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第12話

 食事の前に話をすると、妙なことになって食いっぱぐれるかもしれないからと、オシロは食後に話をすると言った。通訳をしてもらわなきゃならない俺には、異論の出しようがない。里見さん手製のネコ用ランチをたいらげて、オシロは満足げに毛づくろいをしている。いつ話し出すんだよと見ていたら、里見さんが俺の視線に気がついた。 「どうしたんですか、泉さん。なにか、オシロに通訳をしてもらいたいことでもあるんですか」 「察しがいいじゃねぇか」  毛づくろいをやめたオシロを無視して、里見さんは俺を膝に抱き上げた。 「そんなことをしなくても、僕の指を噛んで人になればいいんですよ。遠慮はいりませんから」 「それがいやだから、こいつは人間の飯を食うのをやめちまったんだろうが。わからねぇヤツだなぁ」 「僕は大丈夫ですから」 「大丈夫に見えねぇから、裕太はそうしねぇんだろう。つうか、あからさまに無視すんなよな」  テーブルに飛び乗ったオシロが前足で里見さんを呼ぶ。里見さんは目もあわせようとしない。 「こっち見ろよ。いいかげん、ヘソ曲げるのをやめにしてよぉ。ったく、これだからガキは」  ぶつぶつ文句をこぼしてから、オシロはぶっきらぼうに言った。 「おまえ、裕太を抱け」  おどろいた里見さんがオシロを見る。 「やっと俺様を見やがったな」 「なにを言っているんですか」 「人間に戻す方法はそれだって、はじめっから言っているだろう。ほかの方法を探すなんざぁ、やめちまえ。もう時間もねぇことだし、スパッとそいつを抱いてやりゃあいいんだよ。なあ、裕太」  なあと言われても、返答に困る。 「裕太は仁志に抱かれてもいいって言ってんだぜ」  そうハッキリ言われると恥ずかしい。そうなんですかと里見さんが目顔で問うてくる。俺は目を泳がせながら、うなずいた。 「オシロが勝手に、そう言っているだけでしょう。泉さんに無理やり、そうしろと迫ったんじゃありませんか」 「なんで俺様が、得にもならねぇことをしなくちゃいけねぇんだ。ネコになりてぇっつったのをネコにしてやったってのに、ありがたがるどころか迷惑がられてよぉ。そんで人間に戻してやれっつったら疑われるとか、意味がわからねぇ」 「迷惑がられたから、いやがらせをしているんじゃありませんか」 「ちげぇよ。俺様はそんな了見の狭い猫又じゃねぇ」  グイッと胸をそらしたオシロが、俺に「しっかりしろよ」と言いたげな視線をよこす。 「それとも、なにか。人間に戻してやるっつったのに、仁志は裕太を戻すつもりはねぇってのか」 「そんなわけ、ないじゃないですか」 「だったら、とっとと抱いてやれよ」 「それは……」 「裕太じゃ勃たねぇってのか」 「っ! なんてことを言うんですか」 「勃たねぇってんなら、抱けねぇわなぁ。べつに悪かねぇとは思うんだが、抱く気になれねぇってんなら、ほかの方法を探すしかねぇもんなぁ」  かわいそうにとオシロが俺に首を向ける。 「抱く気も起こらねぇぐれぇ、おまえは魅力がねぇんだと」 「そんなことは言っていません!」 「言っているのとおなじだろう? 抱きたくねぇってんだから」  なんか、話がおかしな方向に進んできたぞ。いや、抱いてもらわなきゃいけないんだから、これでいいのか? 見上げる里見さんの白い肌が、首までうっすら桃色に染まっていて妙に色っぽい。しっぽの根元がうずいて、ゆらゆら揺らすと腰から下を撫でられた。オシロをにらみながら俺を撫でる里見さんの指使いは、とても気持ちいい。ムズムズして、尻が勝手に浮いてしまう。 「抱きたくないなんて言っていないじゃないですか」 「じゃあ、抱きてぇのか?」 「どうしてそうなるんですか」 「裕太を抱くか抱かねぇかって話をしているんだから、おかしくはねぇだろう」  里見さんの指がしっぽのつけ根に絡んで、そのあたりを重点的に擦りはじめた。ゾクゾクと甘いしびれがそこから広がって、うっとりしてくる。浮いた尻が勝手に揺れて、そうすると里見さんは軽く爪を立てるように、尻をくすぐってくれた。