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第19話

19  犬塚さんの部屋は、ゲームの中のシノさんの部屋みたいに、無駄なものがない、シンプルだけどオシャレな内装だった。カフェから二駅離れたところにある、賃貸マンション。六階建でしっかりとした造りで、オートロックを通り抜けて、エレベーターに乗って、辿り着いた場所だった。犬塚さんはやっぱり、仕事も出来る人みたいだ。 「適当にしてて」 「すげ、キレーですねー」  つい、物珍しくてきょろきょろ見てしまう。1LDKの間取りで、玄関から上がると短い廊下があり、風呂と寝室に続くドアがある。その先に見えるのはキッチンで、広いリビングと繋がっていた。うーん、広い。  お言葉に甘えて、コートを脱ぎながらリビングに失礼すると、大きなテレビ画面がお出迎えしてくれた。今は真っ黒だけど、ちゃんと、下には据え置きのゲーム機がある。犬塚さんが本当にシノさんなんだと、そんなところで実感してしまう。グレーのソファに腰かけてぼんやりと考えを巡らせていると、犬塚さんがやって来た。 「酒じゃなくて悪いね」 「あ、ありがとー」  温かいマグカップ、その中にはほっとする味のミルクティーが入っていた。両手でカップを持って、一口啜り、小さく息を吐く。冷えた身体に、甘い熱が染み渡る。ソファが沈む感覚がして、犬塚さんが隣に座ったのがわかる。 「で、意識しちゃうって?」 「そ、そんなこと言ってない」  唐突に前の会話を持ち出されて、危うくミルクティーを吹き出しそうになった。危ない危ない。隣にいる犬塚さんの顔を見られないのは本当だ。 「結構傷ついたんだぞ。インしたらすぐに、他のヤツに声かけてるし」 「う」 「話しかけても強引に話逸らすし?」 「うう」 「一緒に回りたいイベントもあったのになあ?」 「ううう」  ちくちくと刺さるような言い回しは、確実に精神攻撃をしてくる。もしネトゲだったら、今頃俺のMPは空っぽだ。マグカップを握り締めて俯くしかない俺に、犬塚さんは笑った。隣から伸びてきた手が、俺の頭をぽんと撫でる。 「そのくせ、俺が他のヤツと組むと気になってそうだし」  そう言う犬塚さんは、やっぱり何処か楽しそうだ。顔を覗き込んでくるから、気付いたら少し熱をもった顔を悟られないように、ふいと逸らす。 「期待するなっつー方が、無理じゃないですかね」  犬塚さんの手が、俺の肩に回った。力を込められて抱き寄せられそうになり、思わず、顔を上げた。近い位置に犬塚さんの整った顔があって、つい、腰が退ける。 「なァ、アキ?」 「あ、アキじゃなくて、シュウ!」  アキっていうのはネトゲの、無駄に整ったイケメンのアバターだ。今ここにいるのは駿河秋、二十六歳の普通のサラリーマン。俺の反論に犬塚さんは瞬いて、また笑う。 「ごめん、秋」 「な、名前で呼ぶような仲でしたっけ?!」 「俺のことも利一って呼んでいいよ」 「いや下の名前初めて知ったし」 「そうだっけ」 「つうか近い近い近い」  会話の最中も犬塚さんがどんどん距離を縮めてきて、すっかりソファの端に追い詰められてしまった。ソファの端は壁で、犬塚さんが片手を壁につき、壁と犬塚さんに挟まれる形になる。所謂壁ドンだ、コレ。 「い、犬塚さ」  犬塚さんが顔を寄せてきて、髪とか、額とかに唇を滑らせてくる。思い切り顔を逸らすけれど、そうしたらそうしたで、耳とか首筋に触られて、ぞわぞわした。マグカップだけが救いだとばかりに握り締めていたが、気が付いた犬塚さんが、ひょいと持ち上げて、ローテーブルに置いてしまった。零すと大変だしね、うん……。 「抵抗しないの」 「し、してますけど」  逃げてますけど。  