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Realize しゅがー

しばらくはまだ警戒が解けず、貴之が声を掛けても慎重な態度を崩さなかったマックスも、ここ最近では随分と懐いてくるようになった。  本能が動物寄りなのだろう。そうなるとやたらと顔を貴之の首や脇に鼻面を埋めてくるようになったのだ。  動物の嗅覚が人間よりも鋭く、匂いの強い場所に興味を示すことはもちろん知っていたが、人間の姿のマックスがキッチンへ立つ貴之の尻に顔を埋めようとした時には、さすがにされるがままにしておく訳にはいかなかった。  焦った貴之は人間の姿のマックスに、触れていい場所とダメな場所を言い聞かせるという、なんとも不可解な躾けをする羽目になった。  不満そうな顔はしたものの、マックスが頷いてくれた時には貴之も心底ホッとした。  マックスが滅茶苦茶にしてくれたソファは再起不能で、お気に入りだっただけに溜息は出たものの、仕方ないと諦めた貴之は、仕事が定時で終った日に近くの町の家具屋で適当な品を選び、注文だけを済ませた。愛車のオフロードに乗せるには大きすぎるので配達は任せたのだが、日本のように配達事情が発達している訳ではない。トラックの空きがない、故障した、店主が風邪を引いて店が休みだ。そんな理由で注文したものが一ヶ月以上届かないことなどざらにある。なので貴之もすぐに代りのソファが届くなどという楽観はせず、とりあえずの繋ぎにと、町の大きなホームセンターで折り畳み式の椅子を二脚購入した。ついでにマックス用に厚手の毛布を五枚。  マックスが巣作りに使っている貴之の服を救出するためだった。  新たな毛布の寝床に最初は不満そうだったマックスも、その理由に思い当たった貴之がごそごそと少々手を加えてやれば、素直に寝床を移してくれた。それを見て考えが間違っていなかったことに安堵したものの、自分の匂いがついた服で落ち着いてくれたマックスに、貴之は少々複雑な心境になった。  意思の疎通は次第に取れるようになった。  恐らく事故のショックでその直後は狼の本能が全面的に表面化していたのだろうと貴之は結論づけた。脳へのダメージを心配したが、マックスは少しずつ言葉を発するようになったのだ。貴之の言っている事も理解する上、自分の要求もちゃんと言葉で伝える。  食事も鹿肉だけでなく、徐々に他の物も口にするようになった。例えば貴之が職場で貰った焼き菓子など。存外甘いものが好きらしいと分かり、貴之は今まではほとんど立ち寄った事のなかったケーキ屋でマックスのデザートを購入するようにまでなっていた。  周囲に人気のないロッジだから、誰に咎められることもなく貴之とマックスは一緒に生活することに馴染んでいった。  ただ厄介だったのは、マックスがどうやら記憶を失っているらしいという事が判明した時。  人間の日常的な生活にすぐに慣れていったことからも、マックスが人間として生きてきた、もしくは過去そうした事があったというのは分かったのだが、ではどこから来たのかという問いには、マックスは首を傾げるばかりだったのだ。  そういう事情もあり一ヶ月が経過した今も、マックスは貴之のロッジで生活している。  それに気付いたのは三日ほど前だった。  狼の本能は影を潜め、マックスは人間としての理性を取り戻していた。  最初はひょんなことで狼の姿になっていたりもしていたが、それも徐々に落ち着いた。もともと動物のほとんどが夜行性である。マックスも例外ではないようで、昼間は狼の姿で寝ていることが多いらしく、貴之が仕事から帰る頃には人間の姿をとっていた。休日には聞き分けの良い狼の傍らで貴之もゆっくりと過ごすことができていた。  貴之がマックスの行動に違和感を感じたのは食事。  いつも必ず空にしていた皿に、料理を残すようになったのだ。  