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第16話
二校時目は体育で、稜而はグラウンド脇のベンチに腰を下ろした。
中学卒業の日に咲いていたソメイヨシノの花は跡形もなく、今は紅を隠した茶色い枝に柔らかな若葉が萌えている。
サイドに白のラインが入った紺色のジャージを着て、倫は体育委員の号令に合わせ、ストレッチを始めた。
伸ばした足を反対側の足で跨ぎ、山型にした膝に肘を重ねて、後方へ身体をひねる。
そのとき、倫の視線は稜而に向いて、目を細めるだけの素早い笑顔が投げ掛けられた。
稜而は無意識に息を止め、呼吸を再開させたときにはもうストレッチは次の動作に移っていた。
「どうしよう」
ふうっと前髪を吹き上げ、淡い色の空を見、その清々しさに耐えきれなくなって膝のあいだに頭を突っ込み、排水溝の蓋を見た。檻のような金属の格子の向こうには、僅かに溜まっている雨水がきらきら光り、春の空と稜而のシルエットが映る。
「囚われの身。男子校って感覚が変になる」
はっきりと言葉にして自分の耳にねじ込んだが、顔をあげればすぐに稜而の目は倫を見つけ、バスケットコートの外側でほかのクラスメイトと談笑する輪の中へ自分も切り込んで行きたい気持ちが湧く。
ぐっと堪えてコートの中で展開されるゲームに注目し、跳ねるボールの行方を追った。
ゴールの枠にはじかれ、二度、三度とボールが飛んで、ネットを抜け落ちるとすぐさま反対側のゴールを目指して生徒が動く。部活動に比べれば緩慢な動きだが、とにもかくにもボールを見続ける。
「バスケ好きなの?」
すとんっと隣に倫が座って、稜而は真横に飛び退いた。
「びっ……くりした……」
「来月ピアノの発表会を控えていて、突き指したくないから試合は見学」
「あ、そう」
倫は一緒になってバスケットボールの試合を見ながらサラリと問う。
「僕がほかの人と話してて、ヤキモチ妬いた?」
「え、ヤキモチ? そっかヤキモチか。妬いたかも知れない。気分はあんまりよくなかった」
素直に認めてうんうんと頷くと、倫は満面の笑みを浮かべた。
「そんな心配しなくたっていいのに」
「心配じゃないけど、楽しそうでいいなと思った」
「今は二人で喋って、一緒に楽しいからいいよね?」
顔を覗きこまれ、稜而は見返して頷いた。
「うん」
倫の笑顔が春の陽を受けて輝くのをぼんやり見ながら、稜而はもう一度心の中で呟いた。
(男子校って感覚が変になる)
チャイムが鳴って、稜而は強く頭を振り、松葉杖を両手に立ち上がった。
「ねえ、発表会で弾く二曲目なんだけど、どっちがいい?」
カナル型イヤホンの片方を差し出され、稜而は自席に横向きに座り、後ろの机に頬杖をつく。
「三分以内の曲にしたいんだ。候補が二曲あるから聴いて」
一曲目は低音が鳴り、不協和音が響く。ジャズとは違うが割り切れないテンポに緊張を強いられて息が詰まる。
二曲目は対象的に優雅で華やかで、桜の花がたくさん舞い落ちる中からメロディが浮かび上がってくるように聴こえた。春の甘い空気を胸に吸い込みたくなる。
「俺は二曲目がいいな。一曲目は息が詰まる。今朝弾いていた曲と似て聴こえるし」
「うん。じゃあメンデルスゾーンにする」
「メンデルスゾーンって誰だっけ?」
「ドイツ・ロマン派。国は違うけどショパンやリストと同世代の作曲家だよ。ドイツ・ロマン派は、ほかにシューマン、ワーグナー、あと教則本で有名なバイエル、ブルグミュラー。ほかにもいるけど忘れちゃった」
「ブルグミュラーくらいまでは習った気がする」
稜而の呟きに、倫が前のめりになった。
「ピアノ弾けるの?」
「ひ、弾けないよ。もう全然覚えてない! 指も動かない!」
自分の脳裏に浮かぶ何の不安もなかった頃の思い出を振り払うように、稜而は首を左右に振った。
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