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第57話

* 白い光に導かれ、そのあまりの眩しさから半分開きかけている目で辺りに散らばった壺の残骸を視認すると、うつ伏せ状態となった尹儒はずりずりと地を這って蝸牛の如くのろのろと移動していく。 そして、ほぼ自然にひときわ目映く光り輝く【大きめな壺の破片】に恐る恐る手を伸ばして、それに触れた。 すると、その直後――先程とは比べ物にならないくらいに強烈な白い光が、かっと一瞬にして辺りを包み込んだ。 咄嗟に両目を閉じて、その直後に訪れた異様な静寂に訝しさを感じながらも、ゆっくりと目を開く。 すると、訳も分からず立ち尽くす尹儒の瞳に見覚えのある懐かしい光景が飛び込んでくる。 かつて、母と共に何度も目にした桜の木。 満開という訳ではないものの五分咲き程だろうから、そよ風が吹く度にひらり、ひらりと辺りに花弁が舞っている。 そして、その桜の木の真下で母である魄が穏やかな笑みを浮かべながら、此方へと振り向いたのだ。 『ああ……、ようやく起きたのですか――尹儒。さあ、父上があなたを待っていますよ……あの桜の木の下で首をながーくして待っているのです。かつては私の親友かつ理解者であった泥棒である薊と真の家族である私達とを天秤にかけながら待っているのですよ。私達の居場所__つまり、あなたの父上であり現国王のすぐ側という居場所を私達から奪い取るために。とんだ、泥棒猫――おかげで、かねてより計画していた家族旅行が台なしになってしまいました。ほら、ご覧なさい……』 まるで仮面をつけたかのように変わり映えのない穏やかな笑みを浮かべてくる母はそう言った後に、ある場所を指差してきた。 母の指差す場所に、またしても見覚えのある人物がうつ伏せとなって倒れている。微動だにせず、ぐったりと横たわるのみで言葉を発することさえない。 『泥棒猫、泥棒猫――私と愛らしい尹儒の居場所を奪いたがる泥棒猫。家族という絆を犯そうとする泥棒猫――。そもそも薊なんて拾わなければよかった。あの時、逆ノ目郭に置いてきぼりにしていれば___そうすれば、この大切な……私にとって欠けがえのない《燗喩様と愛らしい尹儒の隣》という居場所を汚され奪われかけることなどなかったのに……あの女狐にも邪魔者扱いされずにすんだのに……っ____』 尹儒は、本能的に察した。 目の前にいる母は偽物とはいえ、完全に偽物とは言いがたいと。 姿は偽物だけれども、その心の内は決して偽りなんかではないと。 優しい父である燗喩は絶対に家族である魄と尹儒を裏切ったりはしないと確信していたため、必死で首を左右に振り、その忌まわしい言葉を否定する。 しかし____、 『分かっていますよ、尹儒___あなたはまだ幼いから私の言葉が分からないだけですよね。あなたは優しい子。だから、尹儒……あなたは泥棒猫である薊を許そうなどという愚かな選択などしない。私はあなたの母だから分かっています。さあ、しぶとい泥棒猫に裁きを下しなさい――あなたの手で____』 目に涙を浮かべながら、尚も首を左右に振り続ける尹儒____。 それは、先程までは微動だにしていなかった薊の体がぴくりと動いて、頭を上げて尹儒を見つめてきたからだ。とてもじゃないが、目の前の母が言うような【泥棒猫】らしからぬ慈愛に満ちた瞳で見つめられた尹儒はどうしても目の前にいる母の言葉を受け入れることが出来ない。 弱りきった薊は、姿も心も偽物じゃなく必死で生きようとしている。 今の尹儒と珀王のように囚われ、迷子となっている____。 だから、何としてでも救わなくてはいけないのだ。 そして、ある決意をした尹儒は衣が汚れることさえいとわずに地をのろのろと這っていき、ひときわ大きな壺の残骸である欠片を震える手で持つと、それを地に伏す【泥棒猫と呼ばれていた薊】や【本音を語る母の魄】ではなく、まるでこの世を支配するのは己だといわんばかりに狂ったように咲き誇る満開の桜へ向かって渾身の力を込めて投げたのだった。 *

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