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二人の男
真夜中になってノアは目覚めた。
裸のまま、後ろからルシアンの腕の中にすっぽりと包まれるように抱かれて眠っていたようだ。
ルシアンを起こさないようにベッドを出ようとして、腰の痛みに思わず呻いた。
「……う」
「ノア、起きたのか?」
ルシアンが寝起きのセクシーな声で囁いて、再び腕の中に閉じ込めるように抱きしめた。
ノアはこの暴漢からいかにして逃れようか、頭をフル回転させた。
「ねぇ……のど、乾いた」
「ああ。可愛い声で鳴きっぱなしだったもんな」
「クソやろうッ! いいから飲み物持ってきてよ!」
ルシアンは声を出して笑い「女王様に水を持ってきてやる」と、下だけ履いて部屋を出ていった。
次の瞬間、ノアは転げ落ちるようにベッドから下りて、ルシアンの上着を羽織った。
ぶかぶかだが仕方ない。
裸足のまま急いで部屋を飛び出した。鈍く痛む腰と震える膝に自分を叱咤した。
───しっかりしろ! 逃げろ! あいつはヤバイ奴だ。ザカライアと同じ異常者だ。
ノアは裏口から逃げ出そうと、足音を忍ばせて階段を降りた。
ちょうどその時、宿の前に長身の男が立っていた。
月明かりに美しい相貌が映えて、まるで月の化身のように、この世のものとは思えない輝きを放っていた。
男はすっと腕を上げて、ちょうどノアがさっきまでいた部屋の窓の方に手をかざした。そして、見えない何かを掴んで引くように、空を掴む仕草をして手を引いた。
ガシャ───ンッ!!
男が手を引くのと同時に、部屋の窓ガラスが中から外へと、まるで室内から爆弾に吹き飛ばされたかのように粉々に砕け散った。
ガラスの破片が路上に降り注いだが、不思議な事に男の周りにサークルを描くように避けて破片は落ちていた。
「ひゃっ!? なにっ!?」
ノアは階段を下りたところでうずくまった。ルシアンが慌てた顔で駆け寄ってきたので、咄嗟に宿の入り口の扉へダッシュした。
「待て! ノア!!」
「待つか! バーカ!!」
だが、外へ飛び出した瞬間───硬直した。
「ノア。やっと見つけた」
「あ……あ……!?」
───ザカライア!? なんで…あ! まじない袋!!
ハッとして胸元を探った。身を隠す為のまじない袋の首飾りをルシアンにもぎ取られていたのだ。それでも、こんなに早くノアを見つけるとは……
「ノア 一緒に帰ろう」
「……ゃだ」
後ずさりすると、後ろに立つルシアンにぶつかった。まさに前門の虎、後門の狼だ。
ルシアンはノアを背後に庇うようにして、ザカライアの前に立ち塞がった。
「よぉ……久しぶりだな。ザカライア」
「……ルシアン」
ザカライアのアイスブルーの瞳が文字通り氷の冷たさでルシアンを射抜くように睨みつけた。こころなしか温度が下がったような気がして、ノアは小さく震えた。
「相変わらず粗野で乱暴な男だ。ノアに何をした? 野蛮な害獣め」
「なにって……決まってんだろ? こいつは俺のものだ。冷血野郎はさっさと飛んで帰れ」
───なに? こいつら知り合い!?
険悪な空気に息が詰まる。ノアは恐る恐るルシアンを見上げて、驚いて目を見開いた。
ルシアンの犬歯が異様に伸びているのだ。まるで吸血鬼みたいに。
金色の瞳は狼のように獰猛な輝きを放ち、耳は尖り、吐く息は炎のように熱い。
「あ、あ、バケモノ……」
ノアの小さな声にルシアンは振り返った。その異形の姿にノアは怯えて走り出した。
「ノア!!」
ルシアンの声はガラガラとしゃがれて、まるで豹や狼の唸り声のようだった。
「ノア! 彼は怪物だ。私と来なさい」
走るノアの背に向かってザカライアが叫んだ。
「どっちも嫌だ!!」
ノアは無我夢中で逃げて橋の真ん中まで走ったが、
「ノア」
なぜか後ろから追ってきていたはずのザカライアが目の前に立っていた。
ノアは立ち止まり、今来た道を引き返そうとしたが……
「こっちに来い。ジャジャ馬」
今度はルシアンだ。ザカライアとルシアンに挟まれて、ノアは橋の真ん中で立往生した。
「く、来るな!!」
ルシアンとザカライアはノアを挟んで睨み合っている。
「四年もノアを隠しやがって……よくも抜け駆けしやがったな」
「貴方こそ、よくもノアを汚しましたね」
「ああ。イキ顔がめちゃくちゃ可愛いかったぜ。俺とのセックスは相性いいみたいだ」
ルシアンはニヤニヤと下衆な笑みを浮かべながらザカライアを挑発した。
「……黙れ」
ザカライアから怒りのオーラが放たれ、石造りの橋の中央にビシリと亀裂が走る。
「ひっ!?」
ノアは驚いて跳びのき、橋の手すりに掴まった。
「バカ野郎! 危ないだろうが! ノア、こっちに来い」
ルシアンが獣のようにザカライアに吠えて、ノアの方に手を伸ばした。
「ノア。館に帰るんです。こちらへ来なさい」
ザカライアもノアに手を差し出す。ノアは首を左右に振って、どちらの手も拒んだ。
どちらも嫌だ。選べるはずがないだろう。
「なんで、なんで俺なんだよ!? もうほっといてよ!! あんたら二人とも怖いんだよッ!」
ノアの言葉に、二人は少し傷付いたような顔をしたが、同時にずいっとノアの方へ歩き出した。
「来るなバカ!!」
追い詰められたノアは橋の手すりの上によじ登って立った。はるか下に見える真夜中の川は暗くて底無し闇のようでゾッとした。
「やめろ! ノア!」
「危ないから下りなさい!」
「もうほっといてよ!! 俺は……あッ」
「「ノア!!」」
二人を振り返った時、足を滑らせたノアは橋の上から暗い闇のような川へと落下していった。
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