めちゃくちゃ気持ちいい。 「泉さんを人間に戻す方法の話をしていたんじゃないんですか」 「だから、裕太を抱けば戻るっつってんじゃねぇか」 「それはわかっていますよ」 「わかってんのなら、やってやりゃあいいじゃねぇか。やらねぇってことは、抱きたくねぇってこったろう。裕太にゃ勃たねぇから、できねぇんだろう」 「違います」 「勃つのか」 「だから、どうしてそういう言い方を――」 「んぉあぁああああ」  気持ちよすぎて変な声が出た。里見さんの指が止まって、オシロは口をつぐんで、俺は我に返った。  妙な空気が三人――ひとりと二匹?――の間にただよう。それを破ったのは、オシロの豪快な笑いだった。 「なんだよ。俺様と話をしながら、裕太をかわいがっていたんじゃねぇか」 「か……っ」  絶句した里見さんが、ゆでだこみたいに真っ赤になった。 「あんな声を出させるんだからよぉ」  クックッと意地の悪い笑いを漏らして、オシロは俺に流し目をくれた。あんな声って、どんな声だよ。いや、自分でもびっくりしたけどさ。 「裕太は、抱かれてぇんだよ」 「えっ」  目をまるくした里見さんに見つめられて、恥ずかしくなった。視線から体を隠したくて、里見さんの腹に顔をうずめる。 「時間もねぇんだろ? とっとと準備して抱いてやれよ」 「ですが」 「なにを迷ってんだ」  里見さんのためらいが伝わってくる。そりゃあ、そうだよな。いきなり男を抱けとか言われても、わかりましたって簡単にできるわけないもんな。俺だって、里見さんに抱かれてもいいなんて、はっきり覚悟を決めたわけじゃないんだし。ただ、そうしないと人間に戻れないからしかたなく。――違う。  ごまかしてばかりじゃ、よくないよな。ここはスッパリと腹を決めて、きっちり里見さんに抱かれよう。里見さんがいやじゃなければ、俺にしてもいいって思ってくれるのなら、俺は里見さんに抱かれたい。  俺は、里見さんが好きだから。だから、キスもそれ以上もしたい。匂いで発情してしまうくらい、里見さんが好きだから。  里見さんの腹から顔を外して見上げる。里見さんは真っ赤な顔のまま、じっと俺を見つめていた。 (抱いてください) 「なぉん」 「いいん……ですか?」  オシロの通訳がなくても、通じたみたいだった。俺はもういちど、おなじ言葉を繰り返した。里見さんは顔中をクシャクシャにして、ちいさな声で「すみません」と謝罪した。やっぱり、俺を抱きたくなんてないのかな。 「おいおい、仁志。据え膳はおいしくいただくもんだぜ」 「どうしてあなたは、そういう言い方しかできないんですか」  里見さんがオシロをにらむ。 「キレイな言葉でとりつくろっても、根っこはおんなじだろうがよ。どうなんだよ、仁志。裕太を抱くのか、抱かねぇのか」 「……泉さんが、それでいいとおっしゃるのなら、僕は」  下唇を噛んでためらう里見さんが、色っぽすぎてドキドキした。 「なら、決まりだな。きっちり準備してコトを運べよ。必要なモンはあいつらに命じて、集めてきてやる」  オシロがクイッと顎で縁側を示す。 「準備、ですか?」 「はじめての床入りだ。気を遣ってやるのが、抱く側の器量ってぇもんだろう。裕太が緊張しねぇように、マタタビの風呂にマタタビとハチミツの軟膏が必要だな。あとは……布団をキレイなもんにして、汚れたときのために手拭いかなんかもありゃあ便利か」  記憶を探っているのか、天井を見ながらオシロがぶつぶつ言っている。ポカンとして聞いていると、視線に気づいたオシロに顔を向けられた。 「マタタビってぇのは、ネコを酔わせるもんだからな。使いすぎはよくねぇが、緊張はほぐされるだろうぜ。それに、滋養強壮に効果があるって、昔はよく人間が食っていたんだよ」  マタタビが食べられるなんて、知らなかった。顔中で感心すると、得意げにオシロが知識を披露する。 「昔は乾燥させて茶にして飲んだり、薬草風呂にしていたんだよ。疲れ切った旅人が、また旅に出られるってぇんで、マタタビって名がついたとかなんだとかってな。そんぐれぇ、人間にゃ効果てきめんなもんなんだ」  知らなかったのは里見さんもおなじらしく、感心した表情で話を聞いている。