35 / 70

第35話

◆ ◆ ◆ 「こ、此処は……もしかして、逆ノ目郭とやらの……中庭――か!?そして、これは……もしや、桜の木か?」 『その通り……。ええっと__珀王だったっけ。こんなに養分を吸われて枯れ果てて亡者の如く変化してしまったこの木を桜だと分かるなんて――君は賢いよ』 【生者が自分たち以外に存在しない郭街】に連れて来られた理由を知っているから着いてこいと【新月・鬼灯花魁(尹)】と【女白・金魚草】から言われ、これから為すすべなく、さ迷い続けるよりも従った方が賢明だと判断した珀王は弱々しく目尻を下げて今にも泣き出しそうな尹儒の手を引きながら歩いて行き、とある場所まで来た。 あの後、【生者が存在しない逆ノ目郭】の風景が様変わりしていき、つい先ほどまでは見かけだけでも人間そっくりだった道ゆく通行人の姿さえも異形の存在に変化してしまっている。 つい先ほどまで曇りによく似た灰色の空は、赤黒く変化し、更に『ひゅう、ひゅぉぉー……』と不気味な音を立てつつ風が吹く度に白い雲が渦を巻きながら珀王と尹儒の心に不安さを抱かせる。 そんな奇怪な空の下で、頑なに恐怖を表に出そうとしないように強がる珀王と、明らかに恐怖に帯びている表情で今にも泣き出してしまいそうな尹儒は【逆ノ目郭の中庭】にある枯れ果ててしなだれている木を見上げていた。 「新月・鬼灯花魁……っ___さ、さっきの……道に歩いていた人達は……どうして、あんなに黒くなってしまったの?しかも、あんな……全身に目玉がついてる気味わるい姿になるなんて……っ……」 「この泣いてばかりの女々しい尹儒と共感したくはないが……俺もそれについては気にかかる。さっき、此処に来る前に見た彼奴らは……何者なんだ?それに、お前達の――その姿だって___おかしいことばかりだ……っ……!!」 『この逆ノ目郭にはね__ある呪いがかけられているからだよ。お客様が来る夜の時間だけ――この呪いがかけられ、僕らは本来の無様な姿に戻らなきゃいけなくなるんだ……君ら生者の目から見れば醜悪な姿にね。あの子は――そんな僕らの姿を見て嘲笑ってる……』 顔は生気がなく青白く染まり、首に赤い筋がくっきりとついた【新月・鬼灯花魁】と、同じく生気のない目をして土気色の肌に染まった【女白・金魚草】が罰が悪そうに此方を見ていた。 【女白・金魚草】に至っては口全体が黒い糸で、ぎざぎざに縫われてしまっているため何かを言いたげに此方を見ているもののそれは叶わないのか目がゆらりと揺れる。尹儒の目には悲しみのせいで僅かに涙ぐんだように見えたが、それも一瞬のことだったため【女白・金魚草】の気持ちを明確に汲み取ることは出来なかった。 尹儒と珀王には、【新月・鬼灯花魁】が言っていた《あの子》というのは誰のことかは分からない。 しかし、先ほどから止めどなく襲ってくる恐怖を何とかして拭い去ろうと尹儒は泣きそうになるのをぐっと堪えると、隣にいる珀王の手を控えめに握る。初めは何も反応せずに佇むばかりだった珀王だったが、少ししてから僅かに力を込めつつ握り返してくれた。 そのおかげで、僅かながらとはいえ安堵を覚えた尹儒は満面の笑みを浮かべつつ己よりも背の高い珀王の顔を見上げる。 耳まで赤くなった珀王は即座に、尹儒から顔を背けてそっぽを向いてしまうのだった。

ともだちにシェアしよう!