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第2話
同僚は望の肩に置いた腕を離すと、スマートフォンをいじり始めた。
「俺が婚約指輪を買った店、紹介してやるよ。表参道にあるんだけど、指輪のデザインがいい」
望は同僚から、指紋がべとべとについたスマートフォンの画面を見せられる。全面ガラス張りの清潔感溢れる店だった。かと思えばすぐに、キラキラと輝くプラチナリングの写真に切り替わった。そして、『永遠の愛と幸せをあなたに』というフレーズと共に、外国人の男女が寄り添う写真が浮かび上がる。彼らが身につけていた左手のリングは、これ見よがしに光っていた。
「こういうのって相場はどれくらいなんだ?」と、したくもない質問を仕方なくする。
「30万円くらい」
「30万!?」
興味は全くなかったけれど、同僚の口からするりと出た金額に、思わずのけ反った。婚約指輪ってそんなに高いのかと、素直にびっくりする。
「んなくらいでビビんなよ。実際はもっと高いのを買わなきゃなんねーからな」
「マジ? 何で?」
「そりゃあ、女は婚約指輪の値段で男の年収をはかるからだよ。……いいか、女は普段体の良いことばかり言うけど、結局のところ、男に経済力を求めてんだ。だから、安物の指輪をプレゼントなんてすりゃあ、この人はお金を持っていないんだわ、と判断されかねない。プライドの高い女だったら、『そんな安物が私に見合うとでも?』って腹を立てるかもな」
『そんな安物が私に見合うとでも?』の部分だけ限りなく気味の悪い裏声を出して、同僚は女役を熱演したが、喉を痛めたのか、ごほごほと咳き込んだ。
「本当かよ、それ?」
望は半信半疑だった。婚約指輪を買う予定がないから、信じる必要もなかったが。
「本当だって。お前、当然貯金はしてるだろ?」
「してないとまずいだろ」
吸い終えたタバコを灰皿に押し付けた望は、ぬるくなったビールを飲み干す。この前ニュースで、30歳の平均貯金額は300万円と言っていたが、望の貯金はそれを余裕で上回っていた。そこそこの給料を貰っているのに加え、給料日のうちに毎月決まった金額を別の口座に移しているので、順調に蓄えることが出来ていた。
以前、恋人に「将来、安定した生活が送れるように、今のうちから貯めてんだ」と言ったところ、「真面目だねぇ」と笑われたことを思い出した。「そんなところも大好きだよ」と付け加えられ、照れ臭さのあまり相手の足を蹴ったことも。
「だったら、ちゃんとした物を買えよ。悪いことは言わねぇから」
同僚が、近くを通りかかった店員に「生1つ」と声をかけたので、望や他の同僚も便乗した。
「お前はいくらのやつ、買ったんだ?」
同僚はにぃっといやらしく笑うと、右手の指全部と左手の人差し指を立てた。望は再びのけ反る。
「すげぇな」
60万円で指輪を買うくらいなら、1ヶ月くらいヨーロッパを旅行するわという言葉は、飲み込んだ。
「だからお前もそれくらいので探せよ、な?」
「……おう、そうする」
適当に言葉を返し、微笑みたくもないのに微笑んだ望の背中を、同僚は無遠慮に叩いた。
「プロポーズしたら、ちゃんと報告しろよ!」
周りからも「俺たちも待ってるからなぁ!」と声があがる。……これだから酔っ払いは。「はいはい、分かりました」と口先だけで答え、望は心中で深々とため息をついた。
今後もコイツらと飲む時は、「プロポーズしたのか?」としつこく訊かれるのが目に見え、気が沈む。その度に彼らは自分にだらだらと説教し、プロポーズを急かすのだろうか。それに対し自分は、努めて取り繕い、彼らをあしらわなければならないのだろうか。……だとしたら、すこぶる面倒くさい。
ならばいっそ、プロポーズは成功したと嘘をつけばいいのだろうか。いやしかし、嘘をついたらついたで、今度は式場選びや結婚指輪の店、新婚旅行の行き先などについてアドバイスされそうで、ますます面倒なことになりそうだ。
だったら失敗したと言えば? ……お節介なコイツらのことだ。望に根掘り葉掘り色んなことを訊いてくるだろうし、勝手に敗戦分析するだろうし、もしかすると「よし、俺が一肌脱いでやる」と意気込まれ、女を紹介されるかも知れない。……ゲイである望にとって、それ以上に厄介なことはなかった。
じゃあ俺は一体、どうすればいいんだ。
大学生くらいの店員がビールを運んでくる。これ以上は何も考えたくなかった。望は店員からビールを受け取ると、憂鬱な気持ちを振り払うように、ぐいっと一気に飲み干した。周りから歓声があがったが、そんなことはどうでも良かった。
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