104 / 105

第6話

啓吾さんは並んで座ったままの僕の手をそっと握ると、静かに話し始めた。 「うちは4人家族でね。公務員の父と専業主婦の母、6つ下の弟と一緒に暮らしてたんだ」 「6つ下の弟って、うちと一緒だ。僕は間に妹もいるけど」 僕は3人兄弟で、妹は今年高2に、弟は中3になった。意外なところで共通点が見つかったみたい。 「ホントだね。このマンションはね、父が買ったんだよ。俺が高1のときだから、もう12、3年は住んでることになるのかな?今、寝室として使ってる部屋は俺と弟と半分ずつ使ってて、今日悠希が入った部屋は両親の寝室だった」 「弟さんと一緒の部屋だったんだね」 「そう。高校を卒業したら県外の大学に行こうと思ってたからね。3年くらいだったら、二人同じ部屋でもいいだろうって。アニメソングを大声で歌われるのにはまいったけどね」 そう言うと啓吾さんは、ふふっと笑った。弟さんの歌を思い出しているのかもしれない。 仲がよさそうで、きっとかわいくてしかたなかったんだろうと思って、何だか微笑ましい。 「あれはね、俺が高2の夏休みのことだった。土曜日で、父は仕事が休みで、家族みんなで出かけようかって話になったんだ」 「……………」 「小学生だった弟は大喜びだったけれど、俺はその日も部活があって。他校との練習試合だったから、休むわけにはいかなかったんだ」 「……バスケ部、だったんだよね」 「そう。両親は試合の応援に行くって言ってくれたけど、俺はまだ試合に出れるかどうか分からない微妙なところだったし、弟はバスケなんか見るより遊園地や水族館みたいなところに行きたがってたしね。だから、俺は部活に参加して、3人は父親の車で出かけたんだ」 「……………」 「部活が始まって1時間ってところだったかな。青い顔の監督に呼び出されたのは。連絡が入ったんだ……3人の乗った車が事故に遭ったって」 「えっ……」 啓吾さんはまっすぐ前を向いたまま、握っていた手に力をこめた。 「応援に来ていた他の保護者の車で病院まで送ってもらっている間も、自分に何が起こっているのかよく分からなくって、全然現実感がなかった。今思うと、乗せてくれた友人の母親の方がずっと動揺してたと思う。ぼんやり車窓を眺めているうちに病院に着いて…着いたときにはもう、3人とも駄目だった」 「そんな…」 「朝は一緒に食事して、何でもないことを話して、弟は俺のことを玄関で見送ってもくれたのに…次に会ったときにはもう息をしていないなんてホント、信じられなくって…涙も出なかったな」 「なんで、そんなことに…」 「交通事故だよ。3人で出かけるって言ってただろ?遊園地か、動物園か…どこに出かけるつもりだったのかな…結局どこに行こうとしていたのかも、今となっては分からない。家を出て15分のところで事故に遭ったから」 「……………」 「見通しの良い片側一車線の道路で、事故なんて起こりそうもないところだったんだけどね。対向車がもの凄いスピードで車線を越えて突っ込んできたんだ」 「えっ!?」 「相手は免許取りたての大学生でね。夏休みに帰省してきて、朝まで友人としこたま飲んでたらしい。そのまま親の車で二時間くらい仮眠をとって…それで酔いは醒めたと判断したそいつは、車を運転してしまった。飲酒運転で居眠り運転。アクセルを踏んだまま意識を失って、ハンドルの操作を誤った。それが、俺の家族の命を奪った原因だよ」 そこまで一気に話すと、啓吾さんはあきれたように苦笑した。 話を聞く限り、間違いなく相手の過失で…でも、その過失のせいで高校生だった啓吾さんは一度に家族全員を失ったんだ… 「それから連絡を聞いた叔父さんが病院に来てくれて、一人残された俺のかわりに葬儀の手配をしてくれて……通夜の間も葬式の間も、何だかふわふわした膜に一人だけ包まれてるような気分だった。