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第34話
倫は駅までの道を歩きながら、稜而の顔を覗き込んだ。
「大咲駅の東口に大きな本屋さんがあったよね?」
稜而は目を丸くして、反射的に叫んだ。
「やだよ、地元で買うなんて! 商店会や町会は、皆つながってるんだから!」
「地球は丸いんだから、皆どこかでつながってると思うけどな。でも、人混みに紛れたほうが買いやすい? 地下鉄で新宿に行こうか」
うんうんうんうんうんうんと稜而は頷き、倫は苦笑して地下鉄の駅を目指す。
地下鉄の風は生ぬるく、湿って泥の臭いがしたが、電車が駅を離れて暗いトンネルに入ると、ガラス窓に倫の顔が浮かび上がった。稜而は規則正しく揺れる車内で、ずっと窓を見て過ごした。
新宿の街はいつだって混雑している。人々は車道の信号を見てカウントダウンし、横断歩道の信号が青に変わるより僅かに早く白と黒の上を歩き始める。倫も稜而も会話を交わしながら、人と人の間を早足にすり抜ける。
書店も満遍なく混んでいて、倫は司書教諭からもらったメモを頼りに、ほかの客の頭越しに本棚を見て歩き、目的の棚の前に堂々と立って上から下まで背表紙を読む。
「見当たらないね」
「う、うん……」
稜而が首を傾げつつ曖昧な返事をするのは、とても全ての背表紙を見る余裕がなかったからだ。
倫は稜而の反応を気にするより先にエプロン姿の店員を見つけ、呼び止めた。
「すみません、この本を学校で勧められたんですけど。こちらで取り扱ってますか?」
胸元まである黒髪の毛先をクロワッサンのように巻き、シュシュで一つに束ねた若い女性店員は、顔色ひとつ変えずにメモを見て棚を見渡し、平台の下の引き出しも開けて見た。
「申し訳ありません。売り切れているので、お取り寄せになります」
少し鼻に掛かったような甘い声で倫に話す。その自分に向かって少し傾斜してきているような声を倫は無視して頷いた。
「じゃあ、取り寄せをお願いします」
「では、あちらのカウンターで承ります」
カウンターに向かって歩いて行く店員と倫の姿をついて歩く。
倫が複写式の用紙に連絡先を記入した。
「今、お調べしました。在庫はございますが、他店からの取り寄せになります。金曜日中には届くと思います」
「わかりました。土曜日にでも取りに来ます」
ミシン目から切り離した控えを受け取りながら、倫は店員に笑顔を向けた。店員は一瞬息を呑み、それから笑みを作って「ありがとうございました」と言った。
倫は笑顔のまま店員に背を向け、後ろに立っていた稜而の横を通り過ぎながら呟く。
「大人って本当に簡単」
その声は突き放していながら、微かな落胆と悲しみが混ざっているように感じて、稜而は慌ててその後ろ姿を追った。
倫はまだ足首を固定している稜而の歩くスピードにまったく配慮しない速さで書店を出て、新宿の雑踏へ飛び込んでいく。
稜而は倫を呼び止められるのに、それをするのは今の倫は望んでいない気がして、ただ見失わないようにあとを追った。
ガードの下をくぐり、ビジネススーツ姿の大人達の間をすり抜けて、高層ビルの谷間を歩く。渦巻くビル風に柔らかな倫の黒髪は巻き上げられて乱れたが、それでも倫は歩き続けた。
「倫、どこに行きたいの?」
赤信号の横断歩道でようやく倫に追いついた。隣に並んで倫の顔を見ると、倫は横断歩道の向こうにある黄色いMの看板を見た。
「新宿中央公園でマックが食べたい」
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