身を後ろに退くと、壁の硬い感触が背中いっぱいに広がる。 「お、俺は……」 「うん?」 「俺はこのまま、ホモになってしまうのか……」  ゲームでもリアルでも、散々否定してきた感情が、犬塚さんを目の前にすると、否定する自信が脆くも儚く崩れてしまう。何処かに触れる度にどきりと胸が高鳴るのも、優しい瞳を見るだけできゅんと胸が締め付けられるのも、まるで、中学生の初恋みたいだ。俺の呟きを聞いた犬塚さんは、一度瞬いて、やっぱり笑う。 「今更だな。結婚式まで挙げてるのに」 「それはゲームの話っ」 「性別にはこだわらないって言ってなかったっけ?」 「あれはネタでしょー」  確かに言ったけど、そういう会話の流れだったからだ。  犬塚さんは目を細めて俺を見て、空いた片手で、頬を撫でてきた。その手つきが優しくて、目を逸らす。 「キスしてみる?」 「え」  ええええ。  直球な誘い文句に、頭が反応する前に、じわりと顔が熱くなる。 「本当に無理だったら力づくで止めていいよ」 「何その前置き、ん」  犬塚さんが顎に手を掛けて俺に上を向かせ、まだ話してるのに、唇を合わせてきた。女の子のものよりも硬く、厚い。何度か角度を変えて押し付けられて、それだけのことにぞわりとする。ぬるりとした舌が上唇をなぞってくるから、擽ったくてつい口を開けたら、その隙間から、熱い舌が入り込んでくる。反射的に奥に引っ込めた俺の舌を探すように、歯列や上顎まで舐められて、ぞくぞくと背筋が粟立つ。何かに掴まっていないと不安で、犬塚さんの首に、抱き着いた。 「ぅん、ふ」  甘ったるい声が、自分の喉から出ているとは思いたくない。絶対この人、慣れてる。舌の横や裏を舐めて、舌先同士で絡まったと思ったら甘く噛まれて、送り込まれる唾液を、こくりと飲んでしまった。飲み込み切れなかった分が口角から垂れるけれど、顎に掛けた手に力が入り、更に口を開かれる。引っ張り出された俺の舌の、奥の方まで舐められて、身体が芯から熱くなってくる。更に犬塚さんの咥内にまで誘い込まれて、悔しいけれど、為すがままになるしかない。身体の力が抜けてきたところで、漸く、唇が離された。 「っは、ぁ、は」  きつく瞑りすぎて瞳がぼやけて、肩で呼吸するしかない。犬塚さんは、濡れた俺の口許を舌で拭い、笑いかけてきた。その表情がすごく嬉しそうなもので、無性に照れて、顔を逸らした。 「な、なんでそんな嬉しそうなの」 「好きな人とキスしたら嬉しくもなるだろ」 「あああそうやって、そうやって、イケメンなこと言ってー」  さらりと言われたら照れるしかないでしょー。そうだ、そういえばこの人は、ネトゲでもリアルでも、出会ったときからイケメンだった。さりげない気遣いが出来て、いつも穏やかで、女の子にモテるっていう。ちらりと、視線だけ上げて犬塚さんを見る。 「なんで、」 「ん」 「なんで俺なんか、好きになったんですか」  友達同士だったら、きっとこんなに悩まなかった。  えっシノさんて犬塚さんだったのマジですっげー偶然はははー……って笑って流して、今まで通りの関係で、こんなべろちゅーにドキドキするなんてこともなかったはずだ。犬塚さんは、優しく笑うと、俺の髪をくしゃりと撫でてくる。 「ほんと言うと俺も、アキの方が先に気になってた」 「え」 「もしかしたら女の子かなとも思ってた時期もあった」 「えええ」 「反応がいちいち可愛くてさ、ツボだったから。だから色々やってあげてたんだよ」 「そうだったの……」  アイテムをくれたり、色んなところに連れて行ってくれたり、正に至れり尽くせりだったネトゲの中を思い出す。あの頃は、ゲームの中に頼れる人がシノさんしかいなくて、いつしか、ゲームよりも、シノさんに会うのが楽しみになっていた。