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第33話
確かに、この逢坂の部屋での生活は何ら強制されたものではない。
ただ、陣内には録音機の事もあり、逢坂の指示に添うようにしていたら、その結果、何日もの間、アパートを空ける事になってしまったのだ。
「勿論、無理にとは言わない。君が自分で決めたら良い」
逢坂は抑揚のない声で、陣内にあっさりと選択肢を渡した。
「先生ー、もう時間、過ぎてまーす」
そんな言葉で、陣内は昼間、自身の通う専門学校であった英会話の授業を受け終える。そして、今朝、逢坂が提案した通り、自分が借りているアパートへと帰った。
逢坂のマンションに備えつけられている殆ど音のないエレベーターではなく、鉄でできた階段が音を立てる。逢坂の部屋の前にあるカードリーダーに通すだけで、あとは軽く引くだけで中に入れるドアとは違い、鍵を回して、重いドアを押して入る。
日にちにして、10日程だった。
しかし、陣内は奇妙な違和感を覚えていた。
「まるで、自分の家じゃないみたいだな……」
何から何まで着替えを取りに帰ってきた時のままになっている。
散らかってはないが、埃もたまっているだろう。
あと、一時的に戻って来た時に、日持ちがしそうなもの以外は冷蔵庫から消していった。夕食はろくなものにならないだろう。
その他にも郵便受けに入っていた電気代の請求書、何日か前に修理が終了したバイクの引き取りを示した伝票。やった方が良い事を含め、する事はいくらでもあるのに、何だか、何もできそうになかった。
次第に、陣内の心の中は急速に言葉にできない違和感で埋め尽くされていく。
何も考えず、陣内はベッドの縁にかけた。硬さのあるベッドは陣内の体重で少し沈んだだけだった。
そして、考えたのは、逢坂との事だった。
「どうして、あの人の事なんて考えてしまうんだろうな……」
自嘲気味に口にしてみるものの、それに答えはなかった。特に、彼とキスを交わす時……逢坂は少し寂しそうな顔をしているのだ。
すまない、と謝りたいような……あるいは、何かを諦めているような……
「んん……」
陣内の指はいつの間にか、唇に触れていた。その渇ききった唇に、何故だか、心まで渇いていくのを陣内は感じていた。
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