最初はたまたま食欲がなかったのだろうと気に留めなかったのだが、さすがに三日続けば貴之も心配になってくるというものだ。  それにどうやら昼間もろくに寝ていないらしい。  夜にも関わらず、狼の姿に戻り自分の寝床で丸くなりうつらうつらとしているのを貴之は何度か見かけた。 「何かあったのか?」  その日、やはり料理の半分を残したマックスに、貴之は訝しげに訊ねた。  だがマックスは何も答えずに視線を逸らしたまま椅子から立ち上がる。 「体調が悪いのならそう言えよ」  その態度に貴之がムッとすると、マックスが困惑げに眉を顰め首を横へ振った。 「あのなあ、仮にも一緒に暮らしているんだ。気に入らないことがあるなら早めに言った方が楽だぞ?」 「そんなの、ない」 「無いわけないだろう。大食らいのお前が食事は残す、ちゃんと睡眠もとれてないようだし。なんだ、俺じゃ頼りにならないってことか?」  貴之が立て続けにまくしたてると、マックスは少し黙り込み背を向ける。 「そうじゃない。……シャワー浴びてくる」  そのままバスルームへ向かうマックスを、貴之は睨みつけた。  風呂嫌いのマックスが自らバスルームへ向かうなど、貴之を避けるための口実に過ぎないと丸分かりである。  貴之は腹立たしげにテーブルの上を片付け、ガチャガチャと皿を割る勢いで洗い物をしていたが、どうしても苛立ちが収まらずに泡に濡れた手をそのままに足取りも荒くバスルームへと向かった。  バタン、と勢いよくバスルームのドアを開けところで、貴之は固まった。  目の前に全裸で立つマックスがいたからなのだが、もちろんシャワーを浴びるのに着衣のままと思っていたわけではない。  にも関わらず貴之は動揺してしまった。  ちらりと目にしたことはあったが、マックスの体は男の憧れそのもののような均整の取れた完璧なものに見えた。  人狼だからなのかは知らないがまったく贅肉がなく、体のラインを象るのは筋肉の滑らかな隆起だけ。脹脛から太腿、そして引き締まった腰から胸板にかけてのライン。肩の筋肉、首筋、そして――今まで意識もしてこなかった面立ちは精悍で、無表情なせいかいつもよりも大人びて見えた。  固まった貴之の前で、マックスは恥ずかしがることもなく全裸のまま貴之を見ている。 「――なに?」  小首を傾げる姿はいつものマックスで、貴之はそこでハッと我に返ってドアを勢いよく閉めた。 「タカ――?」  ドアに背を向けそこから立ち去ろうとしする貴之に、マックスがドア越しに名を呼ぶ。だが、自分が何に動揺しているのか混乱していた貴之は、答えぬままその場を後にしたのだった。  この土地に来て頬を刺す冷気には慣れたつもりだったが、標高も上がり水の傍となれば、またその棘も鋭さを増す。  日本にある貴之の故郷であれば春先の季節で、日差しさえあれば暖かいはずなのだが、そこよりも緯度が北寄りのここではそれを望むべくもない。  時期と場所のせいで他に人気がないことから、マックスは狼の姿で岩場を軽い身のこなしで渡り歩いていく。  その姿を眺めつつ、貴之は煙草に火をつけゆっくりとニコチンを肺に流し込んだ。  昨夜職場の同僚から押し付けられた釣り道具一式を持って帰宅し、貴之が釣りに誘うと、マックスは素直に興味を示した。  ここ最近どこかギクシャクした二人の空気を、これをきっかけに払拭できればと貴之は考えたのだ。  自分の中のマックスに対する理解不能な衝動と、マックスが自分に対して引いた一線。それらがお互いをどこかよそよそしくさせている。  そのことが貴之の心の隅に寂しさを巣食わせていた。  ただ、その原因が何であるかという事実から貴之は目を逸らしている。  世の中、解明してもそれがいいことばかりではないと貴之は知っている。  「――釣りでもするか」  貴之は特に釣りが嫌いなわけではないが、自分で道具を揃えてやるほどではない。何より日本のように近所の川で釣りを楽しむ習慣はこの土地に住む人間にはないようだった。