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第44話
翌朝、出勤した戴智は、朝のミーティングで退職――正直に、父親に解雇されたことを告げた。戴智が解雇されたと同時に、長期休暇扱いだった東も解雇された。理由は明らかにされず戴智も話さなかったが、王永家で何かがあったのだろうと誰もが推測する。だが、天下の王永一族の確執に、誰も触れることができない。
「本間、市川」
戴智は二人の社員を個室に呼んだ。
「新しい部長が来るまで、後のことは二人に引き継ぐ。科技協の窓口はわかるな? 何か連絡事項がある場合は――」
二人の社員に引き継ぎをしていると、総務からです、と二つの大判の封筒が届いた。
宛名は、戴智と東になっている。裏を返して送り主を見ると、社員全員が健康診断を受けた施設からだった。
(これは使える!)
戴智は東の方の封筒を、糊付け部分を真っ直ぐに切り落とした。メモに何やら書きこんで、それを診断結果とは別の、人間ドッグとがん検診の案内用紙の間に挟む。そして、封筒の折り返し部分を作り、糊付けする。実家の住所をパソコンで打ってプリントアウトし、封筒に貼りつける。それを総務部に持って行き、郵送を頼んだ。
仁英が封を開けるだろう。だが診断結果だけを確認したら、それ以上中を見ずに東に渡すはずだ。
几帳面な東のことだ、中身は全て確認するだろう。そうすれば、中の手紙を見るはずだ。
“盆休み明けの八月○日午前九時、王永総合病院に来い。父には「ヒート状態にならない」と言って外出を許可してもらい、受付で男性用産科のカルテを作れ。戴智”
盆休み明け、病院は混雑している。東は王永家の執事である曽根崎に付き添われて、王永総合病院に来た。外出は許可されないが、自身の体調不良や身内に何かあった場合などの緊急時には、さすがに例外が許される。
東は一階の受付で、カルテを作る。用紙に名前や住所を書き、オメガの男性専門の“産科(男性)”に丸をつけた。
行列に並ぶ。午前中に診察が終わるのだろうかと思われるほどの混雑だ。
曽根崎は、待合室のソファーで待っている。行列が長く手持ち無沙汰なせいか、曽根崎は壁に取りつけられたテレビを見上げた。
その瞬間を見計らったのか、行列に紛れた男がいた。キャップを目深に被り、長身を目立たなくさせるためにやや猫背になり、人の波に紛れこんだ。この行列なら、待合室のソファーからは、はっきりとは見えない。
男は東を見つけると、真横にぴったりと張りついた。
「戴智さん…」
小さな声を上げ、東はキャップの男を見た。
「診察が終わったら、男性用産科のある三階のトイレに来い。もし曽根崎がついて来るようなら、何とかして撒け」
戴智はそれだけ告げると、列から離れて行った。
曽根崎がついて来ることは想定内だった。戴智がこうして東とコンタクトを取るために盆休み明けを選んだのは、人混みに紛れて曽根崎の目をくらませるためだった。
ヒート状態にならないという仮病も、投薬などで人工的にコントロールできるようにされた東だから好都合だ。仁英の命令でそうさせたのだから、何か不具合があれば責任の一端は仁英にもある。怪しまれず簡単に通院を許されると、戴智は睨んだのだった。
診察室を出て、東はトイレに向かった。幸い、曽根崎は一階の待合室にいる。トイレに入ると、東の腕が取られた。一番奥、壁で仕切られた所がある。壁の向こうは用具入れの小さな物置と、清掃用の水道がある。その壁の向こうまで引っ張られた。東の腕を取った男――戴智はキャップを取り、東を抱きしめた。
「戴智さん…!」
東は戴智の背中に腕を回した。東の両頬が、震える手に包まれる。触れるだけのキスをして、戴智は東をじっと見つめた。
「久しぶりだな、東」
頬や唇の感触、匂い。東と離れて三ヶ月たつが、こんなにも懐かしいものになるとは。
「僕はずっと…毎日、あなたのことばかり考えていました…」
「俺もだ…元々は偽装結婚なんてしようと提案した俺が悪い…すまなかった」
東は勢いよく首を横に振る。
「いいえ、戴智さんのせいではありません。いつかまた、いっしょになれる日が来ます」
戴智はうつむき、小さくため息をつく。
「いつになるかはわからない…。璃子さんの子供を無理やり堕ろそうとする父を、殴り飛ばしてしまったんだ。俺は会社をクビになった」
「…伯父様が、戴智さんも解雇したとおっしゃってましたが…そんなことがあったんですね…」
「会社で身辺整理していたときに、お前の診断結果が届いたから、手紙を入れて送ったんだ。これが今の住所だ」
渡された紙切れに、東は目を通した。
「…隣の市にいるんですね」
「そうだ。クルーザーを手放して、『新開発部』の本間に保証人になってもらって、2DKのアパートを借りた。当面の生活費は困らないが、いつまで続くかわからない。今は廃棄物処理の工場でアルバイトをしている」
王永市の権利者であり、天下の王永製鉄で部長職も務めて、次期社長の椅子が手に入る地位にいた男が、今は小さなアパートに住んでアルバイトをしている。
おそらく、そんなみじめな生活をしているアルファは、世界中を探しても戴智ぐらいしかいないだろう。
「戴智さん…できれば毎週でもお会いしたいのですが…。今回は戴智さんの指示どおり仮病を使ったので、頻繁に来るわけにはいきません」
おそらく、仁英のことだから医師に診断結果の開示を要求するだろう。毎週、仮病を使って病院通いなどできない。
「わかった。今度は十月の第一月曜に、頭痛が酷いと言って病院 に来い。頭痛なら外見ではわからない。脳の検査に異常が無いとしても疑われない。ただの偏頭痛や肩こりから来るものと診断されるだろう」
戴智はメモ用紙に日時を書いて東に渡した。
「ああ、それからこれは、璃子さんから姉さんへの手紙だ」
「僕も一奈さんから、お手紙を預かってます」
二人は手紙を交換した。東が仮病を使い、病院で戴智と会う計画だと教えると、一奈も璃子も手紙を託した。
「璃子さんの具合はいかがですか?」
「順調だ。安定期に入って、つわりの症状もなくなった」
「一奈さんに、伝えておきます」
「ああ、頼む」
戴智の胸が痛む。姉がどれだけ、璃子のそばにいてやりたいだろう。戴智では妊婦のつらさはわからない。同じ女性であり、璃子のパートナーである一奈がそばにいれば、璃子はどれだけ心強いだろう。
ひと月半後の再会を約束し、二人はもう一度触れるだけのキスをして別れた。
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