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第29話

 稜而は父親に肩を抱き寄せられ、その腕の中に窮屈に収まった。 「大きくなったな」 父親の声は、嬉しそうにも、寂しそうにも聞こえて、稜而は俯いたままうんうんと頷いた。  そして稜而はふと思い立ち、マグカップの把手を強く握りながら、おそるおそる口を開いた。 「あのさ、父さん、変なことを訊くんだけど。俺は、父さんと母さんがセックスして生まれたんだよね?」 質問しながら緊張し、質問を終えてからさらに緊張したが、父親は隣で穏やかなまま、稜而の肩をしっかり支えて頷いた。 「そうだよ。あなたは、父さんと母さんがセックスをして生まれた」 父親の口から発せられるセックスという言葉に卑猥な響きはなく、睦み合う温かさが感じられた。 「お互いに好きでセックスしたの?」 「もちろん。愛情を持ってセックスをした。二人の間に子どもを授かりたい、授かったら大切に育てていこうと、若いなりにそう話し合ってもいた」 「俺は父さんにも母さんにも、歓迎されて生まれてきたって思っていい?」 父親の稜而の肩を抱く手に力がこもり、声も熱を帯びた。 「もちろんだよ。生まれたときは立ち会って、へその緒を切らせてもらった。小さいのに懸命な命を手に抱いて、身の引き締まる思いがしたよ。母さんは、母さんのやり方で、稜而を愛情を持って育て始めた。それで安心して、家族を養うためと、医師として人の役に立ちたい気持ちで、仕事にのめり込んだ父さんが悪かった」 「父さんが悪かったの?」 「ああ。父さんが仕事に没頭したいとわがままを言った。母さんは型に嵌るのは苦手で、格式を重んじるおばあ様と衝突を繰り返して苦しんでいたけれど、本人たちで解決してくれと突き放した。今思うと、ずいぶん酷いことをしたな」 父親は静かに後悔の念を滲ませた。沈んだ表情を見るのが嫌で、稜而は明るい声を出す。 「母さんも『今日は流れ星がたくさん見えるから、学校を休んでキャンプに行こう』とか突然言うからね……。楽しかったけど、学校を休むのは後ろめたかった。学校へ毎日通うのが当たり前な人とは、衝突するよね」 稜而と父親は、一緒になって苦笑した。 「今になって思えば、もっと早い段階で私がおばあ様と母さんの衝突の深刻さに気づいて、母さんと稜而を連れて家を出ればよかったんだ」 父親の言葉を聞いて、稜而はまたおそるおそる訊いた。 「もし次に奥さんができたら、家を出る? ……俺はその奥さんと喧嘩したら置いて行かれる?」 父親は即座に否定した。 「とんでもない! 今、父さんが第一に大切に思うのは稜而のことだよ。稜而にとって望ましいと思える再婚でなければ、絶対にしない。そもそも相手がいないけど」 「いないの? いてもいいよ?」 稜而が横目で父親を見ると、父親は同じように横目で稜而を見返し、片頬を上げた。 「そうかい? でも今は仕事をしたいし、恋愛には興味がないな」 「セックスしてないの? そういうお店に行ってる?」 「自分の性欲を解消するだけなら、誰かを巻き込まなくとも、自分の手だけでいい」 稜而の肩を抱いていないほうの手を肩の高さへ掲げて見せた。 「なるほど」 「世の中にはいろんな考え方があるけれど、少なくとも父さんは、セックスは性欲をきちんと愛情にまで高めてからするのがいいんじゃないかと思ってる」 その言葉に引っ掛かりを感じ、稜而は首を傾げた。 「愛情があるから、性欲に結びつくんじゃなくて、性欲を愛情に高めるの?」 父親は頷く。 「私たちの身体には、まず性的欲求があるだろう? だから相手を探し求める」 「告白するのは、セックスしましょうって言うのと同じような意味。セックスしたいから告白する。鳥が羽根を広げてアピールするのと同じ。……ちょっと前に、そう考えたことがある」 「なるほど。求愛行動だね。人間の場合は、求愛行動をしてすぐセックスに至るのではなく、そこからさらに互いを知って、愛を深めていく時間を持って、互いの気持ちが高まってから行為に至るのが理想的だと思う。少なくとも一方的な強引なセックスは、父さんは、稜而にはして欲しくない。されて欲しくもない」  稜而は素直に頷いた。 「コンドームの使い方はわかる? 互いの身体を守るために、正しく使わなくてはいけないよ」 父親は自分の寝室かどこかから、コンドームの箱を持ってきて、パッケージを開けると、使い方をレクチャーした。 「残りは稜而にあげる。気の済むまで観察したり、つける練習をしたり、自分と相手を守るために、持っておきなさい」 箱を稜而の手のひらへしっかり置くと、父親は「おやすみ」と言って部屋から出て行った。 「コ、コンドーム……。コンドーム。どこに置くのかも、父さんに訊けばよかった」 稜而は部屋の中をうろうろし、机の引き出しや、本棚の本の隙間や、ベッドの下に置いてみて首を傾げ、最終的にベッドヘッドのティッシュボックスの隣に置いた。

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