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第6話

 それから二週間後の週末。目的通りの旅館も見つかりどうにか予定も合ったので、無事箱根へと四人で出発する事ができた。  天気も絶好の紅葉狩り日和で言うことなしの日だった。 「晴れたのは俺のお陰ね。俺すごい晴れ男なんだから」  運転席の早瀬へシート越しに抱きつくように、早くもご陽気な春木先輩が得意げに絡んでいた。 「ねー感謝して?早瀬ー」 「なんでもいいから離れて、危ないって。大倉、これ剥がせよ」  そんな大倉も全く頼りになる相手ではなく、それを見てげらげらと笑っている。  仕方がないので俺が横から春木先輩の手を(むし)り取るが今度は「ヒナちゃーん」と甘えながら助手席にそのまま乗り込んで来ようとするので、押し返す羽目になる。  当初、四人とも運転は出来るので、レンタカーを交代で運転ということになり、早瀬の運転で俺がナビという形でドライブが始まった。  そもそも少し考えれば分かる事で、飲まない二人が前に居て、呑んべえの二人を後ろに置けばこうなる事は時間の問題だった。  だが大倉が「公平に作った」と言ってはばからないクジに()って決まった席に、文句を付ける訳にもいかなかった。と言うよりも、文句を付ける気すら起こらない。  四人で交代の約束は三十分もせずに反故(ほご)になり、車内は幼稚園バスの様な有様と言ったら幼稚園児に大変失礼な状態になった。 「もう絶対、車でこいつらと来ないからな」  (てい)良く運転手にされた早瀬は言うが 「でも電車でも一緒だよ多分。人の目がない分マシじゃない?」 「あー確かに」  想像したらしく顔をしかめる。 「朝比奈」  少しして早瀬が俺に声を掛けた。 「ん?」 「お前も少し飲めば?俺この辺の道大体分かるし、後ろとテンション違いすぎて辛いだろ」 「いいよ。あれを冷静に見てるのはそれなりに楽しいから」  実際、飲み会ではいつもこんなスタンスだ。それは早瀬も同じだと思うからきっと気を使ってくれたんだろう。 「ちょっと、そこの君タチ!?」  今度は大倉がおかしな声を出して絡んできた。 「なにー?」  俺は面倒臭さを丸出しで返事する。 「二人だけでイチャイチャしなーい!!」 「な、」 「ハイハイ妬かない。後ろの二人でイチャイチャしてれば良いだろ」  そこへ早瀬が割って入ってくれる。 「えぇーそしたらぁ、早瀬、妬いてくれるー?」  春木先輩が変にしなを作って裏声を出した。 「妬くわけないでしょ」  呆れ声で言い放たれて「大倉、あいつ冗談通じない!」とプリプリする春木先輩を大倉が慰めている。  どうにも不安が残る出だしで旅行は始まった。  途中せっかくというので、観光ガイドで紅葉ポイントという所を見つけて一度車を降りてみた。 「ヒナちゃーん、あれなんて名前?」  そう呼ばれて見てみると果たしてどの樹木を示しているのか、そもそもそこは空じゃないのかというような遙か遠くを春木先輩は差していた。  俺が分からずに「どれ?」と尋ね直すと今度は明らかに他人様を指差す。しかも爆笑している。 「先輩!人を指差しちゃだめ!」  と何故か子供を叱りつけるように俺が躾なければならなかった。  大倉に至っては、 「おお、俺の中の野生が騒ぐぞー!」  と言いながら走り回り、遊歩道から飛び出してどこかに行ってしまい、青くなりながら早瀬と二人で探して追いかけ回さなければならなかった。  ようやく見つけたと思ったら、大倉を支えられるようには見えない太さの木によじ登ろうとするのを止めなくてはならなくなる。  余りのやんちゃぶりに早瀬が堪りかねて大倉の頭を一発、思い切りひっぱたいた。  大倉はゲラゲラと笑っている。  俺と早瀬で両脇を挟み、なんとか元の場所に大倉を連行してくるとベンチに座った春木先輩にモテ期が来ていた。4、5人のおばちゃんグループに囲まれている。  先輩はフランクフルトとソフトクリームを両手に持って大層ご機嫌な様子だ。俺は頭が痛くなる。 「すみません。その人の連れですが、何かご迷惑おかけしてませんか……?」  とおそるおそる声を掛けるとおばちゃん達は「あらいやだー、若いお兄ちゃんに相手してもらって、こっちこそご迷惑おかけしてるのよ。ねー」と口々に笑っている。 「みてーヒナちゃん、これ買ってもらったんだよー」 「はい良かったですね。もう車戻ろう、ね?」  あやすように春木先輩も連行する。  車に戻って早瀬と二人でシートにもたれて脱力する。人の気も知らずに後ろの二人はまた飲み始めていた。  そんな様子で全くもって観光どころではなかった。  