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第39話

尹儒が思わず悲鳴をあげそうになったのも無理はない、と__隣にいて息を潜める珀王も理解はしていた。 それほどに、気の強そうな女将から【蛇之・愚生】と呼ばれた妖人とやらの見た目が普通ではなく奇怪だからだ。 それは、つい先刻に珀王と尹儒が共に目にした全身が真っ黒で顔がなく身を激しくくねらせやがら動いていた【影ゆら】と呼ばれた通行人共よ比ではなかった。 下半身は黒ずんで所々破けて穴が空いている灰色の襤褸服を纏い、はだけた胸元には紫色の薔薇の花の絵が描かれている人間の姿だけれども頭は蛇という奇怪としか言い様のない出で立ちだ。胸元に描かれた薔薇の絵と関係あるかは分からないけれど、象牙のように艶やかで美しい右手で先端に赤い顔料がついている筆を持ち、くるくると回している。 首から上は、蛇頭そのものであり――首から下は人間そっくりというという実に奇怪で不気味な容姿なのだ。 話す度に、ちろちろとのぞく赤い細長い舌が不気味で堪らなくなり、怯えきっている尹儒と同様に珀王も目を背けてしまう。 と、ふいに予想外の出来事が起きた____。 「……っく、ちゅん……っ……あっ……」 尹儒が堪えきれず、くしゃみをするのと同時に僅かながら驚きの声をあげてしまったのだ。それは、蚊のなくような小さなものだったとはいえ『決して声を出してはいけない』という【鬼灯花魁】と【女白・金魚草】の忠告を破ってしまったことに変わりはなかった。 事の重大さに気付いた珀王は、せめて尹儒だけは庇おうと己の背後に隠そうとしたが、その細やかな抵抗も虚しく――目当ての客がおらず退屈で堪らない妖人【蛇之・愚生】の興味をそそそるには充分だったために童子である尹儒はひょい、と身を抱えあげられて壁に押し付けられてしまう。 「おお、おお____ここに、いるではないか。実に、愚生の好みだ。ましてや、珍味だと噂の的の生者ではないか。ますます、愚生の好み――そのもの。怯える顔も、めんこいの……めんこいのぅ……」 「や、やだ……こ、怖い……っ__怖いよぅ……狐面の……おにーちゃん……っ……」 壁に押し付けられ、尚且つ――ちろり、ちろりと気まぐれに動く赤い舌が、あまりの不気味さに怯えきって必死で恐怖に耐える尹儒の頬を舐め上げる。まるで、餅のように弾力のある肌が【蛇之・愚生】の興味をなおのことそそったらしく彼は満足そうに口元を綻ばせた。 そんな時だった____。 「そいつから……ゆ、尹儒から今すぐに離れろ……っ__この、化け物め……っ……!!」 声を震わせながら、怒りをあらわにした珀王がこうなってしまった以上は、もう用無しとなっな番傘を壁際にまで尹儒を追い詰めた【蛇之・愚生】へと投げつけたのだ。 もはや、その番傘が【鬼灯花魁】や【女白・金魚草】からの借り物だとか__【蛇之・愚生】が逆ノ目郭にとって大事な客であるなどといった些細な事など今の怒りと憎しみに捕らわれている珀王にはどうでもよかった。 ただ、ただ__友である尹儒を救うために得たいの知れぬ【蛇之・愚生】に番傘を投げつけるという僅かな抵抗を試みた彼の足は生まれたての小鹿のようにがく、がくと震え__声はかすれて裏返ってしまっているが尹儒は尊敬の眼差しで珀王を見つめるのだった。 だが、【蛇之・愚生】は__生者であり尚且つ見下しているニンゲンの童子の反抗をみすみす見過ごす賜物ではなかった。 そっ、と――尹儒の床へと降ろした後で【蛇之・愚生】は今度は珀王の首根っこを掴み上げると、尹儒の時よりも明らかに力を込めながら乱暴に壁へと珀王の体を押し付ける。 しかも、あろうことか――ぎりぎりと徐々にとはいえ確実に首を締め上げていくのだった。

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