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第2話

……え? 思ってなかった展開に驚いている間に、啓吾さんはキッチンの椅子の上に置きっぱなしだった僕のバッグを手にとると、腕を掴んで玄関へと引っ張りながら歩く。 「今ならまだ、すれ違わずに帰れると思う。あいつが帰ったら連絡するから、とりあえず一旦家に」 え?え? 僕は何が起こっているのかよく分からなくって。啓吾さんが差し出したバッグを両手で受け取ると、そのまま靴を履こうとしたそのとき。ピンポーンとインターフォンが鳴った。 「「─────!!」」 二人、顔を見合わせた。 愛里さん、言ってたよりも到着が早い!! 啓吾さんはあわてて玄関に置かれていた僕の靴を手にとると、もう一度僕の腕を掴んで廊下を引き返す。寝室に向かう途中にある、浴室の隣の部屋のドアを開けて、中に僕を押し込んだ。 「ごめん!何とか言いくるめてなるべく早く追い出すから!しばらくここに隠れてて!」 「はい!」 そのままの勢いで、手にしていた靴を僕に渡すと、啓吾さんは躊躇うことなくドアを急いで閉める。廊下を玄関に向かって急ぐ足音がドア越しに聞こえた。 「……………」 静かに息を殺して、ドアの外の音を拾う。 玄関のドアの開く音。 僕よりずっと高めの、女性の声。 廊下を歩く二人分のスリッパの音と、キッチンのドアの開け閉めの音。 そして沈黙。 「………気づかれなかった?」 一気に音がしなくなって、ほっとため息をつき……張りつめていた気持ちが緩んだら、ついでにぽろりと涙がこぼれた。 あれ? あれれ? あわてて袖口で瞼をこする。今、泣き声を聞かれたら、ここに僕がいることに気づかれてしまう。そしてそれはきっと、啓吾さんを困らせることになる。 感情をコントロールするために、ゆっくりとゆっくりと呼吸を整える。そうしているうちにいつしか気持ちも落ち着いて、今の状況を冷静に考えられるようになってきた。 あー、うん。 大丈夫。 大丈夫。 で、改めて考えてみるけれど……どうして僕、隠れなくちゃいけなかったんだろう。 愛里さんは啓吾さんの恋人が男だって知っているはずなのに、どうして紹介してもらえなかったのかな。 紹介したく、なかったのかな。 啓吾さんは誰が見たって満点をつけるほどのパーフェクトに素敵な人で。どう考えても僕にはもったいない人なんだ。 きっと、これまで啓吾さんが付き合ってきた相手はみんな、それに釣り合うような人たちだったんだろう。 そう考えれば、僕は、彼に不釣り合いなんだと思う。 いろいろな出来事があって……そのおかげで啓吾さんも僕のことを大事に思ってくれてるんだって、分かってはいるつもりだったけど……でも、こんなことがあれば、やっぱり僕のことなんか見られたくなかったのかもしれないなんて思ってしまう。 「………分かってる……うぬぼれちゃ、ダメってこと……」 身の程を知ることは生きていく上で重要なスキルだ。 啓吾さんが与えてくれる幸せな空間と、心地よい関係に、いつの間にか僕は贅沢になっていたのかもしれない。ちょっと気を引き締めなくっちゃ、だ。 そんなことを確認して、また少し気持ちが落ち着いてきたところで、ふと気づいた。 「……………あれ…」 そういえばこの部屋、入るのは初めてかもしれない。 いつもは物置にでもしているのか、啓吾さんはこの部屋のドアを開けることはしない。だから僕も、あえて中を覗くことはなくて。 一体何が置かれているんだろう? ドアに向かって立っていた身体をそろりと反転させて、部屋の中を見る。 「………え…?」 振り返ってみた部屋の中には、驚くほど何にもなかった。

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