これ以上、人様に迷惑を掛ける前にもう早々にチェックインして部屋で放し飼いにした方が楽じゃないか、という早瀬の案に俺は全面的に賛成した。  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇  部屋は四人部屋で結構な広さがあった。少し位なら泥酔コンビが暴れても大丈夫そうだ。だが念の為、床の間の花瓶など壊れそうなものは押入に入れておく。  部屋からはきれいに紅葉した山が見えている。景色はそれだけで充分堪能できた。  取りあえず食事の前に露天風呂に入ろうという話になったが、当然出来上がっている二人は連れて行けない。しかも部屋にこの二人だけで置いておくのはあまりに不安が残るので俺と早瀬は交代で風呂に入りに行った。  大倉と春木先輩は夕食の豪勢なご馳走の味も分かっていたのかどうか疑わしい。  夕食後、部屋でくつろいでいると春木先輩が絡んできた。 「ちょっとぉ、ヒナちゃん達もう温泉入ったんだってー?ずるいよー」 「なにぃ、自分達だけかよ。何で誘わないんだよヒナ」 「そんなに酔ってたら温泉なんか入れないって」 「俺たちは全っ然酔ってません!」  春木先輩は胸を張って偉そうに仁王立ちをしたがすぐに立っていられず、くたーと座り込んで横に転がった。 「大体お前らだけ一緒に温泉とかやらしいぞ」  大倉が何かを盛大に勘違いしている。 「一緒になんか入ってねえよ。あんた達のせいで別々だっつーの」  黙って見ていた早瀬が二人をジロリと睨んで言った。 「あはははー、残念だったねぇ早瀬ー」  何がそこまで楽しいのか春木先輩が転がったまま大笑いしている。  その後も二人は散々騒いだ挙げ句、結局十二時になろうかという頃には温泉にも入らず、ぐうぐう寝てしまっていた。 「……なんか、すげぇ疲れた」  早瀬がげっそりとした顔で窓際に備え付けられた籐の椅子にもたれている。 「こいつらのお守りに来たみてえ」 「ごめん」  俺が間接的に大倉達を誘ったわけだから、申し訳ない気持ちで一杯になる。 「お前が謝ることじゃねえだろ」  早瀬が隣の椅子を指す。 「こっち来て、朝比奈」  椅子に座って早瀬の向こうにある窓から見上げると大きな月が出ていた。  部屋の電気は酔っぱらいが寝た後に消してあったが、その青白い光だけで充分だった。  早瀬が瓶に入った飲み物を手渡してくる。 「あいつら開けるだけ開けて飲んでねえの。飲みきれないから手伝って」  受け取って、一口飲む。甘い味のするカクテルだった。ジュースみたいで飲みやすい。  ちょうど喉が渇いていたので遠慮なく飲み干した。  話が途切れると山の奥のせいか、シンとした静けさに包み込まれるようだった。  深すぎる無音に頭がぼうっとする。  飲み終わった瓶をテーブルに置こうと少し体を傾けた瞬間、グラリと前によろけた。 「あれ?」  倒れる、と思ったところで早瀬の腕に抱きとめられる。瓶も手から取り上げられた。 「馬鹿!お前一気に全部飲んだのかよ。しかもこんな度数高いヤツ!」  ああ、どおりで、飲んだ後から急にあたまが、ヘンだ。 「言わないで渡した俺も悪かったけど。大丈夫か?朝比奈」 「らいじょーぶ」 「全然大丈夫じゃねえよな、それ」  早瀬が俺の体を椅子に寄り掛からせてくれる。  だけど、俺の体は俺の自由にならずにグラグラ揺れて、またつんのめりそうになる。 「馬鹿」  もう一度体を支えられて、二回も早瀬に馬鹿って言われた。なんだかおかしくなってくる。 「一人で酔っぱらって笑ってんじゃねえよ」  早瀬はしょうがねえな、と言うと俺を軽々と持ち上げて膝に横抱きに座らせた。 「あははは、お姫様だっこー」 「ホントに酔ってんだなお前。普段こんなことしたらキレてるだろ」 「なんで?おれ今ーぁ、すごく嬉しいよ?」  早瀬がこんなに近い。首に腕を回して肩に顔を埋めてみた。早瀬の匂いがする。  すると早瀬は困った声を出した。 「マジかよ。ここまで酒に弱かったのか……」 「なーにー?」 「朝比奈。お前、俺がいないとこで酒飲むなよ」 「飲んでないよ?」 「これからも、絶対飲むなよ」 「早瀬ぇ、かお怖いよ」 「お前のせいだよ」 「おれ、なんかした?」  腕を首に回したまま、早瀬の顔を覗き込む。何をそんなに怒ってるのか分からない。 「どうせ明日になったら、忘れてるってオチだろうな」 「えーそぉ?忘れちゃうかなぁ?」  早瀬がため息をついた。 「なあ、キスしていい?」 「いいよ」 「即答かよ」 「当たり前だよ。早瀬だもん」 「……なんで俺なら、いいわけ?」  早瀬の喉元が大きく動いた。よく分からないけど、緊張してるみたいに見える。 