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第47話

* それから数日が経っても、珀王が尹儒の元に戻ってくることはなかった。 尹儒は共に過ごしていく中で唯一の理解者であり、口では意地悪な言葉を言いつつも側にいてくれた心を許せる珀王という存在が突如として神隠しの如く忽然と消えてしまったという事実に直面して糸の切れた操り人形さながらほぼ一日中呆然としていた。 むろん、お世話になってる郭の旦那や女将――それに【鬼灯花魁】を筆頭にした花魁や禿達を困らせないようにと仕事中は幾ら童子とはいえ、精一杯気を張り詰めていたが、それでもすぐに頭の中は意地悪かつ、ぶっきらぼうな珀王の姿で埋め付くされてしまう。 何時でも、何をしていても尹儒の頭の中に思い浮かぶのは《狐の面をつけ憎らしげに意地悪をいうお兄ちゃん》であった珀王の面影だ。 以前までは、幼い尹儒の頭の中には母である魄の面影ばかりがちらついては砂のごとく儚く消えていた。それを何度、繰り返したことか。 けれど、いくら尹儒が珀王の面影を掻き消そうと努力してみても、それは中々消えずにどんどんと悲しみと愛しさが増すばかり____。 『まったく、めそめそしてばかりで情けない奴だな……』 今は、怒鳴りつけるかのような凄まじい剣幕で言い放ってくれる存在は側にはいない。 そのことが、途徹もなく心苦しく――ただ、ひたすらに恋しい。 そんな風に、もはや腑抜けと化してしまった尹儒は周りの花魁達(ただし鬼灯は除く)からも、花魁の身の周りの世話をする【女白】、【鈴女】――所謂《禿》達からもほとほと愛想をつかされてしまっていた。 それでも郭から追い出されなかったのは、少なからず尹儒の立場に同情してくれた【新月・鬼灯花魁】のおかげなのだと尹儒はほぼ一日中呆然とし腑抜け同然となりながらも理解していた。 (このままじゃ駄目、なのに____狐のおにいちゃんが帰ってきたら、鬼みたいに怒られるに決まってるのに____それに、心なしか体もだるい……) ここ数日、尹儒は珀王がいなくなった件とは別に、心だけでなく体にもだるさを感じて更には食欲も以前よりかわかないことにも悩まされていた。 しかしながら、これも全て珀王が自分の前からいなくなったことのせいだと考えた尹儒はその辛さを必死に押し潰して彼を探し続けて町中をさ迷い続けていたのだ。 今、どこか得たいの知れない場所にいる珀王の方が怖く辛い思いをしているに違いないのだから、これしきのことで屈してはいけないと多少無理していたのだ。 けれども、流石にそろそろ休まなければと尹儒は部屋に敷いた布団へと潜り込み、そのまま母と珀王の面影を抱きつつ涙を流しながら瞼を閉じた。 唐突に襖が開いたのは、その直後のことだ。 布団にくるまれているとはいえ、開かれた襖の隙間からもれでてくる寒気が容赦なく尹儒を襲う。 かつて母と共に過ごしてきた現実の世界と違って、この奇妙な世界では四季が曖昧だ。先日は夏の日差しが照りつけていたかと思えば、その次の日には雪景色に包まれるといったあり得ないことも、この奇妙な世界では同然のように起こるのだ。 来たばかりの時は戸惑っていたが、それもすっかり慣れてしまって何とも思わなくなった。 しかしながら、唐突に現れた来訪者については驚きを隠せずに目を丸くしながら見つめ続けることしかできない。 そこには、【新月・鬼灯花魁】でもなく、【女白・金魚草】や【女白・眠草】でもなく、ましてや他の花魁や禿達でもない、得たいの知れない男が、にへら、にへらとだらしのない笑みを浮かべながら立っているのだ。 しかしながら、不思議なことに嫌悪感はさほど感じない。 豆鉄砲をくらった鳩さながら驚きふためいていて気まずさを抱いているにも関わらず、何故か目を離せずに真っ直ぐ見据えてしまっている尹儒の元に男は一歩、一歩近づいてくるのだった。

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