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秘密の館

物心ついた頃には、ノアは一人だった。 戦で孤児になったのか、親に捨てられたのかは分からない。悪運が強かったのか、生きる執着が強かったからか……ノアは一人でもどうにか生きながらえていた。 ある日、たちの悪い兵士に捕まったノアは服を破かれて乱暴されそうになった。訳も分からず泣き叫んでいたら、救いの手が現れた。 『薄汚い手で触れるな』 氷のように冷たい声がして、細い剣が兵士の喉を貫通した。兵士の血がパタパタとノアの裸身に滴ったのを覚えている。 そして神々しいまでに美しい容姿をしたあの男の顔も……。 『やっと……見つけた』 すらりとした長身に、腰までかかる絹糸のような黄金の髪。 透き通ったアイスブルーの瞳。 完璧に整った目鼻立ち。 まるで教会の天使像のように美しかった。 『ノア。おいで』 ずっと一人で生きてきたノアには名前が無かった。ノアという名は、この美しい男が名付けた。 いや……名付けたというよりも、最初からノアの名前を知っていたという方がしっくりくる呼び方だった。 美貌の男───ザカライアに拾われた時、ノアは10歳だった。 森の奥深くにある彼の館に連れて帰られ、まるで宝物のように大切に扱われた。 そこはとても不思議な館だった。召使いは一人もいないのに、いつだって埃ひとつなく綺麗だった。 それに食事も。ザカライアが料理をしているところなんて見たことがないのに、食事の時間にはいつでも温かく美味しい食事が用意されていた。 ───彼は魔法使いなのかもしれない。 ノアは密かにそう思ったが、この穏やかな暮らしを失うのが怖くて黙ったままでいた。 ザカライアはノアに読み書きや、薬草の知識、まじないの類いや星の読み方など、惜しみなく知恵や知識を与えてくれた。 自由以外はなんでも…… ノアは屋敷の中と庭に出ることだけ許されていた。ザカライア以外の人間とは誰とも会わず、外の世界とは完全に切り離された。 そんな二人だけの暮らしも四年が経ち、ノアは14歳になった。 『ねぇ、町に出たいんだけど』 『駄目。外の世界は危険だからね。ここにいるのが一番いいんだよ』 『ガキ扱いすんなよな。そろそろいいじゃんか。俺もう14歳だよ?』 『ノア』 ノアの口の悪さにザカライアは困ったように微笑した。 ずっと野良猫のように生きてきたノアは品の無い喋り方をする事があったが、これはなかなか治らない。そもそも育ちが悪いのだ。 『おいで』 呼ばれて素直にザカライアの膝の上に座った。 彼はノアの銀色の髪を優しく梳きながら諭すように話した。 『ノアの為なんだよ。悪魔が君を攫いに来る。私とここにいれば安全だから』 『悪魔なんていねぇよ』 『……いるよ。可愛いノアを食べてしまう。でも大丈夫。私がノアを守ってあげる』 時々、ザカライアは神話のような物語を話した。 天国と地獄の話、天使と悪魔の話。 ノアは話半分で聞いていた。 もう四年も館に籠りきりだったので、そんな話よりも町に出ていろんなものが見たかったのだ。 ザカライアとの生活は平穏なものだった。 だが、ノアが成長するにつれて彼は時折、苦しげな表情でノアを見つめるようになった。 まだ子供だったノアにはその視線の意味が分からなかった。幼かったのだ。 夜はずっと同じベッドで眠っていたのに、ザカライアに言われて寝室を別にするようになった。 ───なんか避けられてる気がする……俺、なにか怒らせちゃったのかな? 悶々としていたノアは、ある夜、ザカライアの寝室にそっと忍び込んだ。ザカライアは浴室で湯浴みをしているようでベッドにはいなかった。代わりに別の人間が横たわっていた。 誰だろう? ザカライア以外の人を見るのは数年ぶりで、ノアは好奇心に負けてベッドの上の少年を見た。 『……ヒィッ!?』 17、8歳くらいの華奢な少年は……目を開いたまま死んでいた。 髪は暗い色をしているが、その死んでいる少年の瞳はノアと同じオッドアイだった。 それに顔立ちも(わず)かに自分に似ている。 『な、な……なんで……』 少年は何も着ておらず、裸で両手両脚を投げ出して死んでいる。その死に顔は恍惚とさえ見えるが、ノアは恐怖に怯えた。 ───似てる……俺に似た子を……ザカライアが殺した!? ショックで震えながら立ち尽くしていると、背後から名を呼ばれた。 『ノア』 『ひっ!』 ノアは肩をビクッと跳ねさせて、ぎこちなくふり返った。まだ濡れた髪のまま、背後に立ったザカライアがノアを見下ろしていた。 『……勝手に寝室に入ってはダメだと言ったでしょう』 『ご、ごめんなさい』 ザカライアはため息をついて、ゆっくりとノアに近付いた。ノアはガタガタと震えながら、動くことができずにザカライアを見上げた。 『ザ、ザカライア……こ、殺さないで……っ』 『ああ、ノア。私が君を殺すわけがない。愛しているんだ』 ザカライアは優しく微笑み、跪いてノアを抱きしめた。 いつもなら安心する微笑みが恐ろしくてたまらない。ザカライアはノアを抱き上げて、寝室を出てノアの部屋まで運んだ。 『な、なんで……あのひと……死……』 『ノア。天使と悪魔の話をしたでしょう』 ノアをベッドに横たわらせると、ザカライアは床に跪きノアの手を優しく握って、落ち着かせるように静かに話した。 『天使や悪魔と交わると人間は死んでしまう。エネルギーが違いすぎるんだ。人ならざる者に魅入られると魂を連れていかれてしまうというお話をしてあげたでしょう』 ノアはこくりと頷いた。 声が出ない。ザカライアは自分は人間ではないという事を言っているのだ。 彼は魔法使いかもしれないと思っていたけど…… ───どっち? 彼はどっちなの? 『ずっと抑えていた。ノアはまだ幼いからね。でも……美しく成長したノアを見て、自分を抑えるのが困難になった。だからノアの代わりに抱いた。あの子には可哀想な事をしたけれど……大丈夫。天国の門はあの子の為に開くよ』 静かな声で恐ろしい事を話すザカライアは別人になってしまったみたいだ。 意味が分からない。怖い。彼はおかしくなってしまった。 『100年だ。100年もノアを探していた。やっと見つけたんだ。大切にしたい。君はあの子のように壊れたりしない。だからゆっくり、私を受け入れる準備をしようね』 ザカライアは微笑んでノアに口付けた。 お休みやおはようのキスとは全然違う。 欲望混じりの深い口付けだ。 『う、ぅん……ん』 小さなノアの舌に己の舌をひとしきり絡ませたあと、ザカライアは満足そうに唇を解いた。 『おやすみ。ノア』 ザカライアが出て行っても、ノアは一睡もできなかった。

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