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第3話

思ってたより遅くなってしまった。 啓吾さんの家までの道を、速足で進む。走って行きたいほど早く会いたかったが、手に持った袋の中身が心配で走れない…… 走ってしまって、せっかくのゼリーを崩してしまうわけにはいかないから。 午前中にバイトをすませると、梨花ちゃんと待ち合わせて彼女の家を訪ねた……梨花ちゃんの言う『最強の先生』とは、彼女のお母さんだった。 事情を知ったお母さんは、啓吾さん用に3種類のコーヒーゼリーを教えてくれた。 コーヒーリキュールの入ったゼリーに、ラム酒の入ったゼリー。シンプルなゼリーにチョコレートリキュールを入れた生クリームをかけたもの…これなら、啓吾さんも食べてくれそう! 思っていたより簡単で、すぐにできたのはよかったんだけど……ゼリーを冷やしている間に3人でお茶をして……そこからが大変で…… 女の人って、いくつになっても女の子なんだなぁと実感した。二人のおしゃべりはどこまでも止まらず、気づけば僕もあれこれと聞き出され、啓吾さんとの出会いやら、付き合うきっかけやら、二人の時間の過ごし方やら…… ペラペラとしゃべってしまいました……啓吾さん、ごめんなさい。 そうやってなんとか完成したゼリーを綺麗にラッピングして、今こうして届けるところなのだ。 啓吾さんの家に着くと、バッグから合鍵を取り出す。 あの出来事のあと、仲直りするとすぐに啓吾さんが僕に返してくれた鍵。 それを当たり前のように使えることが、本当に幸せなんだ。 「おじゃましまーす!」 ドアを開けて中に入ると、玄関まで美味しそうな匂いがしている……あ、シチューだ! 急いでキッチンに向かうと、お玉をくるくる回している啓吾さんがこちらを振り返った。 「いらっしゃい。夕飯、もうすぐできるよ」 わーい!僕、シチュー大好き! 嬉しくってお鍋を覗きに行こうとして、気づいた。ダイニングテーブルに置かれた大きな紙袋。 何だか嫌な感じがして、とりあえず荷物とゼリーの入った紙袋をテーブルの下に置く…… 「───啓吾さん……これ、何?」 「ああ、それ、チョコレート」 啓吾さんは振り返ることもなく、さらりと言った。 何故だろう……胸がぐっと苦しくなった。 「バレンタインデーだからって、たくさんもらったんだよ。俺は食べないけど、悠希、甘いもの好きだろ?好きなだけ食べていいよ」 どれも義理チョコだよ──啓吾さんは、コンロの火を止めながら言った。冷蔵庫を開けて野菜を取り出す。 「……うん」 置かれていた紙袋から、チョコを取り出してみる。 1つ、2つ、3つ……取り出すたびに胸がちくちくする。 ……全然『義理チョコ』じゃないよ… 入っているのはどれもこれも、僕だって知っているような、有名ショコラティエや王室御用達ブランドのチョコばかり。 一粒何百円もするチョコが義理チョコ?そんなわけない… ちらっと啓吾さんを見るが、全くこちらを気にする様子もなくサラダを作ってる。 これが啓吾さんの『当たり前』なのだとしたら……どれだけの人に思われているんだろう、この人は… 聞こえないようにため息をついてさらに中を見ていくと、さっきまでとは明らかに違う箱が出てきた。 お店のシールやロゴがどこにもない……手作り? 気になって思わず開けてみる。中身はやっぱり手作りっぽいんだけど……でも、とっても上手に作られたおいしそうなトリュフチョコレートだった。 あれ?カード入ってる。 思わず中を見て………閉じた。 「───啓吾さん」 「ん?気に入ったの、あった?食事前だから食べるなら…」 「僕、今日は帰ります」 「え?何言って…」 「それから──このチョコ、僕は食べれません。ちゃんと啓吾さんが食べてあげてください」 じゃあ、と言ってバッグと……忘れずに紙袋をもって玄関に向かう。 僕の名前を呼ぶ慌てた声が聞こえたが、返事はしないし足も止めない。今、口を開いたら、泣いて啓吾さんにわめき散らすだろう……それだけは嫌だった。

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