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第68話

* 「……い、おい……っ____先程から何を呆然としているんだ?心ここにあらずといわんばかり。まさかとは思うが、未だに体調が優れないのか?」 ____と、ふいに尹儒は珀王から声をかけられて我にかえった。 つい、己の世界へと没頭してしまっていた。 王宮にいた頃は、よく母である魄から「他の人と会話をしているのに時たま呆然としているのが、貴方の悪い癖です。人の目を見て話をきちんと聞きなさいと言っているのに……いつ治るのでしょうね」と叱られていた。 何かひとつでも、気になることができてしまうと、たとえどんな状況であっても考えてしまうという癖が止められない。 かつては、よく「まあまあ、尹儒様はまだ童子だから致し方ないのでは?」と付き人や教育係の守子達から庇ってもらってはいたものの、確かに自分は時として妙に考え過ぎてしまうことがあると童子ながらに気にかかってはいたのだ。 その悪癖が、また出てきてしまった。 最近は、なりを潜めていたというのに____。 しかしながら、今回についてはその原因が、はっきりとしていた。 (きっと、ううん――こんなに心がもやもやしているのは……絶対にさっき鬼灯花魁から禍厄の呪いという言葉を聞いたから____それがどんなものであるか、聞くことさえ出来れば____でも、本当に聞いてもいいのかな) 少し前に珀王と共に【新月・鬼灯花魁】と【女白・金魚草】がいる間を後にして別れた後、気分転換に郭の中庭へと訪れた尹儒は色も情緒もない桜の真下にて腰掛けている最中だ。 「それとも、何か気にかかることでもあるのか?今のお前の様は、まるで何かにとり憑かれているみたいだぞ?」 「あ、あのね……実は____」 尹儒は、珀王にだけは自分のことを分かってもらいたいが故に悶々としている思いを打ち明けることにした。 尹儒の言葉を耳にした途端、珀王は眉間に皺を寄せ、暫しの間沈黙する。 しかし、ふいに尹儒の肩を力加減を調整しつつ、僅かばかり強めに掴むと、自らの方に尹儒の目が合わさるように体の向きを変えさせた。 「は、珀王のおにいちゃん……なにか怒ってる?」 言葉にせずとも、明らかに珀王が正に今――快い気持ちを抱いているとは言い難い状況なことに気がついた尹儒は彼の気持ちをこれ以上悪いように刺激しないように遠慮がちに上目遣いがちに見つめつつ、おそるおそる尋ねてみる。 「……った…………!!」 尹儒が思わず変な声を出してしまったのは、真っ正面に向き合って尚且つ目を合わせていた珀王が突如として此方の額へ中指と親指で輪を作り、更には弾いてきたからだ。 まさか、そのようなことになるとは露知らず一瞬とはいえ痛みが襲ってきたせいで、面食らってしまった尹儒は思わず両目を瞑り、両手で額を庇いつつ僅かばかり涙を浮かべてしまったのだ。 ひりひりとした痛みが少しの間、続いていたが――それよりも珀王の怒りが未だに続いていて眉間の皺が戻っていないことに気がついた尹儒は萎縮してしまい黙ることしか出来ない。 「何故に、俺が怒っているのか。そんなどうでもよいことを聞く前に、尹儒よ……お前には意思というものがないのか?王宮にいた頃から、時たま見てはいたが、お前は他人に頼ってばかりだ。知識の少ない童子だから多少は致し方ない。それに他人に対して力を頼りにするだけならばまだしも、未熟ながらも自らで考えてみて答えを出してみるという一連の行為を全くしないのは、傀儡――感情のない人形も同然だ。どうすべきか他人に聞く前に、するべきことがあるだろう?」 珀王は、皺を寄せていた眉間を緩める。 そして呆れ果てたといわんばかりの表情を浮かべてから、すっくと立ち上がると、本来ならば持つ華やかさなど微塵も感じられない桜の木が植えられた場所から少し離れた右側にある池へと向かって歩き始める。 珀王は決して澄みきってるとはは言い難いものの、かろうじて清潔は保っているであろう池の水に布を浸すと、そのまま何度か擦るという行為をする。 そして、再び尹儒の元へと戻ってくる。 「尹儒よ……俺は、その____」 「え……っ…………?」 珍しく、もごもごと口ごもる珀王の仕草を見て尹儒は戸惑いの色を浮かべてしまう。しかし、それからすぐに額に冷たさを感じて驚きながらも此方を見つめてくる珀王の顔を見据える。 「俺は、お前に対して、このような哀れな様にはなってほしくはないんだ。お……っ………お前には強くも美しい――かつての、この桜の木のようになってほしい。むろん何でもかんでも悩みを抱えこみ、自らで考えぬけとはいわない。だが、心の底から大事だと思うことは自らで考えて行動できるような……そんな姿でいてほしいのだ」 珀王が額へと当ててくれた布は水で湿っていて、ひどく冷たい。だが、尹儒の心はじんわりと暖かい。 「だが、誤解はするなよ。俺は、お前を守る………それは、お前が魄様の息子だからだけじゃない。俺が、お前を心の底から愛おしいと……これからもずっと共に生きていきたいと願っているからだ。尹儒よ、もしもこの狂った世界から出て魄様と再会した、その後で……俺と御身契りの儀を交わしてはくれまいか?」 尹儒は、泣きそうになるのをこらえながら何度か首を縦に振る。 悲しいわけでも、不快なわけでもなく――心から嬉しいと感じたからだった。

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