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第4話

もう、どうでもよくなってきた……そんなに帰りたいっていうならそれでもいい……そのかわり、タクシー代だけは出させてもらおう…… そっと、掴んでいた悠希の腕を放してやった。 「……もういいや……」 悠希に会えたことですっかり忘れていた疲れが、今ごろになって押し寄せてきた。 結局どちらも引かないのなら、こんなことしていても堂々巡りだ。 ………なら、もういい。 「……もうやめよう、こんな言い合い。そんなに帰りたいなら、帰っていいよ」 二人の気持ちが重ならないのは仕方がない……それぞれがそれぞれに考えをもっている、別々の人間なのだから。 恋人だからといって、何もかも同じにはできない。そんなのは当たり前のことだ。 だからこそ、いつもだったらそれがなるべく近くなるように、考えを重ね合わせる努力をするのだが……今日はそんな余裕がこちらになかった。 ……タクシー、呼んでやらなきゃな。 椅子に置いていた鞄から財布と携帯電話を取りだし、悠希を外へうながそうとして、固まった。 顔をこちらに向けたまま、悠希はぽろぽろと涙を溢していた…… 「──おい、大丈……」 言葉が言い終わらぬうちに、悠希は俺の胸に飛び込んできて……痛いくらいにぎゅっとしがみついてきた。 「………悠希?」 声をかけるが、返事はない……ただひたすら、嗚咽だけが聞こえている。 ……しゃくりあげる声が静かな部屋に響く。 声を出すこともできないくらい、傷つけてしまったのか…… 「…………ごめん。八つ当たりだ。言い過ぎた……」 傷つくってわかってて、あえてそんな言葉を選んだ。 声を荒げて怒鳴りもした……全く大人げない。 分かってるんだ、本当は。 いつだって悠希が俺のことを考えてくれてることも。 だからこそ、ぐるぐる考えすぎて会いに来れなくなっていただろうことも。 それでも、会いに来てほしいと思うのは、俺のわがままなのに…… こちらもぎゅっと抱きしめ返すと、なんだかまた小さくなって……少し痩せたような気がした。 寂しいなら寂しいって言えばいいのに、それができないのが悠希なんだ。 どうせきっと、自分はちゃんと食べてないのに、俺の食事の心配なんかしたのだろう…… 本当は待っていたかったのに、平気なふりして帰ろうとしたんだろう…… 我慢してばっかりのこの愛しい恋人に、どうしたら俺の気持ち、届くのかな。 我慢しなくていいって、どうしたら分かってもらえるかな。 ……背中に手を回して優しく、できるだけ優しく撫でた。 「……僕…も……会いっ……た、かっ……た……」 ぎゅうぎゅうとしがみついたまま、泣きながら悠希が言う。 「……分かってるよ。もういいんだ」 しゃくりあげる悠希の背中を撫でてなだめようとするが、悠希は話すのをやめない。 「……疲れ……てるの…知って…のに……さみ…しく、て……」 「……うん…」 「……が…まん、できな……て…………ここな…ら……啓吾、さ…ん……感じ……る……」 「……うん……うん……」 「……ぼ、くも……あ…いたかっ……うぅー……」 泣いてる悠希を見るのは嫌なはずなのに、なぜか今日は嬉しく感じてしまう…… 泣いてる声が「好きだ」「好きだ」と言ってるような気がして……歪んでるかもしれないけど、嬉しいんだからどうしようもない。 「あのさ、悠希。俺は今日、悠希が来てくれたって分かったとき、すごく嬉しかったよ。胸が温かくなって、疲れなんかどこかにいっちゃった」 すごく満たされた気持ちになったのは、本当なんだ。信じてほしい。 「疲れてるから会いたいんだよ、俺は。悠希に会うと元気をさ、補給できるんだ……本当だよ」 「…………」 ……返事はないけど、焦らないで何度でも言うよ。 これからずっと一緒にいたいから。 どんなときだって一緒にいたいから。 「悠希が作ってくれたご飯、食べたいんだけど……横にいてくれたら嬉しいなぁ。――だめ?」 顔をぎゅっと押し付けたまま、首を横に振った。 ……とりあえず、すぐ帰るのはやめにしたみたいだ。 『よくできました』のかわりに頭を撫でてやると、はりつめていた空気が少し緩んだ気がした……

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