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第4話

 目を開けて、ググッと腕を前に出して肩甲骨あたりをほぐし、次に腰から下を伸ばしてストレッチをする。あくびをして耳の後ろを足で掻い……て?  はたと自分の手を見て、ネコの姿だと気がついた。思い切りネコらしい動作をしていたのか、俺は。  このままネコらしくなっていくのかと、軽いショックを受けながら寝床にしていたバスタオルから出る。ぐるりと部屋を見回して、天井が異様に高いことや畳の目が近いことを確認する。 (夢じゃなかったんだなぁ)  ぼやきは、にゃあという鳴き声になった。  鬱々とした気分でいると、オシロがひょっこり現れた。 「よぉ。ネコとして目覚めた気分はどうだ」 (どうだもこうだも。最悪としか言いようがないっての) 「にゃにゃにゃあ、あおーう」  うんざりとこぼした声は、頭の中ではきちんと言葉になっているのに、出た音はただの鳴き声だった。  クックックッとオシロが喉を鳴らす。 「そんなシケた顔をすんじゃねぇよ。ネコになりたかったんだろう? 夢がかなったって、よろこびゃあいいじゃねぇか」 (よろこべるかよ) 「にゃっ」  プイッと顔をそむけると、ニヤニヤしながらオシロが近づいてきた。金色の目が細められて、いやな予感がした。 「そう、きらってくれるなよ。なあ、裕太」 (なれなれしく呼ぶなよな。さっさと俺を元に戻せ) 「うにゃっ、にゃうぅっ、うにゃにゃっ」 「そいつぁ、できねぇ相談だ」  あきれたようにオシロはしっぽを揺らす。 「人間に戻りたいってんなら、人の体液を必要分食らうか、仁志に抱かれて精をもらえ」 (必要分の体液って、どのくらいなんだ) 「にゃにゃっ、うにゃうぅ」 「そうさなぁ。三人ほどから心臓を食らわせてもらやぁ、充分なんじゃねぇか」  ゾッとした。そんなことを軽々しく言えるコイツは、やっぱり妖怪だ。頬を引きつらせていると、オシロはたのしそうに鼻をうごめかした。 「それができねぇってんなら、あきらめて俺様に抱かれるんだな。よくしてやるぜ?」 (冗談じゃない) 「にゃっ」 「どっちもいやだってんなら、そのまま半獣として生きていくんだな」 (勝手に人をネコにしといて、無責任じゃないか!) 「にゃぁううううっ!」  全身の毛が逆立った。フーッと威嚇をしても、オシロはのんきにあくびをするだけだ。 「ネコになりてぇっつったのは、そっちだってのによぉ。まったく、人間ってぇのは身勝手な連中だぜ」  やれやれとこぼしたオシロに、文句を重ねてやろうとしたら、里見さんの声がした。 「朝から剣呑ですね。おはようございます、泉さん」 (里見さん。おはようございます) 「にゃおぅん」  逆立てていた毛を落ち着かせて、きちんと座ってあいさつをする。里見さんの目がやさしげに細められて、差し出された腕に抱き上げられた。憂いを含んだ濡れた瞳に、心臓がバクバクする。肌は透き通るように白くてキレイで、ほんとうに同性なのかと疑いたくなる。影ができるほど長いまつげが、目鼻立ちをクッキリとさせていた。  見惚れている間に、食卓に連れていかれた。おいしそうな焼き魚の匂いとみそ汁の香りがする。 「とりあえず、朝ごはんにしましょう」  イスに乗せられた俺の鼻先に、里見さんは指を突き出した。反射的にクンクンしてしまう。料理をしてすぐだからだろうか。焼き魚の匂いがほんのりとまとわりついている指は、真っ白でおいしそうだった。 「噛んでください」 (えっ)  俺の心を読まれたのかと思ったが、そうじゃなかった。 「そのままでは、人間の食事はできませんから」  どういうことかと聞きかけて、昨日のことを思い出す。里見さんの血を飲んだら、しばらく人間の姿に戻れたんだっけ。 「ネコのままですと、ネコ用の食事をしてもらわなければならなくなります。ですから――」  さあどうぞと指を突き出されても、遠慮をしてしまう。