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ep.5 『波に溶ける』
その日僕らはバスに乗っていた。
黄昏時とはまさに今この時をいうのだろうと、しみじみ考えてしまうほど、
車内は一面がそれはもう見事なオレンジ色に染まり切っていた。
なぜこんな微妙な夕方の時間帯に、
よりによってビーチ行きのバスに乗っているのか。
ここまでのいきさつはというと…――
「ただいま…」
「おかえりーっ! おぅし、出発だ!」
「へ?」
「海行くぞ、海」
「……は? いつ?」
「今」
「…
夕方だけど」
「そうだな!」
「…
着いたら夜だけど」
「だろうな!」
「………
…え? ホントに? 行くの??」
「おう!」
「……
うん、いいよ」
「おっしゃ! さっすが若波ちゃん、話わかるね〜」
「でも僕は見てるだけにしておくから、
悪いけど夏来1人で頑張ってね」
「?」
「え、泳ぐんでしょ?」
「……
泳ぎません」
つまり、よくわからない。
泳ぐわけでもないのに、夜の海なんかに何しに行くというのだろう。
「(まさか……自殺?)」
はっとして隣の横顔を見る。
「♪♪♪」
「(…
違うっぽい)」
御機嫌に鼻歌を奏でているその顔は、とても切羽詰まった様子ではない。
じゃあ何だ?
何しに行くのかと何度尋ねても、
家からここまでずっと「行けばわかる」の一点張りだ。
それもまあ、夏来らしいといえばそうなのだが……
「…そういうトコ、何か狡いんだよなぁ」
「ん? 何か言った?」
「……はぁ」
「♪♪♪」
いつにも増して上機嫌な夏来の様子に、僕は妙な胸騒ぎを覚えていた。
…あんなことがあった直後だということもあって、
ここまでの道中、二人で出掛ける楽しみよりも、
不安ばかりが膨らむ一方だった。
あの男とは、いつ頃知り合ったのだろう?
僕と出会うよりも前からの、長い付き合いなのだろうか…?
夏来は今でもああいう街に頻繁に出入りしているのかな…?
あの日たまたま居ただけとは考えにくいよな…。
あの男は……夏来の恋人なのか…?
それとも…あんなのが他にも沢山居て、その内の1人だったのか……
…だとしたら、
僕もやっぱり、沢山居る中の1人だった、
――っていうことになるんだ。
「……だめだなぁ、やっぱり」
「♪~……ん?」
考えないようにするなんて無理だった。
「…何でもない。バス長いな」
せめて早く着いて欲しい。
こんな気持ちで真っ暗な海に着くよりは、
少しでも明るさの残っている、夏らしい海に到着したかった。
◆◇◆◇◆
「…こんな願いすら叶わず」
ビーチ行きのバスは長かった。
乗ってる間にみるみる外は暗くなり、いつの間にか車内の電気がついていたのだから、
明るさの残る海なんてものは先程お帰りになられたところだろう。
「おぉ、これこれ! 絶好のロケーションじゃねーか!」
だから何のロケーションだよ、と思いつつも、
今の僕には突っ込む気力など残っていなかった。
気を抜けばすぐに、路地裏での光景がフラッシュバックする。
大柄なあの男は、夏来よりも背が高く、筋肉も豊富に蓄えられていた。
僕とは違う。
一目見た瞬間、すぐにそう思った。
夏来は本当は、ああいう愛され方を望んでいるのだろうか――?
太く力強い腕にしっかりと包まれ、
程よくリードされながら、情熱的に激しく互いを求め合う――
本当はそんな行為を求めていたのだとしたら、
僕なんか完全に役不足じゃないか。
夏来にとって僕という存在は一体何なのだろう。
そう思うと、僕は無意識に隣の横顔を再び覗き見ていた。
「…――」
そしてすぐに後悔した。
さっきまであまりの呑気さに憎たらしいばかりだったその顔は、
幻想的な夜の美しさに陶酔して、
恍惚とした表情でその景色を眺めていた。
うっとりと細められた艶っぽい瞳を見て、
心臓がドクンと脈を打つ。
今まで彼から感じたことのない艶めかしさを目の当たりにして、
抑え続けてきた歯がゆさがとうとう溢れ出してしまった。
『僕ではだめなんだ』『僕には何も出来ないんだ』
一番わかっていたことを、
一番わかりたくなかったことを、
今ここで思い知らされたような気がしたんだ。
「急にこんなところに連れて来られて意味わかんないと思うけどさ」
「今日ここに来たのは、
綺麗な景色の中で、誰にも邪魔されずに、
大事な話がしたかったからなんだ」
「………」
その一言で、漠然とした不安は、はっきりと輪郭を持ち始めた。
「これだけは、ちゃんと話したいから」
言わないで。
「うん。聞くよ」
言わないで……。
「もったいぶってないで早く話してよ。
夏とはいえ、夜の海はちょっと寒いんだからさ」
まだ、聞きたくない……!
「あっはは、それでこそ俺の好きな若波ちゃんだ」
「はいはい。で、何?」
「…あのね、」
いつかは終わる。それはわかっているつもりだった。
けれども、まだ、まだ早すぎるって……――
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