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ep.4 『砂時計のブルー』

あの店にもう一度行ってみようと思ったのは、8月も半ばに差し掛かった頃だった。 夏来に出会って僕は変わったけれど、 決してオープンになったわけではない。 いつでも胸を張って堂々と振舞える夏来に引け目を感じながら、 そういえばあの店では、同じ悩みを持った人と話すという当初の目的が 結局果たせず終いだったことを思い出したのだ。 …今は当時よりも少し複雑な身の上になっているのだけれども。 繁華街の裏通りというのは、 どこを歩いても同じ景色に見えるから気味が悪くて苦手だ。 今日は夏来も家に居なかったし、 珍しく誰かと話したい気分だったので、 あえて何も考えないようにして一気にここまで来たのだけれど…。 例の店が近付くに連れて、またごちゃごちゃと余計な考えが浮かび上がってしまう。 あの時の店員は、やはり店主か何かだろうか。 だとしたら今日も居る可能性が高いな。 僕の顔を覚えていて夏来のことを聞かれたりしたら面倒だな。 以前来た時は土曜日でそこそこ賑わっていたけれど、 今日のような平日は店内はどんな具合なのだろう? 行ってみたはいいけれど客が僕1人だったなんてことになりはしないだろうか。 ――そんなことを考えているうちに、 歩き出してから随分時間が経っていることに気がついた。 「(おかしいな…   前に来た時は、そろそろ店に辿り着いていた頃だと思うんだけど……)」 しかし方向的にはこちらの方で間違いないはずだ。 ついでに言えばこのあたりも全く知らない景色ではない。 …あ、ほら。このビルの独特な壁の色なんてよく覚えてるぞ。 「?  あれ…?」 そういえば、今右手に見えているこのビルが、 前に来た時には左手に見えていた気がする。 どうやら道を1本間違えただけのようだ。 「(…ということは、あの辺りがちょうど店の真裏か)」 少し前に通り過ぎた辺りに、 ショートカットするのにちょうどよさそうな細い道を発見してしまった。 大通りまで戻ったとしても大した距離ではないのだけれど、 あそこを抜けたら目当ての店の真ん前に出るような気がする。 横着するのはあまり好きではないけれど、 こんなちょうどいいものを見つけたら使いたくなってしまうのは仕方がないと思う。 「(ちょっと覗いてみて、通るかどうか考えよう)」 この路地裏を見つけてしまったことを、僕はとても後悔することとなった。 …もっとも、見つけていなかったとしても、 結局僕らの行く末は何ら変わりはしなかったのだろうけれど。 「――」 ……… 「――…」 ……… 近くを通っても、人の気配など全くわからなかったのに。 思いもよらなかった光景を目にした僕は、 今更足音に気を付けながらそっとその場を後にした。 ◆◇◆◇◆ 「………」 あそこに居たのは……夏来だった。 夏来と、僕の知らない大柄な男性――。 歳は僕らより上だろう。 ガタイがよくて、もしかしたら外国人かもしれない…大人の男。 二人はあの路地裏で、 ぶつけ合うように荒々しく唇を重ね、 服のまま執拗に、激しく互いを求め合っていた――。 「………」 見てはいけないものを見てしまった僕は、 襲ってくる様々な感情が1つにまとめきれなくて、 月光なのかネオンサインなのかよくわからないぼんやりとした灯りの中を、 ただのろのろと歩くことしかできなかった。 ◆◇◆◇◆ 「………」 そうめんの茹で時間。カップラーメンの待ち時間。 ウルト○マンの滞在時間。 「他に何があったかなぁ、3分間って」 そうめんはもう飽きたし、カップラーメンの買い置きもない。 怪獣も現れていない。 「…  無意味に3分計りたくないからって、  3分計るための用事を無理やり作るのは本末転倒だな」 意味のわからない理屈で自分を納得させ、 本棚の上に無造作に置かれている砂時計を手に取ると、 逆さにしてテーブルに置いた。 「………」 鮮やかなアクアブルーの砂たちは、 上から下へと、淀みなくサラサラと降りてゆく。 時間という目に見えないものを最初に可視化しようと考えたのは誰なんだろう。 永遠にぐるぐると回り続けるアナログ時計の針とは違う。 ただ上から下へ落ちるだけ。 全部落ちたら、終わるだけ。 だからこのブルーはこんなに美しく見えるのだろうか…。 そう思ったら、 何だかこの砂時計の砂が《夏》の姿を表しているように見えてきた。 輝くような青さで魅了しておきながら、決して止まってはくれず、 終わりに向かってひたすらに進んでゆく。 初めて好きになった季節。 一番愛おしい季節。 この季節は、彼そのもの――。 「………  夏来……」 何度自分を誤魔化そうとしても駄目だった。 この季節が好きだと思うたび、どうあっても彼に焦がれてしまう。 僕は夏来が好きだった。 どうしようもなく好きだった。 こんな脆い関係を、こんな気持ちで続けていくぐらいなら、 その熱で焼き尽くされてしまった方がどんなにか楽だろう。 「………」 「ただいま~。  あれ、何ぼーっとしてんの?」 「…  ぼーっとしてるんじゃない。砂時計見てるんだ」 「一緒じゃん」 「………」 「…?  どうした?」 「……」 人の気も知らないでこの男は、なんでこんなにいつも能天気なんだよ。 何だか無性に腹が立ってきた。 …あぁ、何でいつも僕ばっかりが。 ああもう……っ! 「……」 「…えっ、  ええぇ!?  なんで急に泣いてんの!? 若波ちゃん!?」 「……っ、  …イカロスは、英雄なんかじゃない……  あいつは馬鹿だ………っ」 「はいっ!?  え、何の話??」 砂はまだ落ち切っていない。 でももうすぐ落ち切る。 3分経ったら夏来は居なくなっちゃうのかな…なんて言ったら、 「俺はウルト○マンじゃねーよ!」とかって、 気安く返してくれるのかな? もう少し… もう少しだけ…… この鮮やかなブルーに魅了されていたいんだ。 ◆◇◆◇◆ 僕はやはり、太陽に焼かれることを選べなかった。 大事なことは何も聞かず、何も話さず。 1秒でも長くこの生活を続けられるように、 どこまでも曖昧な関係で居続けようとしていた。 ――いつかは終わる。それはわかっているつもりだった。 …けれども、 こんなに早く終わりが来てしまうとは、さすがに思っていなかった。

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