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第48話
戴智は、顔をしかめている父親に近づく。さすがに祝の席では怒鳴ることはできない。だからこの日を選んだのだ。
一礼をして、戴智は声をひそめた。これから言う、祝いの席にふさわしくない言葉が、ほかのみんなに聞こえないように。
「あなたが堕ろせと言った子供です」
仁英は面食らって、何も言えない。胎児であったころには何も感じなかったが、母親に抱かれている小さな命を見ると、同じことは言えなかったはずだ。孫は、確かに生きている。
後ろから一奈が仁英に声をかける。
「お父さんとお母さんの、初孫よ」
仁英が奈津子と顔を見合わせる。奈津子は目尻にシワを作り、微笑んでうなずいた。
璃子が仁英の前に立った。
「抱いてあげてください。瑠奈という、女の子です」
仁英に瑠奈を預ける。赤ん坊を見るのは、何年ぶりだろうか。ごつごつした分厚い手はこわごわと、毛糸で編まれたおくるみを包む。
ぎゅっと握られた小さな手は、頼りなくも生命の強さを感じる。閉じていた目がぼんやり開けられると、そのときにはすでに、仁英には笑顔が浮かんでいた。
途端に、瑠奈は泣き出した。どうしていいのかわからない祖父は、祖母に助けを求める。
「お腹が空いてるか、おむつかしらね」
奈津子が仁英の腕から瑠奈を預かり、背中を軽く叩いてあやしてやる。赤ん坊を抱くのは一奈と戴智以来だが、身についたその手つきには、仁英は適わない。
「あら、泣きやんだわ。おじいちゃんの顔が怖かったのかしらね」
奈津子の一言に、戴智たちは吹き出してしまった。
「仁英伯父様」
後ろから東が声をかけた。
「瑠奈ちゃんは、僕たち四人で育てたいんです。立派な王永の跡継ぎにしてみせますよ。僕たち四人と、頼りになるおじい様とおばあ様がいらっしゃるんですから」
仁英が、ほぅっと一つ大きく息をついた。肩が下がり眉も下がり、目尻にシワを寄せ、いつもの威厳などどこかに消えてしまったようだ。
「…王永は変わらねばならないのか…」
先祖代々、王永本家の次期当主の番は、現当主が決めてきた。それを仁英も当たり前だと思って、何の疑問も持たなかった。
だが、戴智たちのような新たな家族のあり方を見ると、古い考えだけではいけないような気がした。
親が番を決めなくても、王永は廃れない。
「…璃子さん…」
仁英は璃子の方を向いた。
「酷いことを言って、すまなかった…」
うなだれる仁英に、璃子は首を横に振る。
「いいえ、瑠奈のことを認めてくださって、ありがとうございます」
奈津子は瑠奈を、もう一人の母親である一奈に預けた。初めて抱く我が子に、一奈の目から涙があふれていた。
「璃子さん」
今度は奈津子が璃子に声をかけた。
「大仕事、お疲れ様。今日はゆっくり、お食事していってちょうだい。瑠奈ちゃんは私が面倒見てあげるわ」
「ありがとうございます…!」
璃子は頭を下げた。涙があふれて止まらず、璃子は頭を上げられない。
また、瑠奈が泣き出した。
「璃子~、もしかしてお腹が空いてるのかも」
璃子がやっと顔を上げた。一奈は母乳が出ない。璃子は授乳のため瑠奈を抱き、奈津子に付き添われて控えの間に向かった。
「戴智」
涙を拭いて、今度は戴智の方に向く。少し背伸びして戴智をぎゅっと抱きしめ、肩口に顔をうずめる。
「ずっと…璃子と瑠奈を守ってくれて、ありがとう…!」
一度は落ち着いたが、また、一奈の目から涙があふれる。
戴智は一奈の背中を、瑠奈をあやすときみたいに軽く叩いてやった。
「俺がしっかりしないと、姉さんが鬼みたいに怒鳴るだろう」
いつもなら“失礼ね!”と怒鳴るはずだが、一奈はいつまでも戴智の肩に顔をうずめていた。
今日のことは、東の計画だった。いきなり実家に押しかけても、仁英は会ってくれないだろう。だが、この宴会ならば、親族たちの手前もあって、追い返したり口論になったりはしない。冷静な状態で、瑠奈と対面させられると考えた。それに、親族たちが生後間もない赤ん坊の可愛さに騒ぎ、仁英ならば場の空気を乱さないはずだ。
以前、村瀬が結婚に反対していた舅が、孫が産まれた途端に態度が変わった、という話を思い出し、仁英も変わるのではないかと考えた。
生後間もない赤ん坊に、酷い仕打ちはしないだろう。自分の娘や息子を育ててきたのだ。その孫が可愛くないはずはない。
ちょうど二年前にこの『サルビアの間』で、戴智が東に言った言葉どおりだ。
“お前なら、王永を変えられるかもしれない”
王永一族は変わる。変えてみせる。古いしきたりには縛られない。当主の独断でなく、いろいろな者の意見を聞く。
それが戴智と東、一奈と璃子に課せられた、次世代への希望だ。
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