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第11話

それから2日あけての金曜日。 いよいよ計画したバイト休みの日がやって来た。 いつもの休みなら降りない駅で下車する。ドキドキした気持ちとわくわくした気持ちと、半分ずつもって…… 時計を見ると、まだ午後7時にはなっていなかった。 いつも7時15分に店に来ることを考えると……あの人はいつも、この駅に7時2分に着く電車に乗っているのだろうと思う。 そろそろコンビニに向かおうとしたそのとき… 「───────きゃっ!」 ───────チャリーーーン!! かすかな女の人の悲鳴とともに、コインの散らばる音が耳に入った。 振り返ると、女の人がひとり。「すみません!」を繰り返しながら、あわててお金を拾っている。 ───まただ。 どうも、この駅を使う人たちは、こういう場面で助け合うことをしない。 バイトの面接のために、初めてこの駅に来たときもそうだった。あのときもこんなふうに、おばあちゃんがコインをばらまいてしまったのに、誰も拾おうとしなかった。 苦々しい気持ちになりつつ、僕も一緒にコインを拾う。 数枚拾い上げたところで、女の人は「ありがとうございます!」と僕を見てお礼を言った。目にはうっすらと涙がにじんでいる。 ……早く拾ってあげなきゃ。 まだ落ちているコインを続けて拾おうとすると……僕の目の端を、すっとスーツの袖が通った。 ──────え? その手は最後の一枚を拾い上げると、僕の手のひらに「はい」とのせてくれた。 渡して、というようにその指が女の人をさしたので、あわてて彼女に手渡す。 受け取った女性は「ありがとうございます!」と言いながら、並んで見送る僕たちに何度も繰り返し頭を下げて去っていった。 「………さて」 隣に立つ人はそう言って僕を見ると… 「今日は、今からバイトなの?」 いつものにっこり笑顔で話しかけてくれた。 僕と一緒にコインを拾ってくれたのは『7時15分の人』だった。 「…………えーと、……その……」 コンビニの前で声をかけて、何を話そうか、何を聞こうか……いろいろ考えていたはずなのに、こんな思ってもいなかった場所で会ったら、何も言葉が浮かばなくなってしまった…… 彼はちらりと腕時計を見ると、心配そうに言う。 「でも、いつもならもう働いてる時間だよね。もしかして遅刻したの?」 「………いやっ……あの……」 何て返したらいいのか分からなくてしどろもどろ。うまく返事ができないでいると、「あー…」とすまなそうな声を出して、彼は頭をかいた。 「そっか、覚えてないよね、俺のこと。いつも君のバイト先で買い物を…」 「───覚えてます!」 「え?」 「ちゃんと覚えてますよ!いつも煙草、買っていってくれるお客様ですよね!?」 好きな人に、『自分のことを覚えていない』と思われてしまうのが嫌で、何だかむきになって声を出してしまった。 それがちょっと恥ずかしくて、思わず顔が赤くなっているのが自分でも分かる…… でも、彼はそんなことは気にせずに「そっか……」とつぶやくと… 「高瀬君、ちゃんと俺のこと知ってくれてたんだね」 そう言って、嬉しそうに笑ってくれた。 「え?どうして僕の名前……」 自己紹介なんてしたことないのに……不思議に思っていると、彼はいたずらっぽく笑って僕の左胸を指さした。 ……そっか。僕、バイト中は名札をつけてるんだ。 納得したところで、さっきの質問を逆にかえしてみる。 「お客様は、今からコンビニに寄っていかれるところですか?」 ……もしそうなら、途中までおしゃべりでもしながら歩いてくれないかなあ。 そう思って尋ねてみると、彼は少し顔をしかめて苦笑した。 「バイトしていないときに『お客様』って呼ばれるのはちょっと……はい、これ」 スーツの胸ポケットから銀色のケースを取り出すと、流れるような手さばきで一枚名刺を取り出し、僕に差し出してくれた。 「───長谷川啓吾といいます。よろしくね」 名刺を受け取ると、そこには名前と会社名と携帯の番号と……知りたかったことがいろいろ書かれていた。 「……長谷川さん……」 毎日のように会っていたのに知ることのできなかった名前が、ようやく分かった。 それを教えてくれたこの名刺が、何だかキラキラして見える。 「ちなみに、今日はもうコンビニには行かないよ。目的はここで果たせちゃったので」 「………へ?」 「高瀬君は今からバイトなの?それともバイト帰り?」 「あ……えーと……僕は、その……今日はバイトは休みです」 「そうなんだ。じゃあ、家はこの駅の近くなの?」 「いや!……ち、違います。今日は…その……会いに…きて……」 どうしよう。 口の中でごにょごにょと言葉が詰まっていく……なんていったらいいんだろう。 恥ずかしくて、うまく伝えられない。 赤くなる顔を手でぱたぱたと冷やしながら、ちらりと長谷川さんを見ると……やっぱりいつもの優しい表情で僕の返事を待っていてくれた。 「……あの、僕……あなたに……長谷川さんに、会いたくて…」 ……こんなこと、急に言われてもきっと困るよね。気持ち悪いって思われるかもしれない。 でも、どうしても伝えたかったんだ。 すると、長谷川さんは優しい大きな手で、僕の頭をそっと撫でた。 「奇遇だね。俺も君に会いたくて、コンビニ経由で帰るところだったんだ。でも、もうその必要はなくなったから……一緒に夕飯でも食べに行きませんか?」 「───ふぇっ……」 ……びっくりして、変な声出ちゃった…… 長谷川さんは小さく笑うと、「美味しい店、近くにあるんだ」と言った。 「君のこと、もっと知りたいと思ってる。こんなこと言うと男同士で変、って思われるかもしれないけど……君のことが好きなんだ。それでもよければ、ぜひ行きませんか?」 ………『好き』って言葉が聞こえた… びっくりして長谷川さんの顔を見ると、いつもどおりのかっこいい笑顔が少し赤くなっていて…… 何だか胸がじんわりと、温かくなった。 今なら恥ずかしがらずに、素直に気持ちが伝えられそう… 「───はい!僕も長谷川さんのこと、もっと知りたいです!」 こうして僕は謎に包まれていた『7時15分の人』の正体を知り……運命の人と知り合うことができたのだった。

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