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第42話

「【烏之・吾人】…………何だ、お前さん……先程から、そこにいたのかの?まったく__相も変わらず辛気臭い顔をしている……ほれ、もっとこっち来い、来い……」 「蛇………吾人は、ずっと……貴を探していたのであります……っ……」 全身を黒い布で覆い、なおかつ手鏡を持った謎の存在は音もなく【蛇之・愚生】の体へとしがみつく。 その顔は、黒布で覆われていて伺い知れなかったが、手鏡の中に映る黒い羽毛に覆われる烏の真ん丸い金の瞳はどことなく忌々しそうに尹儒と珀王を睨み付けていた。 「【蛇之・愚生】……貴人は我々友人に対して失礼すぎるのではないか?【烏之・吾人】は……ずっと泣きじゃくりながら貴人を必死で探していたのですぞ……っ__それをあろうことか、貴人は生者の餓鬼共にばかり興味をそそられ、それだけでなく悪癖を晒すなど……。貴人は、恥を知るべきだ」 「まあ、まあ……ほれ__そろそろ日が昇る。それこそ、辛気臭い話はなきにしようやないか。愚生らにかけられた呪いも解けるとくれば……少しは、このめんこい童子も愚生らに心開くことよ。そしたら、郭街の酒屋で酒盛りやな……っと――【鷹之・某】は酒盛りよりも団子屋の方が善きかな。そんな成りをしつつ酒よりも団子が好きとはめんこい奴やなぁ……さて、という訳でめんこい童子と生意気な生者らよ……また、陽が出る時刻に会おうではないか……暫し、さらばや……」 動物の頭部に、人間の上下半身という奇怪な出で立ちをした【蛇之・愚生】【鷹之・某】【烏之・吾人】なる上級客らは其々がご機嫌な様、不機嫌な様、怪訝な様を尹儒と珀王に晒しつつ直に呪いが解ける時刻がくるという【逆ノ目郭】を後にし何処かへと去って行くのだった。 その嵐の如き騒ぎのせいで、すっかり気付いていなかったのだが隣にいる珀王は震える手でずっと尹儒の手を握り続けてくれていた。 そのおかげで、じんわりと尹儒の冷たい心に光が灯ったような心地がした。 * (この世界は……まだまだ分からないことばかりだ____ここには母上を探す手掛かりが……あるのかな) ふと、既に日が昇り散々と降り注ぐ陽の光に照らされた中庭の木が目についた。 尹儒は、再び夜がくる前に女将さんから命じられて盥に水汲みをするために洗身場へと向かって廊下を歩いていたのだけれども余りにも中庭に生える一本の木が気になってそちらへと駆け寄っていく。 老人の如く、ひび割れしわがれた幹と今にも風で折れてしまいそうな程に細い枝であるにも関わらず白い葉っぱがなびき続ける謎の木を見て、どうしても抗うことの出来ない深い興味を抱いてしまったのだ。 「この…………木に――興味があるのかえ?」 「あ……えっ……と____」 仕事もほっぽりだして、その奇妙な木に見惚れていると、聞き覚えのない男の声が何処かから聞こえてくるのに気付いた。そのため、尹儒は童なりの精一杯の注意を払いつつ、きょろきょろと辺りを見回した。 「…………っ____!?」 何処を見てみても、男の姿は見えない。 しかしながら、その謎の男の声は話しを続ける。 「訳あって、今……お前さんに姿を見せることはできん。しかし、だ……この木の存在が重要となる。お前の母を救うのも、こことは別の世界を救うのも……全てはこの木をどうするかだ……」 「そ、それは……それは――どういう……っ____」 と、助言ともとれる謎の男の声へ向かって問いかけようとした尹儒だったが、ふと背後に気配を感じて振り返った。 そこには、穏やかな笑みを浮かべる【新月・鬼灯花魁】の姿____。 「ああ、尹儒……良かった。先刻からずっと探していたんだよ……女将さんが、水の張った盥はまだかって鬼のように怒り狂ってるもんだからね。こんな寒い所にいるより、早く郭内に戻った方がいい……さあ、一緒に水汲みしよう。今はお客様もいないし、やることもないから手伝うよ」 「は、はい……申し訳ありません……でした____」 謎の男の声は、もう聞こえてはこない。 その代わり、風になびき白い葉っぱが――はらり、と地に落ちた。 【新月・鬼灯花魁】はそのことに気付いてはいないみたいで、何故かは知らないけれども無性に気にかかった尹儒はさっとそれを拾い上げると懐にしまい、鬼のように怒り狂っているという女将さんをこれ以上不機嫌にさせないためにも急いで水汲みの作業に戻るのだった。 * その日の、夜のこと____。 昨夜に騒ぎを起こし、奇怪なる姿で尹儒と珀王に凄まじい恐怖と少なからずの興味を与えた三人の上級客らは郭に訪れることはなかった。 ぐる、ぐると目まぐるしい時が過ぎ――ようやく一息ついた尹儒はこれから初めての客をとることとなったのだ。 傍らには、珀王が高級そうな着物で着飾った自分に何事か言いたげな態度であるのを悟ったもののそんな些細なことを気にしている場合ではなかった。 『明確な花魁名も無き、下っ端の【雲隠れ】の一人でしかないお前さんにも……指名がついたのさ。いつだかは知らないが、どうやら郭外で一目見てお前さんを気に入り、ここまで足を運んで下さったらしい……くれぐれも先日のように御客様に対して無礼な真似はするんじゃないよ?』 つい先刻、女将さんから口を酸っぱくして言われた言葉を思い出す。 いったい、下っ端花魁の自分に対して興味を抱いたというのは、どのような客人なのか一抹の不安を抱いたものの、この郭にいる限りは仕事のため対面するのをすっぽかす訳にもいかない。 今のところ、【逆ノ目郭】しか尹儒と珀王の居場所などなく、もしも御客様との対面を拒むなどという失態をすれば自分達には、この不気味な呪いのかけられた奇妙な世界で垂れ死ぬ末路しかないのだ――と珀王から厳しく言いつけられたのだ。 しかしながら、その後に彼は涙で濡れた尹儒の頬をできるだけ優しく撫で上げてくれたため、少しばかり落ち着きを取り戻すことができたのだった。 (お前は……客によとぎをしろ……って言われても――何のことかなんて分からないよ……珀王のおにいちゃんも……そこまで教えてくれなかった……) 不思議に思いながらも、首を長くしながら己の来訪を待っているであろう客人の元へと向かうために、何故か己の付き人役を願い出てきた【女白・眠草】を傍らに付き従えつつ、月明かりが差し込む廊下をてくてくと歩いていく尹儒____。 いっときとはいえ、気を許しつつある珀王と離ればなれになるのは――心細いなどと思う内に客から指名された【時雨の間】へと着いてしまうのだった。

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