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第4話

 砂浜から一段高くなった所には木の板で組んだ道が設置されていた。  所々砂が被っているところもあるが随分歩きやすくなっている。  そこへ並んで座る。  俺も早瀬もさっきからほとんど話さない。でも、居心地のいい空気だった。  ここに、大倉と春木先輩がいたら全然違っているんだろうな、と思う。  海が見える前からハイテンションで、ヒャッホーウとか叫んでいたに違いない。  それはそれで楽しいけど。  早瀬は何も言わずに片膝を立て、乗せた腕で顎を支えた姿勢で海に見入っている。  何気ないその仕草が憎たらしいくらいサマになっていて、格好良いと思ってしまう。  黙って海風に吹かれている早瀬を見ていると、二人で来なければきっとこんな早瀬は見れなかったんだろうという思いと、単純に喜べない気持ちとが複雑に絡み合う。 「朝比奈さあ。さっきから海見ないで、なんで俺見てんの」  姿勢は変えずに、目だけで俺の方を見やりながら早瀬が言った。  ハッとして気付いたが確かに隣にいる早瀬の方をじっと見ていた。うかつにも程がある。早瀬の言うことは(もっと)もだ。  だからって、それを認めるわけにもいかない。 「み、見てるよ、海」  もっと言われたら、早瀬越しに見てたとでも言おう。  だが早瀬は何も言わない代わりに意地悪な笑顔を浮かべた。  そして、上半身を捻り俺の体を挟んで左右に両手を着いた。俺は行き場がなくなる。 「早瀬っ?なに?」  さすがに近すぎて慌てる。せめて背を反らせて距離を取ろうとしたがその分近付かれて体勢が苦しくなっただけだった。 「お前、俺に見とれてなかった?」  余りに図星すぎた。正論だからこそ俺は嘘をつくしかない。 「ないよ、ないから全然。ホント、う、海しか見てないし」  自分でも必死さが滲み出ていると思う言い訳だった。  それが早瀬に伝わっていない訳が無い。 「へー」  やっぱり全く信じてない。また、からかわれてるんだとは分かってる。でもとにかく体勢が悪すぎる。こんなに近付かれて頭が冷静に働くはずが無い。 「早瀬どいて、ほら、海見えないし」  なんとか早瀬の胸を押し退けようとするが、動かない。  まるで襲われそうな所を必死に抵抗してるように見えないだろうか。  他人が見たらどう思うかそんなことを考えて一人で赤くなる。  そんな心配を余所(よそ)に早瀬は耳元まで口を寄せ 「見てなかっただろ」  と低く笑いを堪えてるような声で話す。 「だから、見てたって」  至近距離すぎて顔を合わせることもできない。 「俺をだろ?」  俯いてあんまり力の入らない体勢でどうにか押し戻そうと試みるがやっぱり早瀬の身体はビクともしない。  くっくっと喉で笑っている声が聞こえる。   早くなんとかしなくてはという一心で 「あっ、早瀬あれ、あれ見て!」  と背後を指差すという、古典的な手法を使ってみた。 「賭けてもいいけど、何もないな」  むかつくほど冷静に返されてもう為す術がない。  早瀬は俺にどうして欲しいんだ。  その時、横目に白い何かが転がるようにやって来るのが目に入った。早瀬には死角になっていて見えていない。  それは、まっすぐに俺たちの方に近づいてくる。 「早瀬、後ろ!」 「……昭和のギャグかよ」 「違うって!」  言っている間にそれは早瀬の背中に飛び付いた。そして鼻をピスピス鳴らしている。 「うわ!?」  早瀬は何が起きたか分からず驚いている。 「わぁー、すっごい、かわいい!」  俺は思わず顔がほころぶ。  白いものはポメラニアンの仔犬だった。早瀬の背中に前足で立ってじゃれている。小さな尻尾をいっぱいに振りながら、つぶらでこぼれそうな瞳をこちらへ向けている。  すぐに飼い主と思われる優しそうなおばあさんがやってきて仔犬を拾い上げる。 