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第49話

* また、あの不気味で得たいの知れぬ《夜》がやってくる。 それも音もなく――ひたすら静かに、ゆっくりと。 口では文句ばかり言いながら人一倍金にがめつく頑固な郭の旦那も、そして傷心しきっている自分を何だかんだ気にかけてくれている性根は優しい女将も今宵は『非番にするから休んどき。ただし回復したら、その分がむしゃらに働いとくれよ』と周りの花魁や禿達に知られぬようにこっそりと耳打ちしてくれた。 だからこそ、尹儒は【蛇之・愚生】との待ち合わせまで泥に埋もれた土竜のように、たっぷりと眠り英気を養うことが出来たのだ。 不思議なことに、最初はあれだけ不気味がっていた【蛇之・愚生】によって『夜に神室屋という郭に来るように』と説得されただけで、曇りきっていた尹儒の心は穏やかになり、少なくとも食欲に関しては回復した。 実に、二日ぶりの食事だ。 女将さん手造りの握り飯をがつがつと頬ばりながら、尹儒は沢山泣いた。 これ以上は泣けっこないというぐらいに大粒の涙をこぼして目を真っ赤に染めた尹儒は、健康を気遣ってくれたのか、かなり味付けが薄かった握り飯の味が自分の流した涙によって大分しょっぱくなったのを感じながら――更には普段は厳しい女将さんなりの愛情を感じながら二つの塩握りを完食したのだった。 そして時が経つにつれ、徐々に空は墨汁を吸った紙の如く闇に染まりゆき、妖人達が街を練り歩く気味の悪い《夜》がやってくる。 * 《影ゆら》と呼ばれていた、顔もなく服さえも纏っていない黒いうねうねしたもの達が街を練り歩く。 《影ゆら》に踏まれないように身をくねらせながら転々と路上にて蠢きつつ【てけ、た……す……す……け、てた……】などと永遠に小さく悲鳴をあげている蛭のような存在。 更には、それらをひたすら踏み続け、人語とは思えない不気味な単語を永遠にどこかへ向かって吐き続けている、頭が豚で体は人間かつ醜い妖人達。 よくよく見てみると、豚頭だけでなく熊や獅子といったものもいるが――共通するのは、どれも強そうにみえることだ。 地に這いつくばりひたすら赤く染まった海水を飲み続ける鼠の頭に体は人間といった何がしたいのかよく分からない妖人達。 【夜】が訪れてからというもの、たっぷり身を休めて英気を温存していた筈の尹儒の心は既に折れかかっていた。 最初の【夜】とは違い、今の尹儒はたった独りで、このおぞましい《呪い》に犯された元人間達の残酷すぎる末路を目の当たりにしなければならない。 そして、それを拒絶したりせず、はたまた臆病風に吹かれて逃げたりせずに《虚構》としてではなく《現実》として自分なりに認識しなければならない。 己の脆い硝子のような心から無限に涌き出てくる恐怖心を受け流さなければならないのだ。 そうでなければ、最愛なる母だけではなく――大切な欠けがえのない新たな存在である珀王を見つけ出し更には救うことさえできないのだ。 そのためには、街に巣食う《妖人》にとってニンゲンの童子でしかない己の身を隠したりはせずに生身のまま通り過ぎて行く【強さ】を持たなければ、これから長く続く生の中で人を守っていくことなどできないだろうと確信した尹儒はがくがくと足は震え、勝手にかち、かちと鳴る口元を何とか強引に閉じた。 そして、尹儒は強く拳を握り締めると珀王の行方を探し出して更に以前よりも強くなった己の心を恋慕する彼に認めてもらうべく【ニンゲンようでそうではない彼ら】の蔓延る街へと踏み出そうと勇気を出して一歩を踏み出すのだった。

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