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第3話

葵君の家から電車を乗り継いで自分の家に着くと、鍵を開けて中に入りクローゼットのある寝室に急ぐ。 持っていたバッグを適当にほうって扉を開けると… 「……やっぱり、ない」 クローゼットのネクタイハンガーを確認すると、いつも使っているネクタイが一本、なくなっていた。 ポケットから携帯電話を取り出してもう一度メールの画像を確認すると、やっぱりそうだ。 なくなっているのはパステルカラーのピンクに白とグレーの細い線が斜めに入った、光沢のある生地のネクタイ。それとよく似たものを画面の中の悠希がつけている。 一体いつの間に持っていったのだろう…そう思っていたら、手にしていた携帯が着信を告げた。 「──はい」 『もしもし、啓吾さん?』 「悠希。今夜は同窓会だったんじゃなかったの?」 『うん。そうだったんだけど……啓吾さんの声が聞きたくって、1次会で帰っちゃった」 「そっか。俺も悠希の声、聞きたかったよ」 『じゃあ……おんなじだね』 「うん。おんなじだ」 かわいいかわいい俺の恋人。 見た目ももちろんかわいいけれど、それよりずっと中身がかわいい……考えていることも……することも…… 携帯電話を耳に当てたまま、横のベッドに腰を下ろす。 「メール見たよ。あの写真、隣に写ってたセーラー服の女の子は妹さん?」 『うん。ちょうど部活に行くところだったんだ。合唱部に入ってるから』 「そうなんだ。じゃあ悠希も兄妹だから、歌は上手なの?」 『ええっと……僕、歌はちょっと…』 「そうなの?そういえば一緒にカラオケとか、行ったことなかったもんね」 カラオケなんて行ってしまえば、9歳も年が離れていることを思い知らされるだけだと思ってたからな。ジェネレーションギャップを感じるだろうって。 でも今なら、4人で一緒に行くのもいいかもしれない。『えー!?』と、まんざらでもない声で嫌がる悠希に、ちょっと笑ってしまった。 「そういえばさ…あの写真で悠希がしてるネクタイなんだけど…」 『あっ、やっぱり分かっちゃった?あれね、啓吾さんの家からこっそり持ってきたんだ。ごめんね?』 「いや、謝るほどのことではないんだけど……いつ持っていったの?」 『んーとね……出発する前の日、お泊りしたでしょ?そのときに』 旅立ちの荷物と一緒にスーツを持ってきてて、そのあと着て見せてもらったんだ。確かにあのときは濃い青色のネクタイだった… 『僕の用事だし、家族も喜ばせたかったし、帰省はしたかったんだけど……やっぱり啓吾さんと離れるのは寂しいから』 「……………」 『不思議なんだ……あのネクタイをしてたらね、成人式の間、ずっと啓吾さんがついていてくれてるみたいだった』 「……悠希……」 電話の向こうで『何だか僕、子どもみたいだね!』とおどける悠希を、今すぐ抱きしめたかった。 でも、できない。この距離がもどかしい。 「悠希が社会人になったらさ…」 『うん?』 「社会人になったら、ネクタイは二人で共用にしよう。そしたら職場が違っていても、ずっと傍にいるみたいだろ?」 『ホント……ホントだね!……なら僕、早く大人になりたいな…』 「焦らなくてもいいよ。俺はちゃんと待ってるし」 『うん……啓吾さん。明日そっちに戻ったら、家に寄ってもいい?』 「もちろんいいに決まってるよ」 『親が見たらびっくりするからって、指輪を啓吾さんに預けてきたけど……やっぱりつけてないと寂しいんだ…』 「そっか。寂しいか…」 『うん、寂しい……寂しいよ………早く……会いたい……』 「……俺も、悠希に会いたいよ……」 今はまだ無理だけど…いつかはきっと、誰に恥じることなく、偽ることもなく、堂々と悠希と並んで生きたい。 そのためには俺も、悠希も、まだまだ成長が必要なんだと思う。 とりあえず、今はまだ成長途中の俺はベッドサイドに置かれた悠希の指輪を手にとると、ぎゅっと握った。悠希が俺のネクタイを、俺のかわりにしたみたいに。 右手に携帯電話、左手に指輪を握りながら、早く明日がこればいいのに……と、ベッドに転がって思う。 ───悠希、待ってるから……早く帰っておいで。 end

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