買い替えたからと嬉々として道具をくれた同僚は特殊な人種だろう。  小一時間ほど経過したが、貴之の釣果はゼロ。  いい加減飽きてきたところで、バシャンと勢いよく水の跳ねる音に、貴之が顔を上げると、そこには岩場から川に飛び込んだらしいマックスが口にぴちぴちと動く魚を銜えた姿があった。  くるっと貴之を振り返ったマックスと視線が合う。  そして。 「っ! おまえっ――、さすが狼っっ……」  貴之は濡れそぼった狼が魚を銜えているという姿に、心の底からおかしさが込み上げて噴き出してしまった。  それが面白くなかったのだろう。マックスが狼の顔で憮然とするのが分かり、貴之は笑いすぎて痛くなった腹を抱えながらも手招きをした。  いくら狼とはいえこの気候の中濡れたままでは風邪を引いてしまう。  逡巡したようなマックスは、それでも素直に貴之のそばに四本の脚で近づいた。  もちろんその口には大きな鱒を銜えたまま。 「ほら、ここに離せ」  準備してあったバケツを持ってきてやると、狼の口から解放された鱒が元気に中で体を反らせていた。 「おまえはこっち」  オフロード車のトランクを開け、そこからタオルを取り出した貴之は、そこに腰掛けてマックスを呼んだ。  大人しく貴之の脚の間に入り込んだマックスは、頭を差し出す。  貴之はそれに微笑んでマックスをごしごしと拭いてやった。  大きな狼が自分の脚の間で大人しくされるがまま。  それはいつしか貴之の顔に笑みを刻んでいた。 「よし、とりあえずこんなもんか。寒くないか? ほら、ここに上がれ」  荷物を載せていたそこはマックスがのんびりするにはいいスペースになっている。そこへ念のため持ってきていた毛布を敷いてやり、ぽんとそこを叩くと、ひょいとマックスがそこへ飛び乗った。 「……ん、なんだ? 俺にも乗れって言うのか?」  貴之の襟を口で引っ張るマックスにそう聞くと、狼の頭をこくりと頷かせる。 「? なんだ?」  そう言いながらもマックスの横へ体を滑り込ませた貴之の首筋に、狼の鼻面を寄せられた貴之が擽ったそうに体を捩る。 「なんだよっ、くすぐったいって」  笑いながらマックスの湿った体を貴之は優しく何度も撫でた。  なぜかそこにはもうわだかまりは無いように感じられ、貴之はそれが嬉しかったのだ。  しかし、マックスがだんだん鼻をすりつける場所が変わってきたことに、貴之はようやく気付く。 「お、い……ちょ、ちょっと、ま――っ」  いつの間にか貴之の体は車のトランクで仰向けになっていた。  そこに覆いかぶさるようなマックスの鼻面が、貴之の脇腹から服の下へと侵入する。 「マックス……?」  何を、と口にしようとした途端、貴之は体をビクンと震わせた。  狼のざらりとした舌がそこを舐め上げたのだ。  そしてその前足が貴之の股間の上に乗せられ、まるで意図しているかのように緩急をつけて刺激を送ってくる。 「なっ、やめろ、マックス!」  ようやく相手が何をしようとしているのかを悟り、貴之は動揺を含んだ声でその名前を呼んだ。  するとぴたりと動きを止めたマックスが、ゆっくりと顔を上げる。  その狼の目が、じっと貴之の顔を見つめる。 「っ」  そこに見つけた雄の熱。  それは、貴之が心の底に押し隠していた感情を揺さぶるには十分すぎるほどの鋭さで、貴之を突き刺した。  その機微を感じ取ったマックスが貴之と視線を合わせたまま、ゆっくりと動く。 「っん……」  咄嗟に貴之は腕で口を塞ぐ。  狼の大きな口が、貴之の股間をジーンズごと銜えたのだ。  緩く食み、鋭い牙が絶妙な力加減で貴之を慰める。  徐々に自分のそれが勃ち上がっていくのを貴之は感じて、羞恥に頬を染める。  それでもマックスのその狼の瞳から目が離せず、されるがままに体内に熱を溜めていったのだった。

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