いろんな人が声をかけてくれて励ましてくれたけど、何にも聞こえてなかったんだと思う。一人だけ別世界にいるみたいで…」 「……………」 「葬儀が終わって、火葬場に移動して、それでもぴんとこなくって…三つの棺が炉の中に入れられたとき、愛里がそっと俺の手を握ってくれて…で、言ってくれたんだ。『啓ちゃんも、泣いていいんだよ』って」 「愛里さんが…」 「まだ小学生の女の子に手を握ってもらって、慰めてもらって…それでようやく分かったんだ。俺は一人ぼっちになってしまったってことも。これが夢じゃなくて現実の出来事だってことも。こんなときには泣いてもいいんだってことも」 「……………」 「何だかぷつんと糸が切れて、そこからわんわんガキみたいに泣いて…だから今でも愛里には頭が上がらない」 「……すごい存在なんだね。愛里さんって」 「まあ、純粋に『子どもだった』ってことなんだろうけどね。でもあの時泣いていなかったら、俺は駄目になっていたかもしれないって、そう思うから…」 まだちゃんと会ったことのない愛里さんだけど、啓吾さんにとってかけがえのない人なんだってことがよく分かった。つらいときに支えてくれた、大切な存在の一人なんだなって、そう思った。 「初七日がすんでやっと一息ついたところで、叔父さんは『うちで一緒に住まないか』って誘ってくれた。家族を一度に失った未成年の甥っ子を一人にするわけにはいかないって思ったんだろうね」 「……………」 「ありがたい誘いだとは思ったけれど…あのときの俺はそれを断った」 「え?どうして?」 「叔父さん家族と暮らすことは確かにいい選択だと思ったし、温かいものに包まれて暮らしたい気持ちも少しはあったよ。でも…それはつまり、あのマンションを出て暮らすってことでさ。一度離れてしまえば、後で戻ってきたとしても、あの部屋で家族の気配を感じることはできなくなる…子どもだった俺は、子どもなりに考えて、家族の思い出と一緒に過ごすことを選んだんだ」 「……だから啓吾さんは、あんな広い部屋に一人で住んでいるんだね」 「そう。県外の大学に行くのもやめたから、もうずっと、引っ越しもしていないよ。家族の思い出にひたりながらずっと、荷物の…形見の整理をしながら一緒に心の整理もしてきたんだ。──悠希は、あの部屋にあるクローゼットは覗いてみた?」 ……クローゼット? そんなものが備え付けられていることにも気づかなかった。仏壇を見てからは、頭の中が混乱してしまっていたから。 だから僕は正直に、ううん、と首を振った。 「そっか。あの部屋のクローゼットには、3人の形見を段ボール箱ひとつにまとめてあるんだ」 「ひとつ?」 「うん。少しずつ少しずつ…心が安定するにつれて、部屋の中にあふれていた家族の荷物を片付けられるようになってきて…形見分けしたり、古くなったら処分したり…それで、今はもうダンボール箱ひとつ分にまで減らせて」 「……………」 「おかげでもう寂しくなんかないんだ。うん。時間が解決してくれたってのもあるし…それに…」 「それに?」 「今はね、悠希が一緒にいてくれるから。ドキドキしたり、わくわくしたり、ハラハラしたり…どこかに置いてきてしまっていた大事な気持ちを、悠希がもう一度俺にくれたから…もう寂しくなんかないんだよ」 「………啓吾さん……」 「悠希がいつも俺を、真っ黒な何にもない世界から掬い上げてくれてるんだ……ありがとう」 そう言って笑ってくれた啓吾さんの顔がとっても優しくて、すてきな笑顔で。嘘なんかどこにもないように見えて。 我慢できなかった僕の瞳から、一筋の涙が溢れ出してきた。

ともだちにシェアしよう!