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第7話

 温泉旅行から帰ってきてから、早瀬の様子がおかしい。  おかしいというか優しい、と言った方が正しいかもしれない。  自分の講義が終わっても俺を待って必ず一緒に帰るし、俺の食べたい物や行きたい所は優先してくれるし、ふとした時に目が合うと多分合う前からこっちを見てたんだろうな、と思わせるあったかい、柔らかい目をしている。  旅行前からそういうところがあったのが、より顕著になった感じだ。  ただ話しているだけでも楽しそうしている。  あんまり楽しそうだから一緒にいる俺までつられて楽しくなる。  慣れとは恐ろしいもので、あんなに怖がっていた二人での外出も自然と増えていった。そんな時はまるでデートしてるみたいな錯覚に陥る。  そのあと必ず、懲りない自分に自己嫌悪するけれど。  週末の金曜日。二人共講義が終わって、しばらく学食で雑談をしていたが大倉も春木先輩もやってくる様子はなかった。  かといってこのまま帰るには早い時間だ。  早瀬は頬杖をついて何か考えているようだったが、しばらくして口を開いた。 「今日はさ、これから俺んちで夕食作って食わねえ?」  少し慣れたとは言え、家なんて行ったら密室だ。動転した俺はつい口走る。 「あ、じゃあ大倉も……」 「誘わない。んなことしたら春先輩も来ちゃうじゃん。料理どころじゃなくなるだろ」  まるで先を読んだみたいに早瀬はピシャリと言い切った。  …………ごもっともです。 「早瀬、料理出来るの?」  自炊しているという話は聞いたことがなかった。むしろ実家に帰って食べることが多いと言っていた。 「したことない。でもお前も一緒に作るんだよ?」 「俺も、料理したことないよ……」 「じゃあやってみようぜ。なに食いたい?」  それなら、と考え込むが料理をしないから作るもの自体が浮かんでこない。 「……ハンバーグ?」 「ハードル上げてくねー。いいよ、そのチャレンジ精神」  そんなつもりじゃない、料理の難易度自体が分からないだけだ。 「ちょっと待って、難しいならやめとくよ」 「レシピ見ながらやれば作れないもんなんかないって。……美味いか不味いかさえ気にしなきゃ」  ──そこが重要なんじゃないのか?  ちょっと大雑把過ぎないかと思ったが、確かにそれくらいの気持ちで作れば失敗しても笑い話にできそうだ。  とにかくやってみようということになり、スーパーに向かう。  早瀬が検索してくれたレシピを見ながら材料を揃えて回る。  ひき肉のコーナーで立ち止まり、俺は早瀬を見上げた。いくつも種類があってどれだか分からない。  とりあえず手にした二つのパックを、早瀬が俺の肩越しになにげなく覗き込んでくる。  ……顔が近い。  パックを持つ手が思わず震えそうになる。息を殺して耐えていると片方のパックを取り上げられた。 「こっちだな、合い挽き肉って方」  俺の持つカゴの中にそれを入れて、固まっている俺の様子に気付いたのか意地の悪い笑顔を見せた。  そのままするりと腰に手を回すと俺の手からカゴを奪って 「ほら、次いこうぜ。奥さん」  そう耳元でささやいてニヤニヤしている。  俺は無言で腰の手をひっぺがした。  それから早瀬の家でいよいよ料理を始める。  あーでもないこーでもないと、狭い台所で二人並んで作る料理はなんだかとてもほのぼのとしていて楽しかった。  二人とも初心者だったのが、かえって良かったのかもしれない。  同じところが分からなくて同じところを失敗する。  どっちが包丁を使ってもハラハラする手つきだし、タネはスライムみたいにベチャベチャで思い通りの形にならなかった。  作っている間ずっと笑っていた気がする。  それでも早瀬の言ったとおりレシピ通りにやればなんとかなるものだった。  試しに焼いた一つ目だけは消し炭になったが、二つ目以降は厚さを半分に調整して少し焦げてる程度の十分に食べれるものが出来た。 「すげえ美味かった。もう店、開いちゃう?」 「それは言い過ぎ」  食事の後片付まで済ませて、一通りやり終えた充足感を味わいながら早瀬が淹れてくれたコーヒーを飲む。  並んでベッドにもたれながら話をしたり、たまに見るともなしに付いているテレビを見る。  すごく、穏やかだった。  これが俺たちの関係の最終地点なのかな、と思う。少し寂しいがそれ以上を望んだら贅沢すぎるくらい満ち足りている。 「なあ、また一緒に料理作ってくれる?」  カップをテーブルに置きながら早瀬が俺の方を向いて言った。 「うん、いいよ」 「朝比奈と居ると、ホント楽しい」 「──俺も、楽しいよ」  答えた声は少し小さくなってしまう。テレビから明るい笑い声が聞こえてくるのが救いだった。 「……そんな風に思ってる?」  俺の返事を怪しんでいる声色だった。 「楽しいよ」  今度は、はっきりと目を見て微笑む。俺が疑われる態度を取ったのが悪いのだから。  そして今日はもう潮時だと思った。これ以上居たら、またなにかやらかすかもしれない。 「そろそろ帰るよ」 「そっか」  早瀬は頷いてテレビを消した。  途端にシンとする空気が物悲しい。一緒にいる時間が楽しすぎた。  そんな気持ちを断ち切るように俺は立ち上がる。早瀬も片膝を立ててふと思い直したように動きを止める。  どうかしたのかと俺が見下ろすと、早瀬は座ったまま俺の手を掴んだ。見上げる早瀬と目が合う。 「帰んなよ」 「……え?」 「どうせ明日は休みだし、泊まっていけばいいじゃん」  早瀬の言葉に心臓が一気にドクドクとうるさく音をたて始める。  そんなはずはないのに掴まれた手が同じくらい激しく脈打ち、それがバレるのではないかと思った。 「泊まんないよ……」  早瀬の顔が見れずに目をそらしてしまう。 「──そういうとこ頑固だよな、お前」  独り言のように呟いて俺の手を離すと立ち上がった。  そして特に気を悪くした風でもなく、いつもと同じ口調で言う。 「じゃあ駅まで送る。行こっか」  もしかしたら、早瀬も俺の事を好きになんじゃないのかと、性懲(しょうこ)りもなく考える。好きだと思われてもおかしくない態度だと思う。  そう思ってしまえるほどに甘くて優しいから。  でも、やっぱりいくらそう考えてみたところで、自分から告白する勇気はない。  好きになればなるほど、この関係の終わりが怖い。  ──それなら、このままでいい。

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