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第47話

 倫をおんぶして一緒に露天風呂へ行き、肩まで湯に浸かった。 「大丈夫……じゃないよな」 稜而は眉をハの字にして肩を落とす。 「えへへ。激しかったね」 倫は笑っているが、尾てい骨のあたりに手をあてたままだった。それでもおどけた声で稜而の顔をのぞき込む。 「初めてのセックスはいかがでしたか、稜而くん?」 「そんなことを考える余裕もない童貞でした。途中からいくことした考えられなくなってた。ごめん!」  膝に手をついて頭を下げたが、倫は稜而の自責の念を明るく笑い飛ばした。 「でもさ、すっごいエッチだったよね。僕、興奮しちゃった。稜而がいくところ、ガン見したよ。しばらくはあの顔だけで捗りそう」 「マジで? 恥ずかしい……」 「そういう恥ずかしいところを一緒にさらけ出すから、もっと仲良しになれるんじゃない?」 「そうだといいけど。俺のこと、嫌いにならなかった?」 「ならないよ! セックス、クセになりそう」 「また一緒にする? あ、もちろん痛みが引いてから」 「うん、またしたい!」  霧雨は止んで、海まで見渡せるようになっていた。沈む太陽が海面に反射する僅かな時間、水平線は溶けて曖昧になったが、線香花火が落ちる直前のようなぽったりした赤色になると、また海と空は離れて、マントを羽織るように夜になった。  食事は部屋出しで、倫は覚悟して持ってきていた円座座布団に座り、二人は囲炉裏で焼かれた魚や、とれたての刺身をメインにした豪勢な料理を笑顔で楽しみ、締めの茶漬けまで一粒残らず平らげた。デザートは宝石のように輝く甘いイチゴで、倫は嬉しそうに完食した。 「トイレに行くの怖いなぁ」  食器が全て下げられ、部屋の中に静寂が戻ると、倫は腹を擦りながら苦笑する。 「俺に手伝えることは?」 「音楽を聴いてて。絶対にイヤホン外さないで」 MP3プレーヤーに繋がるイヤホンを耳に押し込まれ、ゆっくりとトイレに向かう倫を見送った。  倫がトイレを使う間、稜而の耳にはピアノ曲が流れ込んできた。発表会で演奏した不協和音ばかりの現代曲、一気に時代を遡ったメンデルスゾーンの無言歌集。  まだ肌寒いデッキへ出て、バッハもベートーヴェンも聴いて、見上げたら天の川があった。それは和紙をちぎって貼り合わせたような濃淡があり、美術の授業を思い出す。  自分が表現したいことを、美術教師に向かってはっきりと口にした倫の姿には、尊敬の念を抱いた。  自分が作ったジョンのちぎり絵は、隣の飼い主の家へもらわれていき、今でもフレームに入れて飾られている。ジョンは少し大人になったが、まだお転婆で、気づけば稜而の家の庭を元気よく走り回っていた。 「ジョンにもお土産を買っていこう。バナナかワニのぬいぐるみでいいかな」  モーツァルトのきらきら星変奏曲は『ああ、お母さん、あなたに申しましょう』というシャンソンがベースになっていると教えてくれたのは倫だ。  一時期、倫は音楽大学への進学も視野に入れていた。作曲科か楽理科か。 「でも、その道で食っていくのは難しいみたい。稜而と一緒に生活しようと思ったら、法学の方が現実的」 そう結論を出して、ピアノのレッスンは休み、受験勉強に打ち込んだ。 「俺のために進路を変えさせたんだから、しっかりしなくちゃ」  きらきら星変奏曲のクライマックスへ向かう華やかで力強い第十二変奏を聴いていたら、倫が戻ってきた。 「覚悟してたより、大丈夫だった」 「それならよかった」 「何を聴いてたの?」 デッキの柵に並んでもたれ、倫は稜而の顔を見た。 「きらきら星変奏曲」 イヤホンの片方を倫の耳へさしこんだ。 「懐かしい。リピートばっかりで、どこを弾いてるのかわからなくなるんだ。どこを弾いてもきらきら星だから目印がなくて。弾きながら自分がどこにいるのかわからなくなる迷宮曲だよ」 倫は天の川を見上げながら、一オクターブ低い声で旋律を歌った。

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