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第51話

「はてさて、これからどうするも……お主の気のままにというわけなんさ。一応、忠告はしといたんさね。あと、ほんの僅かな助太刀もしておくさかいに……われは、これにて失礼するんさね……ああ、ほれほれ――いつまで寝ているんさ?」 両足とも何処かへ向かって軽々と放り投げ、足元には何も履いていないにも関わらず、からんっ――からんと下駄の音をさせながら、不思議な現象が起きたせいで呆然とするばかりの尹儒に向かってではなく、これまた明確には何処ともわからない空中に向かってぽつりと呟いた。 尹儒の目には、何も見えていないというのに【謎の存在】は誰かがそこにいると言いたげに極自然と呟いたのだ。 その後、【謎の存在】は気の向くままに先程放り投げて地に落ちた片方の下駄へと軽快な足取りで飛びはねながらる寄っていき、更にはそれに口を近づけると、ふうっと息を吹き掛ける。 すると、その下駄は人間のように命が宿ったかの如く、ぴょこんと飛び上がる。 からん、ころんっ……からんっ____と音を響かせながら、今しがた起こった光景を目の当たりにして信じられないとばかりに目を擦る尹儒を置いてきぼりにしないように絶妙な間をおきながら、此方の存在に気付いていない【影ゆら】やら【妖人】とは反対の方――つまりは誰もいる気配のない裏路地へ向かって進んでゆく。 むろん、尹儒は慌てて真っ赤な下駄を追い掛けていく。 * ふと、その真っ赤な下駄は裏路地を暫く進んだところで不意にその奇妙な動きを止めた。 それどころか、その姿形さえも風に吹かれた砂の如く一瞬にして消え去ってしまったのだ。 尹儒は、正真正銘――またしても独りとなってしまった。 しかしながら、決してもう泣きはしないと裏路地を歩いている最中で唇を噛みしめながら心の中で誓っていた尹儒は不安に耐えつつも【神室屋】なる建物を探し始める。 じゃり、じゃりと尹儒が砂利を踏み締める音ばかりが辺りに響いていたが、突然――カラカラという余り聞いたことのない音が聞こえてきた。 あまり聞いたことのない音だけれども、決して初めて聞く音ではないそれに興味を惹かれた尹儒。 むろん、恐怖心もあったし早く珀王を探さなければ――という焦燥感もあるものの、どうしても己の本能がこの音を無視するなと告げてきているような気がして自然と足が音の方へと向かっていく。 尹儒以外には誰もいない裏路地に、崩れかけた出店らしき建物があることに、ようやく気付いた。 そして、出店に並べられた白と黒の沢山の風車____。 その光景を見て、かつて母である魄に手を引かれ、平民街まで買い物に行った記憶がよみがえる。 その際、息を吹き掛けると鳥の鳴き声が吹き出し口から聞こえてくる魅力的(とその時は思っていた)な玩具――【烏鳩の鳥笛】が欲しいとねだりにねだったのだが、母は一言「あれは……駄目です。あなたの手に渡るのが――何だか、とても不吉な気がして胸騒ぎがするのですよ」と、ぴしゃりと強く言い放ったため泣く泣く諦めたのだ。 「その代わり、これなら良いですよ。この風車です。ほら、こうして息を吹き掛けるとくるくると回るって面白いでしょう、尹儒?」――母はそう言って、ふわりと優しく微笑みながら桜色の風車を買ってくれた。 (そういえば、あの……かざぐるまは……何処にいっちゃったんだろう――おうちに帰ったら――探さなきゃ) そんなことを思い出しながら、尹儒は本来の風車のように右回りではなく、逆の左回りに動く《不思議な風車》をひとつ手にとって、かつて母がしてくれたように、ふうっと息を吹き掛けてみる。 尹儒自身は、その行為に対して特に意味などないと思っていた。 単なる好奇心で、かつての母がしてくれたように真似をして息を吹き掛けてみようと思っただけのことだった。 しかし、その直後――急にどこかすぐ近くから何かが焼け焦げたような微かな匂いと、それに混じって魚が発する独特な生臭さが尹儒の鼻腔を刺激してきたのだ。 魚の生臭さの方が、焼け焦げたような匂いよりも僅かながら上回っているような気がする。 いずれにせよ、それらはとても嫌な匂いのため尹儒は極自然に顔をしかめてしまった。 それと同時に咄嗟に手で鼻を摘まんでしまう。 しかし、よくよく考えてみればこの不快な二種類の匂いでさえも、見知らぬ土地に放り出され、なおかつ珀王の行方に関する手掛かりのひとつだともいえると思い直した。 そのため、鼻がもげそうになりそうな不快な匂いに襲われようとも、尹儒は吐き気を必死で堪えながら匂いの元となる場所へと向かって、ひたすら歩いてゆくのだった。

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