25 / 70

第25話

「いい加減にしろ……っ……!!」 草木も眠る丑三つ時だというのに、そんなことなどお構い無しに突如【女白・金魚草】が大声をあげた。それは、愛する母に会えない事からくる途徹もない不安と、信用している珀王から怒鳴られただけでなく悪意をぶつけられた事からくる半端ない恐怖とで怯えきって泣きじゃくっている尹儒に向けられた言葉ではない。 かといって、この事態を必死で宥めようとしている【新月・鬼灯花魁】へ向けられたものでもない。【女白・金魚草】の鋭く光る眼光は、今まさに憎悪に憑依され無垢な尹儒を傷つけようとしている珀王へとまっすぐに向けられていたのだ。まるで、尹儒が幼い時に母である魄から本気で怒られた時に醸し出されていた雰囲気と同じくらいに【女白・金魚草】は本気で心の底から怒っている、と尹儒は珀王の体の下で怯えつつ思った。そして、それと同時に母である魄の怒った時の顔や、時々心配そうに己を見つめる顔――己に向けられる満面の笑顔といった母とのひとときをころ、ころと模様が変わる万華鏡を眺めた時のように思い出して__やっぱりしく、しくと泣くのだった。 眼光だけでなく、表情からも凄まじい怒りが滲み出ている【女白・金魚草】はまるで鬼のような形相で尚且つ無言で尹儒の体に乗りかかって象牙のように白い首元に鏡の破片を突き付珀王へ近づいていく。 「……っ____」 【女白・金魚草】の、あまりの剣幕に__尹儒はもちろんのだが、今まで凄まじい怒りに囚われていた珀王でさえも微動だに出来なかった。 けれど、尹儒も珀王も【女白・金魚草】に対して途徹もなく怯えているのは単に彼が半端ない怒りを抱いて鬼のように豹変しているからではなかった。むしろ、彼が微動だに出来ない珀王の方へゆっくりと近づいていき__身を屈めた後にとった予想外の行動のせいだ。 「こんなもの___もう二度と見たくなどない……よりによって……鏡の破片など、吐き気がする……」 未だに怒りのこもった低い声で尹儒の首に突き付けつつ珀王が握ったままの鏡の破片を取り上げると、そのまま有ろうことか、それを自らの腹へ深々と突き刺さしたのだ。 恐怖と不安で怯えきっていた尹儒も、大好きな人の命を奪われて凄まじい怒りを抱いていた珀王もこれには開口し呆然とするしかなかった。 しかも、【女白・金魚草】 に突き刺さった鏡の破片が腹の中へずふ、ずぶと吸い込まれていき血の一滴さえも流れず突き刺した本人は平然としていたのだから尚更だ。 「金魚草、それは彼らの目の前ではやってはいけない事だったよ……」 「す、すまない__あの時のようにならないために、つい……」 笑顔で話す【新月・鬼灯花魁】も何事もなかったかのように話す【女白・金魚草】も尹儒と珀王にとっては異様の存在に思えた。 「さて、と……ここまできたら仕方ない。僕らの正体を話すとしようか__僕らは、実は……生きている人間じゃないんだ……いや、僕らだけじゃない。この逆ノ目郭にいる全ての存在__女将さんも旦那さん、それに花魁達や客達も……君ら三人以外は……全部幽体……分かりやすく言えば幽霊やお化けなんだよ――僕の本当の名前は尹__。【新月・鬼灯花魁】って呼んでもいいし、尹って呼んでくれてもいいよ?」 「俺の……本当の名は__凶善だ。だが、くれぐれも【女白・金魚草】と呼べ。本名を言ったら……その度に折檻してやる。あと、貴様……金輪際、確固たる証拠もなしに他人を疑い傷つけようとするのを止めろ。いずれ、地獄を見るぞ?」 低い声で、【女白・金魚草】から《貴様》と呼び捨てられた珀王がびくっと体を震わせた。そして、今まで後方に控えて尹儒と珀王――それに【女白・金魚草】こと凶善の動向を穏やかに見守っていた【新月・鬼灯花魁】こと尹が微笑みながら静かに子犬のように震える尹儒と珀王 の方へと歩み寄ってきた。 そして____、 「君達は……目的があって此処へきたんだよ。その目的が何かなんて、明確には分からないけれど__心当たりはある。僕と凶善の後に……着いてきて__」 優しく、ゆっくりとした動作で尹は子犬のような二人を抱きしめる。 しかし、明確には触れあう事は出来ず尹の体温を二人は感じる事は出来ない。煙管から出てくる白い煙を抱きしめているような手応えを感じない抱擁に、尹も珀王も何とも言えない気分になる。 すっ…………と立ち上がった尹と凶善が尹儒と珀王の手を引き彼らを立ち上がらせる。訳の分からないままに生者の世界からかけ離れた亡者の世界に連れて来られてしまった尹と珀王は為す術なく言われるがままに着いて行くのだった。

ともだちにシェアしよう!