たちの結婚には難色を示してたんですが、初孫ができて以来、すっかり変わっちゃって」
遊びに行くと大歓迎してくれて、写真をいっぱい撮ったりおもちゃを買ったり、酒が入れば“嫁には行かせるな”と村瀬に冗談混じりで言うようになったそうだ。
「孫一人で、こんなに変わるもんなんですね」
村瀬もいろいろあったが、今は幸せだ。戴智は今後、王永財閥を背負って社員を守らねばならない。次の代も、その次の代も、新たに変わった王永家が。
戴智の新居に、奈津子が来た。あらかじめ連絡をもらっていたので、東は一奈の家に移動してもらい、璃子に来てもらった。
奈津子お手製のマドレーヌと璃子の紅茶で、女性二人は団欒している。
そのうち奈津子が、持ってきたたとう紙の包みを広げる。
「これね、色は控えめだけど紫陽花と蝶の柄がきれいでしょう? 璃子さんにあげようと思って持ってきたのよぉ」
「きれい…! でもこれ、高級なお着物じゃないですか。本当にいいんですか?」
「いいのよ、私が着るにはもう派手だから。それに合う帯や帯締めもあげるわよ」
成人式ですらドレスで、めったに着物を着ない一奈は着物をもらってくれないので、奈津子はぜひ璃子に着てほしいと思った。
何度も礼を言う璃子に、奈津子は着物を羽織らせてあげる。
「璃子さん細めだけど、大丈夫そうね。仕立て直しがいるかと思ったけど」
璃子は襟を持って、全体を見下ろしている。奈津子が嫁入りのときに仕立ててもらった着物だが、きちんと手入れされていて新品同様だ。
「……」
璃子の手元を見て黙りこくった奈津子に、怪訝に思った璃子が問いかける。
「お義母様? どうされました?」
「あ、あら、ごめんなさい。何でもないわよ。そうだわ、せっかくだから今度、この着物に合いそうなバッグや草履を買いに行きましょうよ」
我にかえった奈津子は、戴智の方を見た。
「戴智もお休みの日がいいわね。来週の日曜日はいいかしら?」
「いや、俺は着物のことはわからないから…二人だけでどうぞ」
奈津子は憤慨する。
「まあ! あなたねぇ、自分の奥さんがおしゃれするんだから、ちょっとは見立ててあげるくらいはしなさいよ。この着物で会社のパーティーに行くのを考えなさいな。もっと見栄えよくしてあげたくならない?」
あまり断り過ぎても、怪しまれる。夫婦らしく、ある程度行動をともにしないといけない。
「わ、わかりましたよ。来週の日曜、僕が車を出しますから、デパートにでも行きましょうか」
何とか奈津子を納得させることができた。世話好きの奈津子だが、さすがに新婚家庭の邪魔をしないだろうし、昼前にデパートに出かけ、買い物をして食事をすれば終わりだろう。そう考えて、来週の日曜は奈津子に付き合ってやることにした。
その日の夜、ベッドに寝ころんで、戴智は奈津子が来たことを東に話した。
「偶然ですね。僕と一奈さんも、次の日曜日に僕の両親といっしょに食事に行きます」
普段は本来のカップル同士で過ごしているが、こうして両親と出かけることもある。今のところバレてはいないが、気疲れしてしまう。
「意外と仮面夫婦は疲れるもんだな」
「ええ。その分、普段は戴智さんとの時間を大切にしていますから」
「俺だって」
戴智は東の手を握った。
「東との時間が大事だ」
何の合図はなくても、お互い求め合う瞬間はわかる。それが番なのだ。
互いの唇が吸い寄せられる。
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