だからなのか、オシロは鼻先を天井に向けて前足をピンと伸ばし、ニンマリとして話を続ける。 「マタタビの樹液は肌にもいいらしくてな。女が顔に塗りたくってんのを見たことがあるぜ。それとハチミツを混ぜりゃあ、まぐわうときに便利だろう」  どう使うのかを想像して、体が火照った。里見さんも、おそらくおなじことを想像したんだろう。耳まで赤くなっている。 「そういうわけで、マタタビの樹液は俺様にまかせな。茶にするにゃあ時間がかかるから、どっかで買ってくりゃあいい。風呂に入れるモンも、どっかで売ってんだろうし。それは仁志が探してやれよ」  言い終わるや否や、オシロはテーブルから下りてどこかへ行った。おそらくマタタビを持って来いと、野良たちに言いに行ったんだろう。  残された俺たちは、顔を見合わせては目を離し、視線を向けては顔をそむけてを繰り返した。  気まずいというか、照れくさいというか、なんとも奇妙な感じだ。 「あの、泉さん」  おずおずと里見さんが言う。 「ほんとうに、いいんですか。その……僕に、だ、抱かれても」  真っ赤になった里見さんは、とてもかわいかった。そんな里見さんが俺みたいなのを抱くなんて、想像もつかない。どちらかというと、俺が抱く方で里見さんが抱かれる側な気がするけれど、それだと人間には戻れない。  不安げに見つめてくる里見さんに、頭を擦りつける。里見さんはさみしい目でほほえみながら、俺の喉をくすぐった。ゴロゴロと喉が鳴る。里見さんの指はたくみで、俺はあっという間に脱力して膝に甘えた。腹まで見せて、里見さんを信頼しているとアピールする。それなのに、里見さんの長いまつげの奥の目は、愁いを含んでいた。  男を抱かなきゃいけないなんて、気乗りしなくて当然だよな。同性に興味があるタイプだったとしても、好みってものがあるし。  俺は里見さんの唇を見た。薄いけれどもふっくらとして、やさしげな微笑を含んでいる唇。オシロが俺のものだと言いたげにキスしていたのを思い出して、胸の奥がざわついた。だけど俺だって、里見さんとキスをしたことがある。夢中であんまり覚えていないけれど、里見さんからキスをされた。俺をなだめるためだったとしても、里見さんからしてもらえた。  あのときの興奮がよみがえって、ドキドキしてきた。今度はそれより、もっと先のことをするんだ。俺の体を撫でているこの指に、抱かれる。意識をすると、膝の上にいるのが照れくさくなって飛び降りた。 「あっ」  ちいさな里見さんの声。俺を追いかけた指が止まって、触ろうかどうしようかと迷っている。俺は鼻先で指をつついて、イスの下にもぐりこんだ。里見さんから離れるつもりはないという意志表示。いやがっているわけじゃないと、伝わってほしい。  里見さんの指は俺に触れずに持ち上がった。コトリと音がしたのは、湯呑を持ったからだろう。 「泉さん」  緊張気味の声が降ってきて、俺は耳を動かした。 「もし……もし、ほんとうにいやなら、そう言ってくださいね。無理強いは、したくないんです」  わかったと、頭を里見さんの足に擦りつける。ふっと里見さんから緊張が抜けた。 「僕のせいで、すみません」  里見さんは、なにも悪くない。悪いのはネコになりたいなんて、軽率につぶやいた俺だ。まあでも、ネコになってしまうなんて想像もしていなかったから、真に受けて俺に術をかけたオシロが悪いのか。いやでも、オシロは俺がつぶやかなければ、術をかけなかったって言っていたな。つまり、だれも悪くないってことだ。  だれも悪くないのなら、しかたない。親切があだになったってパターンだ。だから里見さんが気に病む必要なんてない。むしろ、好きでもない男を抱かなきゃならなくなった里見さんは、被害者だ。俺の方こそ、あやまらなくちゃいけない。 「にゃあ」  足首に体を擦りつければ、里見さんの指に額を撫でられた。遠慮がちなその動きに、里見さんの迷いが表れている気がしてせつなくなった。

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