シノさんがログインしてなかったらがっかりしたり、女の子とパーティを組んでたら寂しくなったり……。 「リアルでも出会って色々知ってくうちに、気になって仕方なくなった。こうやって触れりゃいいなとは思ってたけど、まあ無理だろうなと諦めてたら、いつの間にかこんなことに」  犬塚さんが、俺の背中に腕を回して、ぎゅう、と抱き締めて来る。女の子より固い身体、何より俺よりも体格が良い人に、こんなことをされて、きゅんとする俺って一体……。じわじわと、顔が熱くなってくる。 「おや、顔が赤いよ、秋くん」 「ううう」  これはもしかしてひょっとして、認めざるを得ないヤツじゃないでしょうか。  ゲームの中でのプロポーズを断られてかなりショックだったのも、連絡先の交換を断られて傷ついたのも、――あんな深いキスなのに拒まずに受け入れちゃってるのも、全部。 「俺も、」  力が抜けたままだった腕をそろそろと持ち上げて、控え目に、犬塚さんを抱き締め返す。 「好きに、」  顔を上げて、犬塚さんの耳元に唇を寄せた。 「なっちゃったみたい」  ごにょごにょ、やっと聞こえるような声で囁くと、犬塚さんの笑う気配がする。背中をぽんぽんと叩かれて宥められながら、犬塚さんが横目に見てくる視線を感じる。 「それは、どういう好き?」 「き、聞かなくても、」 「聞かなきゃわかんないな」  ああ、肝心なところで、この人は意地悪だ。  俺は意を決して、少し顔を離して犬塚さんの頬に触れる。間近で見る顔は相変わらず、優しげだけど整っていた。ぎゅ、と硬く目を瞑って、犬塚さんの唇に、触れるだけのキスをする。 「こういう、好き!」  ちゅ、と音を立てて唇を離すと、犬塚さんが、目を丸めている。動揺を露わにする顔を見るのは、そういえば初めてだ。犬塚さんは自分の頭をくしゃりと掻いて、「ほんとに、お前は、」と吐息混じりに呟いた。それから、ぎゅうぎゅうと、きつく抱き締められて、何回か唇にキスをされた。 「ん、犬塚さ、」  名前を呼ぶけれど、犬塚さんは離れない。俺の唇を何度も食んで、舌で唇の隙間に触れてくる。さっきも感じたぬるりとした熱さに、俺の身体も熱を上げる。犬塚さんの肩を軽く掴むけれど、犬塚さんはそれ以上の力で俺に唇を押し付けてきた。 「ん、っ!」  口の中に犬塚さんの舌が押し入ってくるのと同時に、犬塚さんの手が、俺の身体のラインをなぞってくる。パーカー越しに、胸から腹にかけて撫でられて、ぞわぞわした。これは、非常にマズイ感じがする。 「んんっ、ぅ、ん」  俺の抗議の声は、深い口付けに飲み込まれるばかりだ。頭を振ろうにも、壁と犬塚さんに挟まれて、満足に身動きが取れない。酸素を欲して口を開けると、更にと深く、舌の根元までを犬塚さんの舌に攫われた。柔らかい舌の裏を舐められて、びくりと肩が震える。 「んっ、……っは、ァ、は」  何度か舌を甘噛みされると、漸く犬塚さんの唇が離れた。頭がぼやけて、口角を伝う唾液を拭う余裕もない。身体の力が入らなくて壁に凭れ掛かると、犬塚さんが首筋に唇を滑らせてきた。 「ん、」  くすぐったさに身を捩っても、離れる気配はない。顎の下、喉仏、と唇で触れてきて、鎖骨にまで辿り着くと、軽く吸われて、チリと甘い痛みが走る。痕の残る感覚にぞわりとした。 「いぬづかさ、」 「ん」  これ以上はちょっと、って意味で犬塚さんの胸を押してみる。犬塚さんは顎を引いて、俺の着ているパーカーの裾から、手を差しこんできた。素肌の腹に触れられて、肩が跳ねる。 「うわわ、ちがう、そういう意味じゃない……!」 「んー? じゃあどういう意味」 「もう止めてって、ぁ」  思わず小さな声が洩れたのは、犬塚さんが腹から胸にかけてを、今度は素手で撫で回してきたからだ。