「あらあらあら、どうも、ごめんなさい。お怪我はありません?この子の首輪が緩かったみたいで」  早瀬も正体が分かるとニッコリと笑って仔犬とおばあさんを見上げた。 「少し驚いたけど、なんともないから大丈夫ですよ」 「それなら良かったわ。お二人はアベックさんかしら?」 「はい」  早瀬は笑顔を浮かべたまま、いともあっさりと答える。 「デートのお邪魔をしてしまってごめんなさいね。それじゃあご機嫌よう」  おばあさんは仔犬に首輪をつけ直して去って行った。 「犬の散歩にはうってつけなんだろうな、ここ」  早瀬がそれを見送りながら言う。  結果的に仔犬の乱入によって俺は救われたが、今度はおばあさんと早瀬の会話に心が囚われてしまう。  アベックという言葉自体聞き慣れないが、それは年配の人だから良いとして、俺が女に見えたんだろうか?確かに早瀬の陰にはなっていたけど。やっぱり髪が長いからそう見えたのか。  いや、そうじゃない。本当に引っ掛かってるのはそこじゃない。  なんでなんだ。  ……なんでそれを早瀬は肯定したんだ。  でもおそらく深い意味なんかない。きっと、ほんの挨拶程度の会話で間違いをわざわざ正す必要もないと思ったんだろう。そうとしか考えようがない。 「気にしてんの?」  黙り込んだ俺に早瀬が尋ねる。  何を、と言いかけてとっさに言葉を飲み込む。ここで俺が気にする内容は女性と間違えられた事の方だよな。変な答え方をすると、意識してるみたいに聞こえるかもしれない。 「おい?口開けたまんま、なに()けてるんだよ」  反応のない俺に怪訝そうな声で早瀬は言った。  自分でもグダグダ考え過ぎて、何を答えるのが普通で、どうしたらおかしくないのか、と何について考えているのか、が頭の中で滅茶苦茶になり訳が分からなくなってきた。もう泣きそうだ。 「あはははは、はははは、なんか、よく、分かんない」  とうとう脳ミソが考える事を放棄して、泣き出す代わりに笑えてきた。  そんな俺を見て早瀬は呆れたような憐れむような顔をした。 「変な奴。なんでお前そんなに……大体お前さぁ……意識、しすぎ」  早瀬にしては珍しく何度も言葉を途切れさせて、その語尾は小声になり、そして顔を海に向け完全に独り言のように言った。 「ヤベー俺、限界かも……」  俺に向けられたものでないそれは、波と風の音ではっきりとは聞き取れない。 「え?」  聞き返すと突然口の中にふわふわした何かを押し込められた。 「うるさい、ぽかんと開いた口にそれでも詰めてろ」  いつの間かさっき買ったコンビニ袋の中から、マシュマロが開けられ、それを入れられたようだ。 「ふぁにふんらよ」 「もっとやるよ」  思ったより楽しかったのか、笑いながら顎を掴まれ無理矢理もう一つ口に突っ込んでくる。いくらマシュマロが柔らかいといっても一つ5センチくらいあるやつだ。二つも入れられると苦しい。 「ふぁか、やへろよ!」  早瀬は俺に暴行を振るって満足したらしい。涙目の俺にペットボトルのお茶を寄越してくる。  それを無言で奪い取り、早瀬を横目で睨みながらお茶とマシュマロを飲み下す。 「お前と居ると、飽きねぇな。おれ朝比奈の事やっぱ好きだわ」  早瀬が笑いすぎの名残を目尻から拭う。  まだ口元に笑みを残したまま、腕を伸ばしに俺の髪に触れる。  俺は一瞬体が固まるが、思い留まる。  今は俺しかいないんだから早瀬が俺を構うのは当たり前だ。好きなんて言葉に友情以上の意味はない。  俺がいちいち大げさに反応するから早瀬が面白がってからかうんだ。  もう、早瀬のする事には逆らわない事にしよう。  こいつの中では、全部有りだし普通のことなんだ、そう思う事にした。  逆に考えれば、せっかく好きな奴にイジられるんだから甘んじて享受しよう。  そう、開き直ったら少し気が楽になった。  