この指に牙を立てて傷をつけるなんて、気がとがめる。  とまどっていると、隣にオシロがやってきた。 「遠慮せずに、かぶりつきゃあいいんだ。こんなふうに」 「あっ」  オシロが口を開けて、里見さんがちいさな声を上げる。オシロの体がふくらんで、黒髪の青年の姿に変化した。精悍な顔立ちと金色の瞳。どこか異国情緒をただよわせる雰囲気に、俺はポカンとしてしまった。ニヤリと口の端を持ち上げたオシロが、ほらと顎で里見さんの指を示す。 「もう傷がついちまったところなら、遠慮しねぇでいいだろう」  オシロなりに俺を気遣ってくれたのだろうか。たしかに自分で傷を作るより、できた傷から流れる血を舐めるほうが心情的にすこしマシだ。  里見さんは苦笑交じりにため息をついて、オシロに噛まれた傷を俺に見せた。 「どうぞ」  おずおずと口を近づける。ふわりと甘く芳醇な香りが鼻孔に触れて、匂いに誘われるまま舌を伸ばした。 (あ……)  蜜でできた酒は、こんな味がするんだろうか。そう思うくらいに、里見さんの血はクラクラするほど蠱惑的な甘さと酔いを与えてくれる。体の芯がふわりと熱くふくらんで、脳髄がうっとりと揺らいだ。目を細めて夢中で味わう。 (なんだろう……すごく、気持ちがいい)  ふわふわとして、あたたかくて、いい気分だ。酩酊、という単語が浮かんではじける。自分がどこでなにをしているのかが、わからなくなっていく。理性を留めておこうとするのに、するりとほどけて消えてしまう。くゆる湯気が空気に溶けて四散してしまうような――。 「……さん、泉さん。もう、いいですよ」  ハッと我に返った俺は、眉を下げた里見さんの笑顔に目をしばたたかせた。口の中に薫香が漂っている。体が火照って、ほんのりと気だるくて、だけどとても気持ちがいい。口の中から匂いの元が引き出されて、里見さんの指だったと思い出したら、顔から火が吹き出たんじゃないかってくらい、満面が熱くなった。 「ぅあ……あっ、俺、その」 「仁志をミイラにでもするつもりだったのかよ」  ニヤニヤとからかう声が耳元でした。金色の目をした青年が意地の悪い顔をしている。 「オシロ」 「うまいだろう? 仁志の血はよぉ。体の芯が、たぎっちまうくらいにさ」  身を寄せられて後ずさりすれば、股間に手を伸ばされた。無遠慮に握られて、そこが思いっきり元気になっていると教えられる。  なんで俺は興奮しているんだ?  あくどい笑顔のオシロが頭を伏せる。いやな予感がして腕を伸ばしたが、一足おそかった。 「んぅっ」  ぬらりとしたものが下肢に触れる。見なくても、オシロにしゃぶられたんだとわかった。というか、見たくない。 「オシロっ!」  里見さんがあわてて俺の体に手を伸ばす。弱いところを強く吸われて、のけぞりながら里見さんに腕を伸ばした。 「ぅはっ、ぁ……あ、んぅうっ」 「泉さん」  俺を抱きしめた里見さんの困惑顔に、助けてと目でうったえる。しゃべろうと口を開けば、みっともない悲鳴が上がってしまう。そのくらい、オシロの舌や口で気持ちよくさせられていた。 「っ、ん、くぅ……ぅ、は、ふ、んぅうっ」  やめろとかかとでオシロを蹴れば、クビレを舌先でくすぐられた。ゾクゾクと快感が走って、こらえるために尻に力を入れても頭の先まで心地よさが這い上ってくる。 「は、ぁ……ああっ、あ、く、うう」 「泉さん。――オシロ、いいかげんにしなさい」  叱られても、オシロは返事もせずに俺の急所をしゃぶりつづける。  やばい。このままじゃ、イク。  ちょっとだけ、そうしたいと願ってしまった。まさかそれが伝わったわけでもないだろうに、オシロの口淫が激しくなって、俺はあっけなく腰を突き出し、オシロの口の中で果ててしまった。 「っは、ぁあ……く、ぅ」  もとはネコだろうが、人の口に出すなんて経験はない。ジュッと余韻まで吸い上げられて、俺はだらしのない顔を里見さんに見せてしまった。 「は、ぁ」 「泉さん」  気づかわしげな里見さんの顔が、ぼんやりとした視界に映る。