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第8話

新月の、夜だった。 それは記憶にある。けれど、なら、俺は、父様の大切な相手を殺そうとしたのか。 「………我を忘れて、喰らうのは仕方がない。それは鬼らしい行動だよ」 「ちがう、俺が知りたいのは過去じゃない…!」 ーーーのまれないように。 夢の湊が言った一言を思い出して、伏せた目を開けながら湊を見る。 黒髪に、赤い目は 「ーーー夢で、湊にあった」 その姿は、湊だった。肌の色こそ違えど、湊だ。だけど、今目の前にいるこの湊は知らないようだった。 混ざりすぎて無くした自己の核はあの湊では無いのか。 「夢?」 「今のあんたにそっくりだ。違うのは肌の色だけだろう。あんたの元は、なんなんだ」 元は魂だと湊は言った。 なら、なぜ湊と名乗るのか。 「…………私の九割は妖や、鬼の魂だよ。ただ一つだけ、人間の魂がある。私の名は、この体はおそらく本来の「桜庭湊」の物で相違ないよ」 「なんで、湊なんて名乗るんだ」 俺の問いに、湊は初めて目を逸らした。 目を逸らし、口を閉じる。 「分からないな。私はーーー」 そこで口を閉じ、湊は逸らしていた目を俺に戻し、首を傾げた。 「私は、……誰なんだろう」 こぼれた言葉に、息を飲んだ。 そうか、感情のない言葉の違和感は、 「あんた、死にたいのか」 生への興味なんかじゃなく、死への渇望だ。死への興味がないのではなく、死ねないんだ。湊は、魂を喰らいすぎて死ねない。 混ざりすぎて、もう分からないだけなんだと。 「死、か。どうだろうね」 また、微笑みを貼り付けて湊が言う。 夢の湊が、俺の言葉に口づけを返したのは、答えるまでもなく明らかだったからだろう。飲み込まれた自我は、自由を求めている。ただ、それだけなんだ。 取り戻したいわけじゃない。ただ、自由を。 だけどきっとそれは、死ぬしか道がないのだと。 湊は分かっているんだ。 それ以外の術なんて無いのだと。 「……色々な魂が混ざりきって、私を成している。死という概念は、おそらく無いよ。ただ、今の私が消えるのを死というなら、話は別だけれど」 湊の唇が、小さく俺の名を呼んだ。温羅、と鼓膜に届いた小さな声に、なんだと答える。 「温羅は、私を解放してくれるのかい?」 懇願のような、それでいて投げかける様な、ストンと落ちてきたその言葉に、俺は目を瞠り僅かに腰を上げた。 「……誰も彼も、「私」を知らないこの現在から、私を」 「ーーーーーーーーーーー…それが、湊の本心であれば、尽力する。必ず、叶えよう」 「……………………………………………………………………………………………………………………ありがとう」 小さく呟く湊の声が、僅かに震えている気がした。 部屋に戻ってから、寝台に寝転んで目を閉じる。ふっと息を吐きながら、暗くなっていく思考に身を任せた。 「………よく、来るね」 「ーーーーー湊」 あの太い木の幹に背を預けて立つ湊は、ふふっと笑いながら目の前に立っていた俺を見た。黒髪に、赤い瞳。褐色の肌。長い前髪から僅かに覗くその赤い瞳からは感情がうまく読み取れない。 「刀を持つ鬼を、見つけた」 「そう」 「湊は、……死を望むのか」 拳を握りながら、そう問いかければ湊はそれはそれは綺麗に微笑み「いいや」と言葉を紡ぐ。 「…私の望みは死ではなく、解放だよ」 「同じじゃないのか」 「いや、少し違うな。……私は、自由になりたいんだ。もし生まれ変われたら普通の人生を歩みたいね」 普通の、人生。自由。解放。 どちらの湊も、望みは同じだった。解放されたいのか。今のこの状態から。 「ーーーーだけど、」 だけど、それは、 「俺の目の前にいるあんたは居なくなるじゃないか」 今の、湊は居なくなる。 だけど、望むなら叶えたい。やり方は、救い方はもう分かっているのだから。 だけど、どうしたってこの生まれたばかりの僅かな感情が悲しさを産む。 「ーーーー温羅、たとえ消えても、また会える」 ぽん、と頭を撫でられて小さく違うと呟いた。 違う。会えたって、そんなのは 「俺を、湊は忘れてしまうだろ。だけど、きっと俺にしか、出来ない事なんだ」 「………………もう随分と長い間ここに一人で居たけれど、お前がきてからは存外、楽しかったよ」 「っ、俺は」 「温羅」 言いかけた言葉を制する様に、湊が俺を呼んだ。口を閉じ、拳を握りしめたままで湊を見つめると、困った様に首を傾げておいでと両手を広げる。 「ーーーー…温羅、お前は選んだのかい?」 ぽすりと湊の胸に角を当てて、背中に腕を回した。 「………選んだって、もう、そんなことは」 酷くかなしくなって、口を噤んだ。 そうか、最初にあの黒髪を見てからきっと、俺はーーーー 「……あんたが居ないと意味がない」

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