それから買ってきたものを一通り胃袋にしまった後、砂まみれになるのも構わず子供のように浜辺で遊ぶ。  早瀬が言い出した、子供時代に作りたくても作れなかった本物の砂の城建設に、夢中になった。子供の頃は盛っただけの山にトンネルを掘るだけで精一杯だった。  今なら簡単に作れるんじゃないかと思ったが、その辺で拾ってきた板切れだけで作れる代物でもないということが分かった。色々試行錯誤を繰り返したがすぐに崩れ去ってしまう。  上手くいかないまま完成する事なく、あっという間に暗くなってきた。  仕方がないので城は諦めて、帰る支度をしながら服中に付きまくった砂を丹念に落としていたら、もう真っ暗だ。  もう一度改めて海を眺めてみる。  厚い防砂林に阻まれて道路側からの光は殆ど届かない。  潮の香りと風、そして波の音は何も変わらない。  なのに、海だったところが、ぽっかりと真っ黒な空間になってしまって何も見えない。微かに泡立った波がうごめくのが分かる位だった。  隣で同じように砂を払っている早瀬も黒い影法師にしか見えない。 「……早瀬?」  何故か急に、不安になった。空気が巨大な質量を持った物になって自分が包み覆われてしまうようで。黒い影も早瀬でないような気がして。  俺の動揺を察したのか黒い影は俺のすぐ側まで来ると俺の頭の上に手を乗せた。 「朝比奈?どうかしたのか?」  それだけで、不思議なくらい安心する。何をバカな想像で怖がっていたんだ、と思う。 「ごめん、なんでもなかった」  俺は平気だと伝える為に軽く首を振る。  だけど早瀬はすぐには離れていかない。 「夜の海って思った以上に怖いよな」  そして乗せた手を俺の肩に滑らせた。 「何にも見えなくて、だだっ広くてさ。ここに居るのが朝比奈かどうか確かめないと分かんねえ」  俺ほど怯えていたかは別として早瀬も同じ様に感じていたみたいだった。 「うん、俺もそう思ってた」 「なあ、これほんとに朝比奈?」  これ扱いをした俺の両肩を確かめるように力を込めて掴まれる。 「何言ってんだよ」  でもそう言いたくなる気持ちは分かる。さっき、俺もそうだったから。 「良く見えない、こんな近いのに」  早瀬の声はいつものふざけてる調子とは違う。至って真面目なものだった。 「こうして話、してるじゃん」 「ちょっと、顔上げて」 「え?」  聞いた時にはもう顎を持ち上げられ、上を向かされていた。 「朝比奈だ」  冗談を言っているようには聞こえない。 「当たり前だろ」 「でも朝比奈、何でそんな泣きそうな顔してんの」  そう言ったかと思うと早瀬は俺を抱き寄せた。  もちろん相当驚いたが、これも早瀬のスキンシップだと、されるがままになっていた。  意識とは別に心臓だけは勝手にドキドキとうるさかったけれど。 「泣きそうな顔なんかしてない」 「してるよ。何とかしてやりたいと思ったもん」  そんな風に優しくするから泣きたくなるんじゃないか。  抱きしめ返して、その胸に顔をうずめることもできないのに。  皮肉なことに早瀬だけは、俺の悲しさを拭う事は出来ないんだから。  でも、それは早瀬のせいじゃない、俺のせいだ。  俺は体を離して早瀬の目を見て笑う。 「見間違いだって。俺が泣く意味が分かんないじゃん」  俺はそのまま荷物を取るふりをして背を向けた。  海から駅まで戻ってみるとまだ七時前だった。これなら九時には元の駅に着く。 「思ったより遠出にならなかったな」  早瀬が残念そうに言う。 「だから、どこまで行く気だったんだよ」 「なんかさぁ、旅感が欲しかったんだよなー」  早瀬の言ってる旅感がよく分からない。泊まりがけの旅行でもすればいいんじゃないかとは思ったが、口には出さなかった。  ホームに着くと帰宅ラッシュで来たよりは混んでいる。それでも上りのせいか電車には二人並んで座ることが出来た。  座った途端、疲れが出た。