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第22話
「はあっ、恥ずかしかった」
倫は大きく肩を上下させ、肺に溜め込んでいた空気を吐き出して笑った。
稜而も短い前髪を吹き上げ笑ったが、すぐにしかつめらしい表情を作った。
「別に俺たちは両思いなんだし、恥じることなんてしてない」
「そうだね。両思いの二人だったら、キスするのは自然なことだね」
倫は笑って髪を振り、目の前の祭壇画に視線をやった。左右に扉を開く三連の祭壇画は、中央にキリストの磔刑が描かれていた。
「みんなの罪を背負って磔になるくらい、愛の深い人なんだって」
「ふうん」
稜而の目に、手足に釘を打たれグッタリしたおじさんの姿を描いた絵画は、ただのグロテスクで悪趣味としか映らず、祭壇画からは目を背けた。
倫は小さく笑って立ち上がり、稜而に松葉杖を差し出す。
「稜而の好きな作品を探しに行こう」
「俺、好きな作品なんてないよ」
「だから、これから探すんだよ」
森を散策するように倫は美術館の中を歩き、目につく作品を指さしては、稜而の顔を見て足を止めた。
しかし稜而はどの作品を指さされても、興味を惹かれることはなく、倫が足を止めれば一緒に止まるものの、首を傾げるだけだった。
「絵は興味なさそうだね」
倫が苦笑すると、稜而も短い前髪を吹き上げて笑った。
「手足に釘を打ち込まれた痛々しい姿か、こっちを見てる人間か、ぼんやり焦点の合わない風景ばかりだ」
「稜而、それって印象派までの西洋美術全否定だよ」
肩を落として力なく笑う倫と、松葉杖と自分の身体を交互に進める稜而は、常設展を一周して前庭に出た。
恥ずかしさから逃れたい一心で館内へ駆け込んで、見逃していたブロンズ像に目を向ける。
「あれが『考える人』、これが『カレーの市民』、それが『地獄の門』!」
倫は三方向を指さし、その中でも一際大きい地獄の門へ向かって歩いた。
稜而は俯いて考え込む男と、うなだれて立ち尽くす群衆と、気味の悪い装飾がしつこい程に施された門を見て、また短い前髪を吹き上げる。
「西洋美術って、幸せになっちゃいけないの?」
稜而の疑問に、倫は声を立てて笑った。
「そんなことはないと思うけど、メメント・モリ(死を思え)が好きなのかなとは思う」
「そんなに死ぬことばかり考えなくても、死ぬより先にやることはいっぱいあるだろ」
「ヤルこと?」
倫が笑い、稜而は苦笑する。
「考えすぎ。でも、ヤルことも生きてる間にすることだな」
地獄の門から目を外し、ベンチに座って青く澄んだ空を見た。
「こんな気持ちのいい場所で死ぬのは、最後にいい景色だったと思って幸せなのかな、それともまだまだ美しい風景を見ていたいと残念に思って不幸せなのかな。そう考えることが、メメント・モリ?」
疑問を素直に口にしていたら、ベンチの上に置いていた手にそっと倫の指先が触れた。稜而はかっこつけて動揺を隠し、手元を見ないまま、倫の指を探って絡め取った。
「もし僕がおじいさんになって死が訪れるときには、稜而に手を握っていてほしいな。愛し合うおじいさん同士、手を繋いで『ありがとう』『愛してる』なんて言い合いながらお別れしたら、きっと素敵だよね」
稜而は驚き、隣で空を見上げている倫の横顔を見た。
「ダイヤモンドのコマーシャルの『愛は永遠の輝き』みたいな考え方だ。本当にそんな考え方をすることってあるの?」
「あるんじゃない? 共感を得るから、ダイヤモンドのコマーシャルは『愛は永遠の輝き』ってコピーを使ってるんだと思うけど。そういう考え方は嫌い?」
「サンプルがなくてわからない。両親は離婚しているし、祖父母は政略結婚だし。仮に愛し合って結婚したとして、死ぬときまで『愛してる』なんて思い続けられるのかな」
稜而は再び空を見上げ、感じるままを口にした。
「果てのない宇宙にも果てがあるらしいのに、こんな薄い大気層の内側で小さくうろうろしているだけの人間が、たった数十年生きる間に『愛は永遠の輝き』なんて言って、小さな鉱物を指の上に光らせてはしゃいでいるのは、滑稽に思える」
「稜而ってシビア!」
倫は空に向かってボールを放り投げるように言ってから、改めて稜而の手をしっかり握った。
「自分たちで証明すればいいんだよ。稜而は死ぬときに『永遠の愛は本当だったな』って実感して、僕の手を握りながら死ねばいい。そう思って死ねるように、生涯掛けて幸せにしてあげる!」
稜而は笑いながら倫を見たが、倫は真面目な顔で稜而を見ていた。
「ええと。こういうとき、どうすればいい?」
「愛を込めてキスをすればいいと思う」
真剣な声で返されて、稜而は倫の唇に自分の唇を触れさせた。
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