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第47話
十二月二十八日。クリスマスが過ぎると、日本中は一気に正月ムードになる。璃子はまだ入院中だ。母子ともに健康なため、退院は大晦日になる。
戴智は王永総合病院に来ていた。今年の外来最終日ともなると、混雑が酷い。
二階の男性用産科の外来、待合室のベンチにいる。ニットキャップを深く被り、サングラスをかけ、ダウンジャケットを羽織った背は丸めている。
「戴智さん」
声をかけられて戴智は、声の主を見上げた。外の寒さか、息せき切って走ったためか、鼻の頭が赤い東が笑顔で立っていた。
東はまた、仁英に“ヒート状態にならない”と申し出た。一度は怪訝に思った仁英だが、奈津子が“ストレスか何か原因があるのかしら”と意見してくれた。同じオメガの奈津子の意見であり、人工的に発情期をコントロールできるように改造させた責任を感じ、仁英は病院に行くことを承諾してくれた。
過去二回とも、執事の曽根崎は外来のフロアまでは上がって来なかった。今回も大丈夫だろうと、ベンチに座って話す。
「東、子供は無事産まれたぞ。瑠奈という名前の女の子だ。昨日、役所に届けに行った」
戴智は写真を東に渡した。分娩台の上で、璃子が産まれたばかりの瑠奈を抱いている。看護士がインスタントカメラで撮影したものだ。
「…可愛い…。この赤ちゃんが、璃子さんの中にずっといたと思えば、何だか不思議ですね。僕も早く会いたいです」
東も嬉しそうに目を細める。
「早く姉さんにも会わせてあげたい。俺は諦めないからな」
東が写真から顔を上げた。
「戴智さん、提案があるんですけど」
「何だ?」
「来年一月三日に、毎年恒例の親族たちの集まりが、王永グランドホテルであります。その宴会に、瑠奈ちゃんを連れて璃子さんとともに来てください」
戴智は面食らった。仁英や、ほかの口うるさい親族たちの前に姿を現すのか。
「そんなことをしたら、俺はともかく、父が璃子さんや瑠奈に対してどんなことをしでかすか…」
大勢の前で怒鳴りつけるだろうか。璃子を巴家に返し、巴家とは一切の縁を切るのだろうか。
「確信はありませんが、一か八かに掛けたいんです。さすがに、親族の前で暴力行為には出ないと思います」
東が戴智に耳打ちする。戴智はじっと考えこんだ。
「…うまく行くだろうか…」
「もし駄目なら、一奈さんも僕も、王永家を出ます。四人で力を合わせて生活していきましょう」
父が何を言っても屈しない。戴智はそう誓った。仁英の権力が届くのは、王永市内のみ。市から一歩出れば仁英の独断ぶりは、人権を無視していると非難され、損害賠償を請求されかねないこともある。
「例年どおり、一月三日午後十二時、王永グランドホテルの『サルビアの間』です」
東がこっそり手を伸ばし、戴智の手を握った。
「瑠奈ちゃんも璃子さんも、元気にしていますか?」
その手を戴智が強く握り返す。
「ああ、璃子さんは食欲もあって顔色がいい。瑠奈は母乳を飲む量にムラがあるらしいが、順調だそうだ」
戴智の顔がゆるむ。脳裏には、面会のときに見た瑠奈の寝顔が浮かんでいた。
「目の中に入れても痛くない、の例えがよくわかるぞ」
微笑み合ってから、東は席を立った。エスカレーターを降りるまで、戴智は東の背中を見送っていた。名残惜しい気もするが、王永市内である以上、目立ったことはできない。
戴智も席を立ち、曽根崎に見つからないよう、人混みに紛れて出て行った。
大晦日に璃子と瑠奈が退院した。早速その日から夜中の授乳やおむつを替えたり、とても正月どころではない。
ちょうど戴智は正月休みで、夜中に何度も起きる璃子は昼間に寝かせてやり、戴智が昼間に面倒を見た。
そして、まだ正月ムードの一月三日、戴智と璃子は瑠奈を連れ、王永グランドホテルに来た。新生児のうちはあちこち連れ回さない方がいいのだが、チャンスは今しかない。スーツを着るのは何ヶ月ぶりだろうか。何となく落ち着かないネクタイを何度も直す。璃子も久しぶりに上等なワンピースを着ている。赤ちゃんを抱くのに高いヒールは危険なため、ローヒールのパンプスを履いていた。
緊張した面持ちで、『サルビアの間』の扉まで来た。“王永一族新年会”と立て札が出ている。大きな使命を抱えて、この場に来るのは初めてだ。いつもは仕方なく、形だけの挨拶をするだけだったが。
扉の前に控えている蝶ネクタイの係員は、戴智の顔を見ると“どうぞ”と扉を開けて一礼した。どうやら仁英は、“戴智が来ても入れるな”とは言っていないようだ。まさかこの場に来るとは、思ってもみなかったのだろう。
戴智が先に入り、後に璃子が続く。戴智の姿に気がついた親族が、明けましておめでとうの挨拶のほかに、出産おめでとうの祝いの言葉をかける。あっという間に、戴智と璃子の周りには、人だかりができた。
「璃子…! 心配したわよ」
璃子に駆け寄るのは、和服姿の璃子の母親だった。ハンカチで目頭を押さえている。後ろにいる父親も、涙をこらえているようだ。仁英から、しばらく璃子には会えないと告げられ、逆らうことのできない巴家は、璃子と子供の身を案じていた。
「いろいろと…ごめんなさい」
涙目で両親に頭を下げる璃子の震える肩を、戴智が支えてやる。
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