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第25話

 倫と一緒に父親がやってきた。 「稜而、救急箱を持って来て」 キッチンに置いている救急箱を手に引き返すと、父親の横顔は曇っている。  稜而は父親に言いつけられるまま、祖母の腋窩に体温計を差し込み、血圧計を巻きつけて計測ボタンを押す。その数値を倫がメモした。  救急箱から取り出したペンライトで祖母の左右の目を交互に照らしたり、人差し指を立てて何本に見えるかを訊ねたりして、父親は頷き、祖母から目を逸らさずに言った。 「救急車を呼ぼう」  まだ足首を固定している稜而では心許なく、父親と倫が手かせをして、祖母を玄関まで下ろした。稜而は毛布を片手について行き、玄関先に縦長に毛布を畳んで敷いて、そっと祖母を寝かせる。 「診察券と保険証はどこにある?」 「箪笥の一番下の引き出しよ。……稜而さん、知ってるわよね」 うわうわと不明瞭に喋る祖母の言葉を聞き取り、稜而は祖母の箪笥部屋へ行く。いつも祖母が通院するときに持ち歩いている縮緬の診察券ケースを取り出した。  小さい頃、よく祖母が通院するのに付き添って、何度も見たケースだ。整形外科の待合で、常連とお喋りする祖母の楽しそうな声を聞きながら、本を読んで過ごしたことを思い出す。  引き返すと、救急車のサイレンが近づいていて、倫は父親に指示されて門の外へ誘導に出た。  広い玄関の中までストレッチャーが運び込まれ、父親が状況を説明し、その間に祖母は毛布ごとストレッチャーに乗せられた。下半身はタオルケットで覆われ、ベルトで固定されて、口を開けて待つ救急車の中へ収容されていく。 「では、大咲ふたば総合病院に受け入れを確認するということで。診察券番号、お分かりになりますかね」 保険証ケースを預かった救急隊員が救急車の中へ入っていく姿を見送ると、父親は稜而のほうを向いた。 「お母さんのライブに行くんだろう? あとは私だけで大丈夫だから、気にせず行きなさい。夕食は倫くんと一緒にどこかで食べておいで」 財布から取り出した紙幣を渡されて、稜而はようやく告白した。 「おばあ様はライブのフライヤーを見て、ああなっちゃったんだ」 「それは偶然だよ。気にしなくていい」 父親の即答に、稜而は少しだけ気持ちが軽くなった。 「おばあ様、大丈夫かな」 「発見が早かったし、命に関わる状況にはならないと思う。後遺症については、私は専門外だし今は何とも言えないけれど。……こっちのことは父さんが引き受けるから、稜而はライブを楽しんでおいで」 稜而が返答に躊躇している間に、救急隊員が声を掛けに来た。 「大咲ふたばさん、受け入れ決まりました。先生、一緒に乗って行かれますよね」 父親は頷き、立ち上がった。 「びっくりしただろうけど、こっちは大丈夫だから。な? 気をつけて出掛けるんだぞ」 父親は靴を履き、稜而の肩をしっかりと二回叩くと、救急車に乗り込んで行ってしまった。  倫は門を閉め、玄関の中へ入ってきて、ドアも閉めて、三和土との段差にすとんと座る。足には家族兼用のサンダルを履いていた。 「『驚かせて申し訳なかったね。こっちは大丈夫だから、ライブへ行ってきて。稜而を頼むよ』って。お父さんに言われた」 「うん……」 沈んだ声を出す稜而の手に、倫の手が重なった。しかし倫は何も言わず、稜而も何も言わないまま、それぞれに違う空間を見て時間を過ごした。 「そろそろ行こう、開演時間に間に合わなくなるよ」 立ち上がった倫に手を引っ張られ、それでも稜而は立ち上がることをしなかった。 「やめておく。そこまでして行きたいと思えない。倫にはスケジュールを合わせてもらったのに、悪いけど」 「ううん。またライブはあるだろうし、次にすればいいよ」 倫は再び稜而の隣に座り直した。 「母親は。母親は、俺を捨てて行った人で。育ててくれたのは、今、この家にいる人たちだと、そう思うから」 稜而は固定されている自分の足首を見ながら、ぽつぽつと言葉を紡いだ。 「俺は母親から生まれていて、選ぶっていうのは違うかも知れないし、両方と上手く付き合えばいいんだろうけど。……なんというか、そういうところを器用にはしたくないような気持ちなんだ」 稜而の話を頷きながら聞いて、倫は笑顔になった。 「稜而は義理堅いね。不器用で少し苦労するかも知れないけど、僕はそういう稜而が好きだよ」 「あ、ありがとう」 カッとのぼせるのを感じ、倫は稜而の耳を指さして笑った。 「真っ赤になってる! 純情!」 「じゅ、純情?!」 目を見開いた稜而の前で、倫は仰向けに床に寝転んで、家族兼用のサンダルを履いたままの足をバタつかせた。 「なんだよ、からかって! こうしてやる!」 稜而は倫の脇腹へ手を伸ばし、指先を動かした。

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