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夕暮れる 第1話
「今度の週末、どこか出かけようか」
ソファに座ってコーヒーを飲みながら、啓吾さんが言った。
「ようやく仕事も落ち着いたし、前期の講義が始まる前にどこか行こうよ」
毎日終電に乗って帰るくらい残業続きだった三月もようやく終わりが見え、啓吾さんの仕事のピークも過ぎたよう。最近は終電より早く帰ってこられるので、食後のおしゃべりだって、こうしてのんびりできるようになっていた。
「お出かけ?」
「そう、『お出かけ』」
「公園を散歩……とか?」
「……………」
「……………」
「……………」
「…………あれ?」
そういうことじゃないの?
これまでも一緒にお散歩してるよね?
「いや、それも楽しいし好きだからいいけど……せっかくだから、特別なところに出かけようよ。うーん、つまりね。久しぶりにデートしようってことだよ」
デート?
啓吾さんとデート?
最近は一緒に買い物や散歩に行くようにはなっていたけれど、半年ほど前まで振り返ると、二人一緒のときはいつも家の中で過ごしていた。
僕と一緒に外を歩くのは恥ずかしいのかな、と思っていたんだけれど……実は、僕を誰か他の人にとられるのではないかと心配していたというのが、その理由で!
そんなこと絶対ないのにね。啓吾さんのおかしな心配症のせいで、デートなんて、とってもとっても久しぶりなのだ。
「……デート……」
啓吾さんとデート。いったいどこへ行ったらいいのだろう……大人な啓吾さんの喜ぶところがいいよね。
それに、忙しさは越えたとはいえ週明けには仕事もあるんだし、あんまり疲れさせてしまっても……
だとしたら……
「………えーと……映画、とか?……あ、美術館、とか?」
そんなところならいいのかな……
すると、啓吾さんは困った顔で、僕に言ったんだ。
「………デートするのは、やめようか」
「………え?」
今、「やめる」って、言ったの?
啓吾さんから提案してくれたのに?どうして?
すると啓吾さんは困った顔のまま、僕の頬をさらりと撫でると続けて言った。
「別にいつもと同じだっていいんだよ。無理するくらいなら、いつもどおりに過ごそうか。俺は悠希がそばで笑ってくれるなら、どこだって、何だっていいんだ」
そう言って、優しく微笑んでくれたけど……
「無理……してないです」
───やだ。
せっかく、久しぶりにデートができるのに……やめるなんて、言わないで。
「それは嘘でしょ。恋人のことだから、ちゃんとわかるよ」
「でも本当に、無理してなんか……!」
「だって悠希、映画見るの、そんなに好きじゃないでしょ?」
「え?」
………嘘だ。なんでそんなこと、知ってるの?
だって今までそんな話、したことなかったのに……
驚いた僕を見て、さっきよりもさらに困った顔になりながら、啓吾さんは言った。
「一緒にさ、何度もここで映画を見たけれど、大抵途中でうとうと居眠りしてたよ。俺が気づいてたの、知らなかった?」
───全然、知らなかった。
「………ごめんなさい」
きっと、無理して付き合っていったって思われてるんだろうな。
確かに映画を見るのはそんなに好きじゃないんだけど、でもその間は啓吾さんの横に座っていられるから。ぴったりとくっついても、自然な感じでいられるから。だから決していやじゃなかったんだけど……
誤解されたかもしれないと不安で……思わず下を向いていると、大好きな大きな手がわしゃわしゃと僕の髪をかきまぜた。
「ねえ、怒ってると思ってるでしょ」
「……………」
「全然怒ってなんかないよ。むしろさ……俺にもたれてすやすや眠ってる顔、すっごいかわいかったから、俺も映画見ないで寝顔見てたし」
ん?
ん?……え?
え───!?
「ねっ、ねがっ!?」
「そうそう、寝顔。かわいいからずっと見てても飽きないよ。あとさ。俺、絵画とか彫刻とか?あんまり興味ないからね。美術館とか行ってもよく分かんないよ」
そ、そうなの?そんなもの?
啓吾さんって、芸術とか、とっても詳しそうに見えるんだけど!
「だから無理して出かけなくたっていいんだよ。一緒に家でごろごろしようよ」
それから啓吾さんはいつもの優しい笑顔で───「ひなたぼっこだって散歩だって二人でいられたら特別なんだ」と言ってくれた。
それは僕も同じ。同じ気持ちなんだけど……
でも……僕だってやっぱり……
「…………園……たい」
「ん?」
「………遊園地…行きたい……です」
勇気を出して言ってみた……
だって、せっかくデートできるんだもの。
遊園地だなんて、ちょっと子どもっぽいかな……って思うけど、何となく啓吾さんはそんな僕のことも、受け入れてくれそうな気がしたんだ。
恥ずかしくて思わず下を向いてしまったんだけど……恐る恐る顔を上げてみる。すると……
「───よし、決まり!一緒に遊園地に行こう!」
啓吾さんは嬉しそうに、にこにこしながら言った。
その表情に嘘や気づかいのようなものは感じられなくて……それもまた嬉しくて、僕は思わず啓吾さんの胸にとび込んだのだった。
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