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第43話
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郭内で【雲隠れ】という身分しか貰えていない自分を待っているであろう御客とやらは【時雨の間】に一歩足を踏み入れても尹儒の前に姿を現さなかった。
てっきり、【時雨の間】の中にて自分を待っててくれているのだろうと思い込んでいた尹儒は異国から取り寄せたのだと自慢げに話していた《時計》のチッ……チッという針の音が鳴る度に不安に苛まれてしまう。
(何か……失礼なことをしてしまったのだろうか……だけど、出来るだけ急いで時雨の間に来たつもりだったのに……)
母と離ればなれになった時から「面倒だ」「お前みたいな餓鬼のお守りなどごめんだ」だのと文句を言いつつも、何だかんだ自分の側にいてくれた珀王が近くにいないから尚のことだ。
珀王の変わりに【女白・眠草】はいるものの、此方へ話しかけてくる気配もなく、ただそこにいるばかり____。
(何か、この人……怖い――僕に対して口の悪い珀王のおにいちゃんの方が怖くないや……何か変なの――珀王のおにいちゃんがいないだけで……こんなにも……)
遠慮がちに、ちらりと視線を向けていた尹儒だったが、なるべく【女白・眠草】に気付かれないように気を払っていたにも関わらず――そこは、やはり童子。
誠に呆気なく、自分が視線を何度も向けているということに気付かれてしまい、慌てて真下に広がる畳へと目線を落とした。
「如何なされたのか……そのように他人の顔を見るのは失礼極まりないぞ。流石は、あの憎たらしい魄の血を引き継いだ童子だ……見ていて腸が煮えくりかえる。あの御方は何故に貴様を此処へ送ってきたのか……全くもって理解できない」
「は、は……はうえ……を知っている……のですか?」
目線を落としたまま、どうして苦手意識が拭えずに、たどたどしい口調で相手へと尋ねる尹儒。
しかし、その直後に全く予想していなかった出来事が起きた。
「……っ____!?」
「他人と話す時は……相手の目を見て、いや……顔を見て話せと貴様の母から教わらなかったのか?魄、魄……そう……魄だ――かつて、我を手にかけて命を奪った忌々しい存在である魄の息子である貴様をこのような好機ともいえる最中に何もせずに放っておく訳がなかろう。むしゃり、むしゃりと喰らうてやろうか」
口は笑っているのに、目が全く笑っていない【女白・眠草】が明らかに己に対して敵意をあらわにしながら規則正しく敷き詰められた畳の上に押し倒してきたのだ。
いくら童子とはいえ、自分の身に凄まじい危機が迫ってきているのは分かる。
「は、はうえは……っ____母上は人の命を奪ったりなんてしてない……絶対に……そんなことは……しない……っ____」
尹儒は大粒の涙を目に浮かべながら、必死で訴えかける。
それでも、【女白・眠草】の尹儒に対する敵意は全く和らぐことはない。
それどころか、先程よりも尚のことその憎悪は増しているように思えて本能的に目線を横へと逸らしてしまった。
すると、目線を移したそこに――ついさっきまでは無かった筈の物があることに気付いたのだ。それは、とても異様で不気味としか言えない物で尹儒は更に不安と恐怖を抱いてしまい無意識のうちに顔面蒼白となりつつガタガタと歯を鳴らしてしまうのだった。
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