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第44話

「そんなに信じられないか……流石は卑劣な手で我の命を奪った魄の息子――。だが、事実は変えられない……その証拠を、臆病者で愚かな貴様にも見せてやろうではないか」 氷の如く冷たい声色で、そう言うなり――郭内では見せたことのないような鋭い目付きで尹儒を睨み付ける。 そして、そのまま【女白・眠草】は怯える彼の首元を掴み上げつつ、まるで子猫の首根っこを掴んだ親猫の如く少し離れた場所まで引きずっていった。 どさっ____と、固い木の床の上に放り投げられるようにして強引に連れて来られた尹儒。 いくら高価な着物を身に付けているとはいえ、痛みが和らぐことはない。思わず涙が込み上げてきたが、目を瞑った途端に母の柔らかな笑顔と珀王の厳しい顔が思い浮かんで、ぐっと堪えた。 体を小刻みに震わせ、必死で恐怖を克服しようと試みる尹儒を嘲笑いながらいたぶるかのようにゆっくりと歩いてきた【女白・眠草】は顔を寸前にまで近づけた後に、目を閉じたままの獲物の顔へとふっと息を吹き掛けた。 すると、尹儒の意思に反して固く閉じた目が徐々に開いていく。 「目を開けよ……そして、こちらの目ん玉をしかと見つめるのだ。貴様の母である魄の――忌々しい本性が見えてくる……いずれ、貴様は亡き母の亡霊の存在が重くのしかかり、それに堪えきれずに死する運命を背負うことになる――あの御方の言う通り、禍厄天呪の呪いの予言とやらは――本物だ」 いつも通りにはいかないとはいえ体はかろうじて動かせることができるというのに、顔だけは地蔵になってしまったかのように僅かでも動かすことが出来ず、強制的に尹儒は【女白・眠草】の顔を真正面から見ざるを得ない形となった。 いや、顔というよりかは彼の【目ん玉】を見ざるを得ないといった方が正確だ。 夜空のように黒く丸い目玉の表面に、異変が現れる。 その表面に、はっきりと――ある光景が浮かんできたかと思うと、尹儒の頭の中にそれがその まま映し出されたのだ。 しかも、尹儒の頭の中に直接語りかけてくる声には聞き覚えがあるもので、ただでさえ怯えきっていた心に更なる恐怖が重くのしかかってくる。 ひとつは、今――怯えきった子猫のような力なき尹儒を押し倒し精神的に追い込もうとしてくる【女白・眠草】のもの。 もうひとつは、今の自分と然程変わらない背丈の童子のもの。尹儒が、幼い頃からほぼ毎日聞いていたもの。 どこかの牢の中に、二人はいるようだ。 そして、何か深刻そうな話をしているのだけれども尹儒にはよく分からない。 まだ精神的に未熟な尹儒に分かるのは、【女白・眠草】に似た人物が何かを言った直後に幼い頃の姿をした母は地に転がった武器を取り――そのままそれを振り下ろしたかと思うと、【女白・眠草】に似た人物は地に伏せてぴくりとも動かなくなった。 ぱんっ……と乾いた音が聞こえてきた後に、はっきりと意識を取り戻した尹儒は顔面蒼白となっていた。 「今のを見たな……そうだ、我は……貴様の母である魄の手によって命を落とし、成仏できぬままこの忌々しい郭へと流れついたのだ……現世に残りのうのうと暮らしている魄に幾度となく復讐をしてやろうとしたが、それは我の役目ではなく、あの御方の役目。もっと効果的にあやつを追い込める策を思い付いた――それが貴様だ。息子である貴様を追い込もば、あやつは後悔し無様な姿を晒すに違いない――死すら考えるだろうな」 今まで様々な負の感情がはびこる王宮にて過ごしてきた尹儒ですら、見たことのない恐ろしい鬼のような剣幕で吐き捨てると【女白・眠草】は白い肌とは対照的に真っ赤な舌を出しぺろりと唇を舐め上げる。そして、凄まじい恐怖と不安のせいで碌に身動きの取れない尹儒の体の上にのしかかったまま顔を自分の方へと力ずくで引き寄せると、そのまま自ら唇を尹儒の唇へと重ねてきた。 それだけでなく、なめくじのように動く舌を尹儒の舌へと絡めてきたのだった。

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