「だからぁ、大好きだからだよ」  一瞬唖然とした早瀬は急にクソッと呟いて、俺を強く抱きしめた。 「いた、痛ったいよ。早瀬ぇ」  痛いけどこんなに近くに早瀬を感じられてやっぱり嬉しい。おれも早瀬の首にじゃれるように抱きつく。  早瀬がキスしてくれるなんて、夢みたいだ。ああ、でもこれ夢なのかな。なんかおかしいもんな。 「……やっぱやめた」 「えー。なんでぇ」  俺の夢なのに、夢の中でもやっぱり思い通りにはいかないんだな。でもそんなとこが、いかにも俺のユメらしいか。 「正体なくしてるお前にするのって、なんか違うから。もう寝ろ」  そう言って早瀬は俺の前髪を梳くように払って、額に軽く唇で触れた。 「これで我慢しとく」  その時いきなり大声がした。 「ソコォ、イチャイチャしなーい!」  大倉の寝言だった。早瀬が心底驚いたという顔をしていて面白い。 「あははは、大倉が妬いてる」 「はいはい。どういう夢見てんだよ大倉も。もう寝るぞ」 「早瀬ぇ。一緒に寝てもいい?」 「……俺はいいけど、起きたらお前パニックになるぞ。別で寝とけ」 「やだ、一緒に寝る」 「明日の朝、どうなっても知らねえぞ」 「へーきへーき」  一緒に布団に潜り込んで早瀬の胸元に顔をすり寄せる。体温があったかくて気持ちいい。 「早瀬ぇ」 「ん?」 「おやすみ」  こんな風に早瀬を近くに感じて、こんな風におやすみが言えるなんて、なんて幸せなんだろう。 「おやすみ」  早瀬の手のひらを頭に感じる。ゆっくり撫でられる感覚に、眠るのが惜しいのに勝手にまぶたが落ちていった。  まどろみの中で幸せな夢を見た。目覚めた瞬間消えていったが。  だけど覚めたと思ったのに自分のものでない温もりを感じて、まだ夢の中なのかと考える。  違う、夢じゃない。今、目の前に早瀬の寝顔がある。 「……っ!!」  俺は声にならない悲鳴を上げた。  なんで、俺と早瀬が一緒の布団で寝てるんだよ!?  思考と身体が金縛りにあったみたいに動かなくなる。  昨夜、早瀬に渡された飲み物を飲んだところまでは、はっきりしてる。  そこから後がよく分からない。窓際で早瀬と話をしていたような気はするが、内容は思い出せない。  とにかく早瀬が目を覚まさない内に布団から出てしまわないと。  俺はできるだけそっと抜け出そうとしたが、早瀬の腕が俺の身体の上に乗っていたせいで振動に気づいた早瀬が目を覚ました。  間近で目が合う。早瀬が二、三回瞬きをすると、こんな状況にも関わらず優しく笑った。 「おはよ朝比奈」  そしてこんな状況にも関わらず律儀に挨拶をしてくる。 「お、おはよう……って早瀬。あの、これ」  慌てる俺に早瀬が身を起こして軽く首を捻った。 「悪い。俺、昨夜珍しく飲んじゃってさ、酔ってお前の布団で寝たみたい」 「そ、そうなの?」 「そうみたい、俺もよく覚えてねえ。──あれ?」  早瀬が伸びをしながら部屋を見回す。 「大倉と春先輩は?」  確かに部屋の中に二人の姿は見当たらない。 「俺も今起きたところだから、知らない」  その時ちょうどドアの方で二人の声がした。 「あー、ヒナちゃん達起きてるよ大倉ー。ちょっと早瀬やらしいよ。何でヒナちゃんに添い寝してんだよー」  部屋に入ってくるなり春木先輩が早瀬に食ってかかる。 「ちょっと酔っただけだよ」 「本当に?襲われてない?ヒナちゃん」 「いや、まさか」  俺は苦笑いする。何も覚えてはいないのだけど。 「俺も見てはイケナイものを見たのかと思ってびっくりした」  大倉までそんなことを言う。 「そんな事より、二人ともどこ行ってたんだよ」  早瀬が話を逸らすように口を開く。 「朝風呂。やっぱ温泉は朝に限るよー」  なるほど、温泉に来て入らないで帰るのかと思ったら、ちゃっかり早起きして入ってきたのか。 「いいなー。俺も入ってこようかな」  と早瀬が言うと 「もう朝食だから時間ないよ。二人ともお寝坊さんなんだから」  と春木先輩が目を三日月みたいにしてププッと笑った。  自分たちは散々酔っ払った上で早くに寝ただけのくせして。  そして、帰りは帰りでまたいつの間にか酒を買い足した春木先輩と大倉が後部座席で大宴会を繰り広げたのは言うまでもない。  この二人がわざわざ旅行に来た意味は、一泊二日で飲み明かせるから、ただそれだけだったんじゃないかと本気で思ってしまう。  でも、酔っ払いのお守り半分とは言え、四人で来た旅行が楽しくなかったかといえばそんなことはない。疲れはしたけど、充分楽しいものだった。

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