あっと言う間に眠くなり次の駅に着く前にはすっかり寝入ってしまっていた。  肩を揺さぶられ寝ぼけながら目を開けると、早瀬にぐったりと寄りかかっていた。 「次、着くぞ」 「うわ、ごめん。重かっただろ」  慌てて、身体を引いて謝る。全身で寄りかかって眠る人間は結構重くて、支えるのが大変なのは知ってる。  すると早瀬は小声で小さく笑って言った。 「違うよ。お前、逆側のおっさんにばっかり寄っかかって行くから腹立って俺がこっちに寄せたの」  そして、まぁほっといても良かったんだけどな。と意地悪く付け足された。  俺は別の電車に乗り換えになるので一旦ホームを出た。  飲み会の時よりよっぽど早い時間だった。駅構内はまだかなりの人混みだ。 「なんか食ってく?」  早瀬が聞くがあまりお腹は空いていなかった。 「食べるほど減ってないんだよな」 「実は俺も、じゃ帰るか。結構疲れたし」  そこで別れて帰るのが普通だし、そうしようとしたが何故かすんなり別れ難かった。早瀬も去る気配がない。 「今日さ、マジで楽しかった」  早瀬が俺を見る。 「うん、楽しかった」  それは嘘じゃない。心情的に辛いことも多かったけど。 「なんか俺、朝比奈といると楽しいんだよな。だから今度旅行、行かね?」  さっき早瀬がしたいのは旅行じゃないかと思ったが、やっぱりそうだったようだ。名目だけとはいえ同好会的にも、趣旨は合ってるし。 「それも楽しそうだな。じゃあみんなでどこ行くか決めよっか」  そう言うと一瞬、早瀬は驚いたような狼狽したような複雑な表情になった。 「みんな?」  予想してなかったといった感じだった。 「まあ、お前がその方が良ければ」  だけど早瀬は冷静にそう言った。  旅行というからにはてっきり同好会絡みだと思いそう言ったが、もしかして早瀬は俺と二人で行くつもりだったのか。  そんなの無理だ。今日二人で出掛けただけであんなに翻弄されたのに。 「あー、えっと、早瀬はどっちが良い?」  そんな無責任な言い方でお茶を濁す。 「ずりーな」  早瀬は眉を寄せて口の端を少し歪めた。  その時ホームに電車が到着したようで、俺たちの居る改札付近にドッと人波が流れてくる。  赤ら顔で足下のおぼつかないサラリーマンが、俺の方に倒れ込むように突進してきた。避けきれなくてぶつかると思った時、さらうように早瀬が腕を伸ばして自分の方へ引き寄せると、トン、と俺を壁際に放った。そしてそのまま自分も隣の壁に寄りかかる。 「こんな所で立ち話なんて、するもんじゃねぇな」  壁に背をつけたまま腕組みをして人混みの方を向いている。見上げる横顔が怒っている様にも見える。 「俺は、朝比奈と二人で行きたいと思ったけど?」  正面を向いたままやっぱり不機嫌そうな声でそう早瀬は言い放った。苛立っているのは人混みか、いい加減なことを言った俺のせいか。  しかもはっきりと、二人で行きたいと言われてしまった。  行きたくない事を納得させられる理由も見つからない。 「俺もその方が良い」  実際、半分はそう思ってる。だから、嘘じゃない。 「ふーん?」  それを聞いた早瀬の反応は随分冷ややかなものだった。  しかしそれもその瞬間だけで、またいつもの様子に戻る。 「じゃ、詳しいことはまた後でな」 「うん。楽しみにしてる」 「……ホントかよ」 「本当」 「分かったよ」  じゃあな、と言って去ろうとした早瀬がふと俺の頭に手を乗せてわしわしと髪を乱してきた。 「なにすんだよ」  その手を鷲掴みにして大げさにパシーンと遠くに放り投げてやる。 「髪ん中けっこう砂入ってるからよく頭洗った方がいいぞ。お前天パだから」 「天パ関係ねえだろ!」  それで満足したらしい早瀬はいつも通り笑って帰って行った。

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