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第5話

食欲、と言うものはあまりない。 腹が空けば食べるし、空かなければ食べない。ただそんな単純で明快な答えだ。 寝ている方が随分と楽だ。 だけど、昔はもっとーーー 「……………」 四日目の、昼。もう自分で歩き回れるからと湊が俺の部屋を用意してくれた。広すぎるくらい広いその部屋はただ単純に寝台と、色々な引き出しのある棚、壁にかけられた時計だけだった。 正直、何か欲しいものと言われても特にない。俺は読み書きができないから本も読めやしない。 「…」 なんとなく、ぽっかりと記憶に穴が空いたような感覚はある。さっきから、父様の顔は思い出せるのに、名前を思い出せない。 ぽろぽろと零れ落ちていくのだろうか。このまま、手繰り寄せる糸もない状態で過ごしていたら、いずれ自分の名すら忘れてしまうのだろうか。 ーーー飲み込まれないようにしなさい 不意に、湊の言葉を思い出した。 また眠れば会えるのだろうか。あの、夢の中の湊は、何を知っていて何を知らないのだろう。 寝台に横になり、天井を見つめながら腹の上で手を組んでそっと瞼を閉じる。 ゆるゆると浮遊する感覚に意識を手放した。 ーーー口笛が、きこえた。 「やぁ、いらっしゃい」 「……湊」 黒髪に褐色肌の男。やっぱり、あの湊とは別人なのだろうか。 「ーーききたいことが、ある」 絞り出したように震えた声音が湊に届くと、目の前の男はニコリと笑み、口を開いた。 「お前の父は、霊山の主である「勝呂」だよ。今は牡丹と名乗っているけれど」 「……そ、うだ。父様は勝呂、…母様は、紅だ」 どうして思い出せなかったんだ。 頭が重くのしかかる感覚にふらりとその場に座り込んだ。 あの、大きな木の下だ。幹に寄りかかりながら上を見上げるとざわりざわりと風もないのに葉が揺れている。 「飲み込まれないようにしないといけないよ。温羅」 「名前、知ってたのか」 「他にもね。百年に一度しか目覚めないその呪いは、至極単純に解けるものだよ。お前は小さな人の子だ。人がかけた呪いは人にしか解けない」 座り込んだ俺の前に膝をつき、湊が唇に人差し指を当てながら、シィ、と笑う。 「……よく、考えなさい。人の事は、人に。妖の事は、妖に。お前はどちらも持っている癖に、使い方を知らない様だね」 「使い方…?」 「もっとも、使い方を間違えたから私ものまれたのだけれど」 「ーーーーーー取り戻したくはないのか?」 そうたずねた声が、湊の唇に飲み込まれた。目の前に赤い瞳があって、唇にひんやりとした感触がする。それが湊の唇だと理解するまでには、もう離れていた。 「…な」 「刀を探してごらん。温羅。刀を持つ鬼を」 「………鬼…?」 小さく聞き返せば、湊がそうだよと答えた。 「その刀を持つ鬼が、答えを持っている」 そうして、目が覚めた。 「刀を、……持つ、鬼ーーーーー」 なぜだろう。おそらく俺は、その鬼を知っている。そんな気がする。 刀を持っていた鬼は、父様以外に一人しかいなかったはずだ。龍神の骨と鉄を混ぜてうたれた刀。 「ーーーー…」 誰だったろう。 そんなことを考えながら、ふとした違和感に気づいた体を起こし、窓から外を見れば真っ暗闇だ。月の位置からして恐らくは夜。 四日目の夜だ。

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