はっきり言って、気持ちがよかった。甘えたい気分になって、考えるより先に体が動いた。里見さんの首筋に額を擦りつけると、里見さんはそっと俺の背に腕をまわして、よしよしと頭を撫でてくれた。 「うまかったぜ」  笑いを含んだ声に我に返った。なんで俺は里見さんに甘えているんだ! ガバッと顔を上げると、里見さんはオシロをにらみつけていた。 「なにをやっているんですか!」 「なにって、見ていたんだからわかんだろ? 一発ヌいてやんなきゃあ、こいつの魔羅はヤバかっただろうが。仁志の血が、最高に相性がよかったんだろうぜ。まあ、だから俺様の術にもあっさりとかかっちまったんだろうがな。――あんなに興奮したままじゃ、飯なんて落ち着いて食ってらんねぇだろうと思ったんだよ」  どうして里見さんが怒っているのか、さっぱり理解ができないと言いたげに片手を軽く振ったオシロが、イスに座って箸を取る。 「先に食うぞ」  人のアレをしゃぶってすぐに、平然と食事ができるなんて、やっぱりマトモじゃないというか、妖怪ならではの感性なのか。それともオシロがそうってだけなのか。どちらにしても、普通にされると余計に自分の滑稽さが目立って恥ずかしくなる。 「あの、大丈夫ですか」  おずおずと言われて、しがみついていたんだったと思い出す。勢いよく体を離して、ペコペコと頭を下げた。 「やっ、あのっ、はいっ、大丈夫ですっ! すみません」  目じりを赤くした里見さんが、そっと差し出してくれたバスタオルを受け取って腰に巻く。 「では、食事にしましょうか」  里見さんは俺から視線を微妙にずらしてイスに座った。  穴があったら入りたい。  しばらくテーブルの下でうずくまるか、別室にひとりで羞恥に震えていたいところだけれど、そんなことをすればきっと里見さんに心配をかけてしまう。ここはグッと落ち着いたフリをして、朝食をいただかなければ。  深呼吸をして、オシロの隣の席に落ち着く。箸をとって、いただきますとみそ汁をすすった。 「うまい」  ぽつりとこぼせば、よかったと里見さんがつぶやいた。ほっこりと体に沁みわたる味に、寝起きの細胞が次々に目覚めていく。ご飯と焼き魚、漬物という朝食は、だいたいいつもトーストとコーヒーな俺にとっては、贅沢な朝食だ。  しかもそれが目の前にいる人の手作りで――店で食べるものも、手作りだって意見もあるだろうけれど、そういうのとはちょっと違うニュアンスで――、のんびりと時間を気にせず味わえるなんて、最高すぎる。こんな時間を持てるんだなぁと考えると、ちょっとはこのトラブルに感謝を……なんて気分にまでは、さすがにならないけれど、悪くはないとは思えた。 「これからしばらく共同生活をするのですし、念のために着替えとか必要なものを、取りに行ったほうがいいかと思うんですが」  遠慮がちに切り出されて、それもそうだとうなずいた。こんなふうに素っ裸にバスタオル姿で、他人の家をウロウロするなんて失礼だ。それにそんな恰好じゃあ、縁側の近くは俺の住んでいるマンションからまる見えで出ていけないし、習字教室の時間に二階に引っ込んでいたとしても、トイレかなにかで一階に下りたくなったときに困る。 「じゃあ、飯を食ったら昨日の服に着替えて、マンションから取ってきます」  耳は帽子を借りて隠せば、問題ないだろう。 「いえ、それは……後で、僕といっしょに泉さんのマンションへ行きましょう」  言いにくそうに提案されて、首をかしげた。 「荷物くらい、すぐに取ってこられますよ。俺の部屋になにか、あるんですか?」  オシロの術にかかりやすかった理由を、俺の部屋で見つけるとかそういうことかと思ったが、里見さんはゆるゆると首を振った。さらさらと黒い髪がはかなげに揺れる。人間に戻るには、この人に抱かれなくちゃいけないなんてオシロは言うが、この人が男を抱けるとは思えない。抱かれる気も抱く気もないけどさ。 「そうではなく。いつ、ネコの姿に戻ってしまうかわかりませんから。