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第30話

『ねえ……どうして__』 『どうして……吾の存在を忘れて何処の斗鬼と名付けようとした吾の童を……父親の如く育て上げたわけ?』 其処には何もいなかった____。 それにも関わらず、再び前を向き直して金枝雀へと歩き初めた世純に先程とはうって変わって恨めしそうな得たいの知れぬ存在の声が聞こえてくる。 黒子の声には変わりないものの、明らかに世純に対して敵意を抱いている声色で一歩、一歩と歩みを進めていく度にか細く小さめの声からすぐ側で耳打ちされているかのような大きな声になっていくのを理解してしまい、決して背後は 振り返らない。ぞわっと全身に鳥肌がたっている事を頭で理解しつつもそんな事を気にしている場合ではないと何とか恐怖を押し殺して無我夢中で歩き続けていく。 ようやく、酸味と甘味が織り成す独特な芳香を放つ金枝雀の低木の側に辿り着いた世純は思わず早歩きとなってしまった足をぴたりと止めた。 其処に、見慣れた人物が腰掛けながら、墨汁のように真っ黒で一つの星さえ現れない夜空にぽっかりと浮かぶ青白い月を優雅に――それでいて悪戯っぽい笑みを露にしつつ見上げていた事に気付いたからだ。先程まで、全く目に入らなかったその人物を目の当たりにして世純はごくりと息を呑んだ。 「世純、ようやく我の存在に気付いてくれたんだ____我は先刻からずっと此処にいたのに。世純……気高く我を魅力して止まない其方も此方側に来てよ。そうすれば、禍厄天寿の祝福の儀を受けて幸せになれる」 「い……いったい、何を仰っているのですか___花蝶様。それに、何故……母上であられる葉狐様を失くされた貴方様と――王宮に危機を与えようと企む忌々しき呪術師の魔千寿とが共におられるのですか?まさか____」 世純の目に、幼い頃から訳あって【妃宮】で過ごしてきた花蝶の姿が飛び込んできた途端に彼は罪悪感に蝕まれてしまった。かつて、先代王である【屍王】こと桜獅が王宮を統治していた時に正妻である【葉狐】の息子として【花蝶】と【黄蝶】が産まれ、その後に今は心を病み療養中の【王花】が生を受けのだ。本来であるならば、順番的には【花蝶】か【黄蝶】__もしくは協力して次期王になる筈だったのだが周りの守子達から【王の器として足りない】【虚弱体質で知識もない役立たずの双子など王宮には不要】といった言いがかりともいえる理由で彼らと彼らを産んだ母の【葉狐】は《妃宮》へと追いやられてしまったのだ。 それでも、哀れと思った世純は【葉狐】にはともかくとしても【花蝶と黄蝶】にはなるべく声をかけたり勉学を教えたりと構っていた。そのように接したのは、優しさからというよりも――むしろ、彼らに非道な言葉を投げつける周りの守子達に反発出来なかった事に対する罪悪感を払拭させるためといっても過言ではなかった。 【花蝶と黄蝶】とは――それなりに信頼関係を築けていたと思っていた。しかし、それにも関わらず【花蝶】の左隣には片手に頭部の髑髏(どう見ても人間の形)を持ちながら口角を緩くあげつつ笑みを溢す魔千寿が地面に腰掛けていて世純と【花蝶】のやり取りを愉快そうに眺めている。 世純が魔千寿が【花蝶】の隣にいつの間にかいるという事態に気付く事が出来たのは、何処からか風に舞って薔薇の花の甘く芳しい香りがふわり、と舞い込んできたという鼻への刺激を頭の中ではっきりと意識した途端に起きた異変のせいだ。 白い着物を纏っている【花蝶】の姿が、見る見る内に全身真っ赤に染まっていくのだ。 彼の背後から忍び寄ってきた魔千寿が持つ髑髏の口から伸びている異国にて人気を誇っていて人々を魅了して止まないという血のように紅い一輪の薔薇の花びらが散ってはらはらと風によって巻き上げられたかと思うと【花蝶】の全身に纏わりつき王花よりも僅かばかりの大きさでしかなく、世純よりも遥かに小柄なその身を紅い花弁が覆い尽くしていく。 そして、突如__目を開いているのでさえ我慢できない程に強烈な白い光によって【花蝶】の身が包まれていき思わず目を瞑ってしまった。 その後、徐々に光が収まっていくのを気配で察し、おそるおそる開いた世純の目にこれまで以上に信じ難い奇っ怪な【花蝶】の姿が飛び込んできて彼から目が離せなくなった。 一匹の白蛇が赤く長い舌をちろ、ちろと出しつつ__再び、世純の方へとずるり、ずるりと不気味な身をくねらせつつ忍び寄ってくるのだ。 人間から一匹の白蛇へと変化した【花蝶】の姿を目に焼き付けたせいで恐怖におののく世純を傍観している魔千寿は眉ひとつ動かす事なく、片手に持つ人間の頭部に頬を寄せながらうっとりとした表情で囁きかけている。 「き…ょ……ん……様、愛してるんや__今度こそ、約束を果たさせてあげるやき、邪魔なもんは…… 潰すしかないやんな……あの御方も――それを望んでるんやきな」 世純の事などお構い無しといわんばかりに、ぶつぶつと何事かを髑髏に頬を寄せながら呟き続ける魔千寿__。 何を訳のわからぬ言葉を呟いているのだ、と首を傾げる世純に向かって、先程とは別人のように無表情となった能面のような顔を向けた魔千寿がおいで、おいでとゆっくりと手招きするとその動きに合わせて己の意思と関係なしに足が進んでいってしまう事に気付いた。 しかし、己の意思では止める事はおろか踏ん張る事すら出来ないため強引に魔千寿の前へと追い詰められていってしまうのだった。

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