掌全体で、肌の感触を確かめるように触れられる。こんなの、知らない。女の子相手にしてきたことを、自分にされる日が来るなんて、夢にも思わなかった。 「本気で嫌?」 「んっ、う……」  犬塚さんが、普段よりも低い声で耳元に囁いてくる。ついでとばかりに口付けられて身体が震えた。嫌じゃないから、困ってるんだってば。眉を下げて犬塚さんをちらりと見ると、その瞳に熱が宿っているのがわかって、目を瞠る。妙に気恥ずかしくなって、目を逸らした。 「嫌なら抵抗しろよ」 「そ、そういう言い方」 「なに」 「ずるい、って、……ぅわ、」  恨みがましく言う間、犬塚さんの手が、ジーンズ越しに俺の内腿に触れてきた。まずいまずいまずい。思わず腿同士を擦り合わせたら、結果的に犬塚さんの手を挟むことになってしまって、非常にまずいことになった。 「積極的だな」 「ちっ、ちがうちがう……っ、ぁ、んっ、」  笑い混じりに囁いた犬塚さんの手が、そのまま、俺のものに手を添わせてきた。否応なしに反応して、硬さが増すのが自分でもわかって、唇を噛む。せめて変な声は出さないでいたい。犬塚さんは絶対それに気付いていて、でも何も言わずに、ただ形を確かめるように、そこを撫で上げる。 「ぅ、ん……」 「声、我慢しなくていいのに」 「や、だ……っんん!」  言った傍からつい声が出てしまったのは、犬塚さんの手が、ジーンズのファスナーを下ろして、下着越しに熱くなった俺のものを触ってきたからだ。ボクサーパンツの薄い生地は、防御力が低い。犬塚さんの手の感触をリアルに伝えてきて、意思の弱い俺の分身は、段々と上向いて硬さを増してくる。それと同時に首筋を噛まれて、腰が震えた。 「秋、」  犬塚さんが、熱っぽく囁いてくる。舌先が首筋を這って、鎖骨を甘噛みされる。それと同時に、今度は下着を潜った指先が、直接、俺の性器に触ってきた。完全に勃ち上がったそこは、その刺激を喜ぶように、先端からじわりと先走りを零し始める。顔が、身体が熱くて、俺は犬塚さんの肩に顔を押し付けた。 「っ、ん、……ぁ、っふ」 「気持ち良い? 秋」 「ん、ん……っ、あっ、それ、だめ」  耳殻を舌で舐められて、吐息混じりの囁きに背筋が震える。それと同時に、熱をもった自身の裏筋を指先でなぞられて、びくびくと身体が跳ねた。快感を直接伝えるように、性器の先端からとろとろと透明な雫が溢れてきて、きつく眉を寄せる。 「――秋、わかるか」  犬塚さんが、ごくりと息を呑む音が聞こえた。荒くなった呼吸でそう囁いて、剥き出しの俺の性器に、自分の股間を押し付けてくる。ジーンズ越しに、確かに犬塚さんも興奮してることが伝わってきて、俺の全身がかっと熱くなった。自身も堆積を増したのを、触れ合っているそこから、伝えてしまったかもしれない。 「一緒に、……な」 「ん、ぁ、……いぬづかさ、」  ジーンズの前を寛げ、犬塚さんが熱く猛ったものを取り出す。俺のものと触れ合ったそれに、内腿が震えた。俺は堪らず、腕を伸ばして縋るように犬塚さんの首に抱き着いた。犬塚さんが、宥めるように目元に口付けてくる。 「っは、……秋、」 「ん、んっ、……ぁ、っふ」  犬塚さんが腰を揺らすと、お互いのものが擦れ合う。互いの先走りが混ざってぐちゅぐちゅと音を立てるのが、すごくいやらしく聞こえる。犬塚さんの手が、俺のものを握って上下に擦ってくるから、勝手に腰が揺れた。 「秋も、手、使えよ」 「んっ、ぁ、……は、ふ」 「そ、上手」  言われるがままに手を伸ばして、犬塚さんのものをそっと握り込んだ。他人のそれに触るのは初めてだ。どくどくと脈打って、悔しいけど俺のよりでかい。恐る恐ると上下に擦ってみたら、犬塚さんが、「ん、」と気持ちよさそうに眉を寄せるのに、ぞくりとした。