もしも途中で、ネコになってしまったら大変でしょう? それをだれかに見られたら、大騒ぎになりますよね。ですから、食事を終えてネコの姿になってから、いっしょに行きましょう」  そういうことかと、苦々しく思いつつも納得をしながら横目でオシロをにらんだ。もくもくと食事を終えたオシロは、のんきな顔で茶をすすっている。 「なんだ。俺様にもついてきてほしいのか」 「んなわけないだろ」  即座に否定すると、上から目線で鼻を鳴らされた。完全にガキ扱いをされている。妖怪からすれば人間の大人も若造の部類に入るのかもしれないが、なんかムカつく。 「オシロは留守番をしていてください。庭に野良たちが集まってくるでしょうし」 「わかってらぁ。ったく、つまらねぇな」  立ち上がったオシロは伸びをすると、ネコの姿に戻ってスタスタと出て行った。 「あいつは、自分で好きなように人とネコを使い分けられるんですか?」 「条件はありますが、そうですね。でも、人の姿でいるのは、疲れるそうですよ。ネコでいるときよりも自由がないと言っています」  あいつなら人間の姿であっても、好き放題にしていそうだけどな。とは、飼い主(?)の里見さんに言えるはずもなく、そうなんですかと相づちを打っておく。  食後のお茶を淹れてもらって、飲みながら里見さんを観察する。いつからここでオシロと暮らしているんだろう。子どものころからずっとここに住んでいて、資格を取って習字教室をはじめたのかな。それとも親が習字教室をやっていて、それを引き継いだ? そういえば、里見さんの親って、どこでなにをしているんだろう。兄弟や親戚は――。  気になりつつも、どう切り出してもぶしつけになりそうで、黙ったまま茶をすする。里見さんはおっとりとまつ毛を伏せて、流れていく時間を味わうかのように、ときどき湯呑に唇をつけていた。艶やかな唇はちょっと薄めで、わずかにほほえんでいるみたいな形になっている。長いまつげに遮られた目の寂しい雰囲気とは対照的で、それが里見さんを艶っぽく見せていた。 「あの、里見さんって――」  いくつなんですか。そう聞こうとした体が縮み、急いで湯呑をテーブルに置いた。間一髪で、ネコの手になる前に湯呑を置けてホッとする。あのままだと、確実に床に落としていたよなぁ。 「それじゃあ、食器を洗ってから、泉さんの部屋に行きましょうね」  立ち上がった里見さんに「にゃあ」と返事する。もしかして里見さん、俺がネコの姿に戻るまで、食器を片づけるのを待っていたのか? ネコの姿だと、手伝いますなんて言えなくなる。それを見越して、俺に気を使ってくれたのかもしれない。  ただの偶然ってこともあるけどさ。  それでも、里見さんにはきっとそうだと思わせる雰囲気があった。相手に遠慮をさせないように、さりげなく配慮をしている感じがする。気にしている俺の心が、そう受け止めているだけかもしれないけれど。  食器を洗う里見さんの姿を、テーブルの上に乗ってながめる。里見さんは手慣れたしぐさで食器を洗い、手を拭いて振り向くと、俺に腕を伸ばした。 「お待たせしました」  行きましょうかと誘われて、俺は迷いなく腕の中に飛び込んだ。    ***  俺のマンションはペット禁止だ。だから俺はカバンの中に身を隠している。ひとり暮らし用のマンションは、平日の昼間に人がいることはめったにない。けれど万が一、だれかに見られることを考慮して、俺はおとなしくカバンの隙間から外をながめるにとどめている。  部屋番号を聞くのを忘れていましたと、俺の財布を手にした里見さんに言われた。俺は「にゃあ」しか言えなくなっているから、部屋番号を伝えられない。オシロに通訳をしてもらおうと呼んでも、オシロはどこにいるのやら、姿がなかった。しかたがないのでエレベーターに乗る前に、里見さんが階数を読み上げて、該当するものに「にゃあ」と答えることにした。部屋番号も、おなじ方法で伝えて無事に俺の部屋に到達した。  部屋に入った里見さんは、すぐに俺をカバンから出してくれた。