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第46話

* 尹儒が意識を取り戻した時には既に、永遠とも感じられるかのような長き夜は明けていた。 襖の隙間から漏れる日の光に照らされ、あまりの眩しさにて半強制的に目を覚ましたのだ。 ゆっくりと開けた目に真っ先に飛び込んできたのは、厳しい女将てなく、金にがめつく狸みたいな容姿の旦那が浮かべる呆れた表情ではない。 ましてや、この郭にて働き蟻の如く必死で身を粉にしえ働き続けている者――つまりは、他の花魁達や【女白】と呼ばれる禿達でもない。 尹儒に対して偉そうな態度をとり兄貴風を吹かせ、時々意地悪くからかう珀王が心配そうに覗き込んでいたのだ。 「……い、おい…………しっかりしろ!!母親を救うんじゃなかったのかよ……こんな所で――くたばってるんじゃねえよ」 「き、狐の…………お、にい……ちゃん?」 目を覚ましたばかりなのか、それとも自分が寝ている内に涙を流してしまっていたせいなのかは分からないが、仰向けとなって倒れている自分の手を力強く掴みながら必死で此方へ呼びかけてくる珀王の顔はぐにゃりと歪んでしまっていた。 そして、見知った相手が目の前にいる安堵感からか、はたまた相手が心を許せる存在の珀王だったからなのかは明確には分からないけれども、その光景を見て尹儒は思わずくすりと笑ってしまったのだ。 「な、何をいきなり……さては、お前……からかうために、わざとこのような悪趣味なことをしたのか」 「う……」 と、尹儒が珀王の言葉が違うということを告げようとした時だった。 『うん』 どこからともなく、自分とまったく同じ声が聞こえてきて、尹儒は慌ててしまう。咄嗟にその言葉を否定してみようと試みたものの、何度やっても上手くいかないのだ。 だが、 「まったく……悪ふざけも大概にしろ。さあ、これからまた不気味な夜がくる。母親を、探すために此処で頑張って働いていくんだろ?し、仕方ないから……最後まで付き合ってやるよ」 「うん、ありがとう……狐のおにーちゃん」 今度は、普通に言葉が出たため、安堵した尹儒は満面の笑みを浮かべて、今いる客用の部屋から籠の鳥と呼ばれる花魁専用の部屋まで戻るために歩いて行こうとする。 その逞しい背中を追い掛けながら、尹儒は珀王に対して特別な想いを抱き始めていることに気付いていた。 母である魄に対しての態度とは全く違い、自分に対しては意地悪を言ってきて粗暴な扱いをしてくるせいで、かつては苦手だと感じていた珀王に対して『これからも、ずっと側にいてほしい』と、ここ最近思い始めていたのだ。 むろん、まだ当の本人には照れくささのせいで口に出しては言えない。 しかしながら、いずれ己の想いを言える日がくるといいなと心の中でそっと願いながら尹儒は逞しく大きな珀王の背中を追い掛けて歩いて行くのだった。 * それから、何日かは穏やかな日々が続いた。 確かに、夜には奇怪なる妖めいた存在が郭内や街の至る所におり、相変わらず恐怖を抱いてはいたものの、隣にはほぼ四六時中といってもいいくらいに珀王がいてくれた。 更には、まだ童子である己に対して危害を加えようとしてくる者には(たとえそれが客だとしても)「近づくな」と睨み付けて威嚇してくれたり、本来であれば誉められることではないものの時には軽い暴力をもって尹儒から引き離してくれていた。 だが、尹儒の感情を激しく揺さぶるその事件は唐突に訪れた。 尹儒に何も言わず、更にはいくら納得せずとも共に働いてきた仲間ともいえる郭内の誰にも告げることなく、珀王はふらりと姿を消してしまったのだ。 ――

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