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第7話

 乗ったときは比較的余裕があったのに、品山駅で急に混雑した。  四月はまだ山手線に乗り慣れない人が多くいて、均等に間隔をあけて混雑を緩和させることが難しい。  稜而は流れ出る人となだれ込む人の隙をついて、優先席の前、車輌の連結部近くに立って、リュックサックを網棚に載せ、両手で吊り革に掴まった。 「稜而、サバイブするの上手いね」 ホッと息をついて倫が笑顔になるのを見ながら、稜而は素っ気なく返事をする。 「ただの慣れだよ」 窓の向こうを流れる景色は灰色で、東京駅を出る頃には窓ガラスに水の線が斜めに走った。稜而はさり気なさを装って訊く。 「倫、傘は持って来た?」 「持って来たよ。駅から学校まで、入れてあげる」 稜而は網棚にある自分のリュックサックのサイドポケットの膨らみから目を逸らし、窓の外の雨を見ながらうんうんと頷いた。  しばらく並んで窓の外を見ていたが、隣に立つ倫が不自然に身体をねじり、稜而の肩にぶつかってきた。 「ご、ごめん」 「大丈夫?」 「平気……。…………じゃ、ないかも?」 「どうしたの?」 「誰かのカバンがあたってて、変な感じ」 困ったように笑って、混雑が続く車内で精一杯身体の向きを変えようと肩を揺する。 「どこにあたってる?」 「お尻のところ」 「退かすよ。これから尻に触るの、僕の手だから」 「うん」 腰からそっと尻に手を撫で下ろしたとき、稜而の手に触れたのはカバンではなく、人間の指だった。  痴漢だ! 稜而の頭は怒りで瞬間沸騰し、その指を掴んでいた。 「何やってんだ」 声変わりがまだ完全には終わっていない自分の喉から、こんなに低い声が出るのかと驚きながら、絶対に離すまいとその指を掴み続けた。  相手は稜而の手のひらに爪を立て、次に稜而の手から指を引き抜こうともがいた。稜而は相手の指なんか折れたって構わないから、絶対に逃すまいとその手首を掴み、魚を釣り上げるように自分の手元へ手繰った。  黒いジャケットと思ったのは学ランで、袖に幅の異なる二本の金のラインが入っていて、それは稜而と倫が着ているものと同じ学ランだった。 「先輩……っ」 学ランの上には、剣道部で主将を務める高校二年生の先輩の顔が乗っていて、鋭い視線で睨みつけられた。 「痛てぇな。何の用だ? さっさと離せよ、稜而」 「お、押忍。友人の身体を触ってる痴漢だと思いました」 たとえ先輩であれ、その一言だけは口にして、釘を刺しておきたかった。 「冤罪だ。証拠あんのか。適当に俺の手を掴んで騒いで、先輩を犯罪者に仕立て上げるつもりか、てめぇ」 「……っ、それは……」 稜而が言葉に詰まった瞬間、倫が明るい声を出した。 「ごめんなさい。僕が勘違いして、稜而に痴漢されてる、助けてって言っちゃったんです。稜而に先入観を持たせちゃったのは僕です。偶然、先輩の手があたってただけだなんて思わなくて。朝から不快な思いをさせてすみませんでした。稜而も僕の勘違いに付き合わせちゃってごめんなさい」 混んでいて隙間ができないはずなのに、主将と二人の間には空間があり、倫は背筋を伸ばして頭を下げた。 「事情はわかった。男のクセに簡単に痴漢だなんて騒ぐんじゃねえぞ」 「はい。お騒がせしました!」 倫は素直に謝った。 「ごめん、稜而。人いきれがすごいから、次の駅で一回降りて、水を飲んでもいいかな?」 倫はそう言うと、次の駅で稜而を連れて降りて主将と離れた。 「絶対、意図的に触ってた! だから、倫のお尻を撫で下ろした俺の手とぶつかったんだ」 「僕も途中から触られてるって思った。でもプライドが高い人は、そのプライドを傷つけられると荒れ狂うから、直接対決はしないほうがいいよ。あとで報復が怖いことも前置きした上で、先生に事実だけを話そう。僕ももう触られたくないし、痴漢って犯罪行為だからね」 倫が自販機で買ったミネラルウォーターのペットボトルを、怒りで熱くなった稜而の頬に押し付けて冷やしてから、そのミネラルウォーターを二人で分け合って飲んで、気持ちを切り替えた。 「稜而に触られるのは、全然嫌じゃなかった」 「痴漢じゃないし、先に触るって宣言したからじゃないかな」 「合意してればいいんだね」 「一方的なのは、誰だって嫌なものなんじゃないのかな。よくわかんないけど」 「稜而にだったら、いつでも合意しちゃうな。気持ちよくなっちゃったりして」 「なっ、何を言ってるんだ」 カッと顔を赤らめた稜而の隣で、倫は明るく笑っていた。

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