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見送る 第1話
「そろそろ時間だね」
腕時計を見ながら、悠希は寂しそうにつぶやいた。
返事をしたかったが、言葉にならない。今、口を開いてしまったら、きっと「行くな」と言ってしまうだろうから。
何も言えないまま目を伏せると、悠希の足もとに置かれた荷物が見える。大きな旅行バッグとスーツバッグ……そのどちらも一人分だ。
「見送ってくれて、ありがとう」
そう言って悠希は微笑んだ。その瞳に光るものを見て、ますます胸が苦しくなる。
泣くくらいなら行かないでほしい。傍にいてほしい。
……だが、それはただのわがままだ。言えるはずがない。
遠くへ旅立つ恋人に、ちゃんと「いってらっしゃい」と言ってやらなくては…そう思って口を開いたとき、新幹線がホームに入ってきた。
「じゃあ、行くね」
悠希は足もとの荷物を手にとると「啓吾さん、元気でね」と別れの言葉を告げた。
その手に、指輪はない。
「……ああ……悠希も」
「着いたら、電話する。メールもする」
「……楽しみに、待ってるよ」
車体が完全に止まると、ドアが開いた。列を作って並んでいた人々が順番に乗り、あっという間に悠希の番がくる。
「もう、乗らなきゃ…」
「ああ」
苦しい……胸が苦しい……それはきっと、二人とも同じはずなのに……
新幹線に乗りかけた悠希は、くるりと向きを変えて一歩引き返すと、ホームに立つ俺の肩に自分の額を押し付けた。
「……啓吾さん、僕のこと…忘れないでね…」
「忘れるわけないだろ!」
こんなに想っているのに、忘れられるはずがない!
思わず声を荒げた俺の返事に安心したのか、悠希はふわりと微笑むと身を翻して新幹線に乗り込んだ。
「いってきます!」
悠希がそう言うと同時に、新幹線のドアが閉まる。ドアの向こうで悠希が小さく手を振るのが分かった。
俺も手を振り返そうとしたとき、列車が動き出し、あっという間に悠希を連れ去って行く。
走り出す暇もなく……新幹線はホームを出て、見えなくなってしまった……
「………さよなら……悠希……」
「───で?」
「『で?』って、これで全部だけど?」
「はあ!?お前『苦しくて、つらくて、死にそう』って言ってただろ!?」
「そうだよ。かわいそうだと思っただろ?」
「思うかよ!別れるって、ただ、高瀬君が地元に帰っただけだろ!?成人式で!3日間だけ!」
大きな声で文句を言った田中は、持っていたグラスの中のビールを飲み干すとテーブルに叩きつけた。
「だいたいなあ!一生に一度の成人式なんだから、こころよく送り出してやれよ!大事なイベントだろ!」
「……イベントって言っても、スーツ着て、集まって、飲んで、騒ぐだけだし」
「いいだろ、それで!二十歳になって、みんな飲めるんだから同窓会も盛り上がって楽しいだろ!」
「その同窓会だよ!同窓会!……昔の恋人と再会して、お互い大人になった姿に『焼け木杭に火が付く』みたいなことにでもなったらさ!」
「……へー。高瀬君って地元で付き合ってた子と別れて、こっちに出てきたんだ?」
「いや、付き合うのは俺が初めて」
「お前、まじで帰れよ!!」
声を荒げた田中は俺の肩をグーで殴った。イライラしているのは十分わかっているが、帰るつもりはない。
「大体、何でお前が葵の家を知ってるんだよ!つーか、飲みの誘いを断ったんだから、察しろよ!今夜は葵と約束があるって分かるだろーが、お前なら!」
……分かるよ。分かるから来たんだっつーの。
悠希を見送ったのが土曜日の朝。それから一日ひとりで過ごして……いつもの休日なら俺の家に悠希がやって来て一緒に過ごすのに、せっかくの三連休に離れ離れというのがどうにも寂しくて。
仕方ないから、日曜の夜に飲もうと田中を誘った。誘ったら、断られた。
何だかんだ言いながら情に厚いところのある田中は、俺からの飲みの誘いを断ることはほとんどない。それなのに今日は駄目。何故だ?……で、ぴんときた。
葵君と会うんだな。
俺が悠希と離れ離れで寂しいというのに、田中は恋人とイチャイチャ──許せん。
で、いろいろ酒を買い込んで葵君の家を突然訪問したのが、一時間前。田中は俺を見て玄関のドアを閉めたが、優しい葵君が中に入れてくれたというわけだ。
「僕、悠希君と長谷川さんにはそれぞれ年賀状を出したから。急にいらっしゃったから準備ができてなくて……食べ物、足りてますか?」
そう言いながら葵君は持ってきたお盆から、いろいろな薬味を山のように盛り付けた冷ややっこの皿をテーブルに並べた。
「準備が…」と言いながら、この一時間の間に次々に料理が運ばれ……本当に田中にはもったいない、できた嫁さんだよ。葵君。
「もう十分すぎるほどメシはあるからさ。お前もそろそろ座って食べろよ、ほら」
むすっとした顔のまま田中は声をかけると、「これ、うまい」と言いながら葵君の皿に鮭と枝豆のおにぎりを取り分けてやる。
すると葵君も、見るからに幸せそうな笑顔で「ありがとう」と受け取っていた。
──いろいろあった二人だけれど、結局おさまるところにおさまった感じだな。
そんな二人を見ていると、やっぱり自分の隣が空いているのが切なくなって、持っていたグラスのビールを飲み干した。
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