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第49話

 脱いだはずの高校の制服を着て、通夜と告別式、初七日法要までを乗り切り、礼服を仕立ててもらって四十九日法要に参列した。  合間には入学式があったが、式場の日本武道館は大混雑で、携帯が鳴っても気づかず、互いに着信履歴だけを残しあうだけで終わってしまった。  初めての私服通学、分厚いシラバスの配布、オリエンテーション、時間割登録、時間ごとに移動する教室、医療系学部の学生を対象にした剣道部への入部と、離れたキャンパスでの連日の稽古、大学生協への加入、自動車学校への通学。細かいタスクが積み重なる中で、今度は祖父が体調を崩した。 「ちょっと目を離せない感じなんだよ。昼間は家政婦さんが気にかけてくれるけど、トイレなんかも危うくて。おむつを履こうかって言ったら、全然抵抗しなくてさ、それもなんだかなぁって」 また固くなってきた手のひらのまめを見つつ、近況報告をした。 「トイレって人間の尊厳の中でも最後の砦って感じなのにね。そこにすら執着しないほど元気がなくなっちゃったのは心配だね。ごめん、五月祭演奏会の準備と練習で、本番まで余裕ないんだけど。終わったら何か手伝いに行くよ」 倫は入学と同時にピアノの会というインターカレッジサークルに所属していた。活動場所は稜而と違って現在通っているキャンバスで、五月祭と呼ばれる文化祭での演奏が最初の目標になる。 「ありがとう。五月祭は聴きに行くから」 久しぶりにつながった夜更けの電話も愚痴に終始してしまい、稜而は自己嫌悪に陥りながら通話を切ってベッドに潜り込んだ。  日曜日、祖父は相変わらず薄暗い仏間にいて、静かに祖母の遺影を見ていた。  障子を通して射し込む光の中に浮かぶ祖父のシルエットは、骨の形がくっきりとして、背中は丸くなり、顎の周りには白い髭が細かく光った。  稜而は隣に座って、コーヒーが入ったマグカップを差し出した。  畳の上で膝を抱え、隣で一緒に祖母の遺影を眺め、ふと思い出した疑問を口にした。 「お祖母様のこと、好きだった?」 まともな返事は期待していなかったが、祖父ははっきり頷いた。 「ああ、好きだなぁ」 人と会話することもほとんどなく、声は衰え嗄れて祖父は絞り出すように話した。 「でも、恋愛結婚じゃなく、親の都合で結婚したんでしょ?」 「そうだよ。今の時代だって、合コンだパーティーだと人の紹介で出会うことはいくらでもあるだろう? お見合いだって同じだよ」 「そっか」 「初めて会ったとき、水仙の花のように美しいお嬢さんだと思ったなぁ。一目惚れだった。一目惚れの効力など三年ももたないが、そのあとは愛が来る。だんだんに愛しいと思うようになっていった。どんなときも、つらくなかったなぁ」 コーヒーが入ったマグカップを愛おしむように両手で包み、溢れた涙は刻まれた皺へ乾いた大地を潤すように染み込んでいった。 「俺も、そんなふうに思いながら添い遂げられるかな」 「ああ、もちろんだ。いつかそういう人に出会えるよ。恋をして、愛しあえる人に出会える」 稜而はその相手が倫だと信じながら頷いた。

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