ちょっとの移動でも、カバンの中でじっとしているのは窮屈だったから、思い切り伸びをした。クスリと里見さんが柔和な笑みをこぼす。それを見上げて、俺は部屋を案内した。とは言っても、五畳のキッチンと六畳の部屋しかないので、案内をするというほどでもない。  里見さんはベッドのある部屋に入ると、ベランダに目を向けた。 「出ても、いいですか」  もちろんと答えたが「にゃあ」にしかならなかった。里見さんは、ちょっとワクワクした顔でベランダに出て、俺がいつも見ている景色を確認している。俺はそんな里見さんの背中を見ていた。 「こんなふうに、見えていたんですね」  吐息交じりにつぶやいた里見さんは、どこかたのしそうだった。背中だから表情が見えるわけもないのに、そう感じられた。 「あっ」  ちいさく声を上げた里見さんが振り向いて、俺を抱き上げる。 「オシロ。あんなところにいましたよ」  そう言って見せられた里見さんの家の屋根に、オシロがいた。野良ネコだろうか。傍にはべらせて日向ぼっこをしている。 「まったく。声が聞こえていないはずはないのに」  呼んでも来ないんだからと言外で文句を告げた里見さんは、それほど怒ったふうじゃなかった。しかたがないなと許している気配。それがすこしだけ、うらやましくなったのはなぜだろう。目の前の景色を、遠い記憶みたいにながめる里見さんの表情に心がざわめく。ここではないどこかへ消えてしまいそうで、俺は前足を伸ばして里見さんの顎に触れた。 「あっ、すみません。こんなことをしている場合ではないですね。着替えを持って帰らないと」  急かしたわけじゃない。だけどそれを伝える術が、いまの俺にはなかった。なんでオシロの言葉は里見さんに通じて、俺はただのネコの鳴き声にしかならないんだ。憑き物筋って、その動物の言葉なら聞き分けられるとか、そういう特殊能力があってもよさそうなものなのに。そもそも、憑き物筋にはどんな力があるのだろう。里見さんの家族とか親戚のところにも、オシロみたいな猫又がくっついているのかな。  部屋に戻った里見さんに、衣装ケースを示しながら考える。里見さんは下着や服をいくつか選んで、持ってきた風呂敷に丁寧に包んでいる。そのままカバンに突っ込んでもいいのに、ネコ(俺)の毛がつくのを気にしているらしい。  風呂敷に包んだ服をカバンに入れて、俺をその上に乗せた里見さんが、ためらいがちに口を開いた。 「こんなことを言うなんて、身勝手だとは思うんですが……その、オシロをきらわないでいただきたいんです。オシロには、悪気がまったくないんですよ。人間とは感覚というか、考え方や物事の基準がまったく違っていると言いますか。――こんなことになってしまって、悪気があろうとなかろうと、泉さんに多大な迷惑をかけてしまったことは、ほんとうに申し訳なく思っています。そこは僕の監督不行き届きで、大変な迷惑をかけてしまってすみません」  ネコ姿の俺に、里見さんは深々と頭を下げた。つられて、俺も頭を下げてしまう。 「オシロも、ずっとさみしかったんだと思います。自分とおなじ時間を過ごせる相手が、欲しかったのかもしれません。そこで泉さんの望みを聞いて、こんなことをしでかしたのだと思います。許してくれとは言いません。ですが、オシロをきらわないでください。かならず、あなたを元に戻す方法を見つけてみせますから。だから、どうか、オシロをきらわないでください」  それは「僕をきらわないでください」と聞こえた。そして「オシロも」と言った里見さんの気持ちが知りたくなった。オシロよりも里見さんのほうが、さみしかったんじゃないか。そんな気がして、なんとなく里見さんを抱きしめたくなって。だけどネコの姿ではできなくて。  しかたがないから前足を伸ばして、里見さんの手の上に肉球を乗せて「にゃあ」と鳴いた。

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