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第8話
「ご馳走様でした」
店を出たのは11時前だった。
小さな店で、お店の閉店も11時と早いらしいのだが、そんな時間までいても、逢坂の話とあの古畳の空間が凄く居心地の良いものだったと思う。
「何だか、すみません。今朝も俺、タクシー代、払ってないのに」
「いや、こちらこそ資料を見つけてもらったからね。あと、見つけたら、教授会に出なくて良い事になってたんだ」
教授会。今は、逢坂は准教授だが、教授代理として出席する事があるらしい。しかも、教授会ではない別件の会の話だが、その教授は直前になって、資料を探してきて欲しいというような人間だから気苦労も多いのだという。
「ごめんね、こんな事を聞かされてもつまらないだろう?」
逢坂は笑って、次の話題に変えようとしていたが、陣内自身は嫌ではなかった。
むしろ、こんな天から二物も三物も与えられたような、恵まれた人・逢坂でもそれなりに苦労はあるのだと思えるのは親しみが湧いた。
「いえ、つまらないなんて……その、大変なんですね」
「大変なんですね……か。君は優しい子だね」
逢坂はまるで、女の子に笑いかけるように、口にする。
もし、これが本当に可愛い女の子なり、綺麗な女性なりだったら、少しは絵になるのかも知れない。だが、長身で、7半に乗っても様になるような男の陣内にそんな要素は皆無に等しいし、陣内もそう思った。
しかも、逢坂は
「もし、君が迷惑じゃなかったら、また食事につき合ってくれないか?」
と言って、陣内と連絡先を交換する。
ちなみに、何年か前にSNSが出現し、わざわざ電話番号やメールアドレスを登録しなくてもメッセージを送れるようになったものの、陣内は殆ど活用していなかった。幼い頃に実の父を、そして、1年程前に実の母を失い、唯一の身内となった叔父。それと柚木には電話の方が話は早いし、バイト先で強制的にグループに入らされた時は開くのも嫌だった。
「大丈夫。大学もメール文化だし、これがあるからもう前からあったものは使わないっていうのは違うだろ」
逢坂は陣内のスマートフォン事情を聞くと、鮮やかな手つきで陣内の電話番号とメールアドレスを打ち込んだ。
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