俺の手ごと犬塚さんが握ってきて、上下に揺らされる。弱い裏筋や、亀頭同士が擦れて、透明な雫が溢れてくる。 「っは、ぁ、ん、ん、いぬづかさ、」 「ん、イく?」 「っ、も、イきた、……っふ、ぁ」  気持ちよすぎて、辛い。頭がぼうっとして、目元にはじんわりと涙が浮かんできた。絶頂を求めて手を動かすけれど、その刺激は何処かもどかしくて、つい素直に口にしていた。その瞬間に深く口付けられて呼吸を奪われ、同時に、犬塚さんのと強く擦り合わされる。 「んっ、ぅ、……――ッんん、っふぁ、っは、ぁ」  その直後、透明な雫で濡れる鈴口に爪を立てられて、俺は呆気なく絶頂を迎えた。背をしならせて、先端から、勢いよく白濁を吐き出すと、それとほぼ同じ時に、犬塚さんも射精していた。飛び散ったものが、顎に掛かる。 「っは、あ、は」  荒く呼吸をして、一瞬の間の後、遅れてやってきた羞恥に俺の顔が真っ赤に染まる。ううう、なに、なにこれ。なんで俺、犬塚さんと、抜き合ってんの。 「あー……やっちゃったなあ」 「ううう」 「きもちかった?」  犬塚さんの肩に顔を埋めると、犬塚さんも荒い息を吐き出すようにしながら言った。優しい手つきで髪を撫でてくれるのを受け入れながら、直球な問いかけに、俺は唇を噛む。 「――わ」 「わ?」 「わ、悪くは……なかった」  男同士なのに。同じものなのに。女の子みたいに柔らかくないのに。疑問はたくさんあったけれど、結果的にイっちゃったんだから言い訳はできない。小さく呟くと、犬塚さんが、息を吐くのがわかった。 「――、よかった」  それは本心からの言葉みたいで、ぎゅ、と背中に腕を回して抱き締められる。 「好きだよ、秋」 「う、うん」 「俺も、とかないの」 「ないよ」 「冷たいなあ、……」  なんて嘆く犬塚さんの頬に、ちゅ、と音を立ててキスをすると、犬塚さんの目が丸くなる。それから嬉しそうに笑って、また、きつく抱き締められた。 「ちなみに秋くん、続きは……」 「いやいやいやいやいや」  つ、続きってなに、どこまでを指すの?!  耳元でねだるような声に、俺はぶんぶんと首を横に振る。 「だめ?」 「だめだめだめだめ」  つうか、今さっきのが、段階飛び越えすぎじゃないですかね? 想いを伝え合ったその日にあそこまでしちゃうなんて、犬塚さん、優しい顔して実は相当な肉食男子かもしれない。  ティッシュを拝借してささっと飛び散ったものを拭いて、下着とジーンズを引き上げて、ファスナーを戻す。手早く元通りにすると、犬塚さんは、残念そうに眉を下げた。 「――心の準備ができるまで、待っててよ」  別にその顔に絆されたわけじゃなけれど、そう囁くと、犬塚さんは一瞬目を瞠って、すぐに嬉しそうに笑った。 「秋のそういうとこすげー好き」 「いつまでかかるかわかんないけどね!」 「きっとすぐだろ」 「何その自信」  言い切る犬塚さんにそう返すけど、俺もそんな気はする。……いや、別に、チョロいわけじゃないですけど。  犬塚さんは何も返さずに、また、俺を抱き締めてきた。その表情がやたら幸せそうで、見ているこっちが恥ずかしくなる。  視線を逸らすと、テレビの前に転がる、ゲームのパッケージが見えた。それはお馴染、俺たちが出会った、ネトゲのものだ。  ――きみは、ひとりじゃない。  いつか見た、ゲームのキャッチコピーが頭に浮かぶ。  ――確かに、俺はひとりじゃない。  目の前にいる年上の頼りになるイケメンを、ぎゅ、と抱き締め返した。ゲームの中での完璧なヒーラーが、まさかリアルでも俺を癒してくれるなんて、夢にも思わなかった。

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