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第3話-2
インターホンのチャイムの音が鳴り響き、智はぎくりと体をこわばらせた。もう一度チャイムがなる。嫌がる体を叱咤して階段を降りて行った。
そっとドアを開けると、善也が笑顔で立っていた。そして出てきたのが智だと気づいて無表情に戻る。ああ、やっぱり。この表情は作られていたのだ。
「今日はおばさんいないの?」
「同窓会があるって……」
「ふうん」
いつまでもドアを掴んで立っている智をじろりと見ると、善也が少し不機嫌そうに言った。
「早く入れてよ」
「あ、ごめん」
智は慌てて体をどかす。善也はさっさと中に入っていった。部屋に戻ると、善也はベッドに腰掛けている。智は床に座り、おずおずと善也を見上げた。
「智くんさあ」
その言葉にびくりと体を震わせた。今日自分がとった行動がおかしいとは思っていない。でも、周りに不審に思われているのならば、それは普通に出来ていなかったということだ。智は俯いて膝の上でこぶしを握り締めた。
細い息が吐き出され、善也が少し前かがみになる。髪の毛をわしづかまれて智は痛みに目を細めた。
「もう一回お仕置きされたい?」
途端に胃の中の物が逆流してきて、口を押さえ髪の毛が引きちぎれるのにも構わずトイレに走っていった。すべて吐き出して鼻をすする。もう嫌だもう嫌だもう嫌だ。あんなの、もう二度とされたくない。吐き気が収まらず、智は何度も胃液を吐きだした。
よろよろと戻ってくると、善也はベッドの上でスマホをいじっていた。智が部屋に入ってきたのを見て、「もう終わった?」と聞いてくる。首をぎしぎしとさせながら頷くと、ズボンの後ろのポケットにスマホを仕舞った。あれが。あれに。あれさえ手に入れば。もう一度吐き気がこみあげてきて、無理やりそれを飲み下した。
再び智が床の上に座ると、善也はいつものように足で踏みつけることもなく、顔を近づけてきた。
「ご褒美が欲しくて頑張りすぎちゃったんだよね」
そっと囁かれて、智は顔が上気するのを感じた。きつく目を閉じて顔を俯ける。ふわりと善也の髪の匂いが鼻先をかすめ、なぜかどくりと体がうずいた。期待に震える指を伸ばし、善也の髪に触れようとする。善也はその手を取って唇に押し当てた。智の体温が上がる。善也はちらりと智をみると、ふっと笑った。
「智くんはいやらしいね。何期待してるの?」
カッとなって思わず手を振り払う。怒りというよりは羞恥で体が震えた。俯いたまま目をきつく閉じる。善也は何も言わず体を起こしてベッドに手をついた。しばらく沈黙が落ち、エアコンが稼働する音だけが部屋を満たす。智は我慢できなくなってちらりと善也を見上げると、冷めた目で善也に見下ろされていて、顔は暑いのに冷汗が出た。
「乱暴なのはよくないね」
やっと声を発した善也のその言葉に、智はさらに青ざめる。
「ご、ごめん」
善也は口を釣り上げてふふっと笑うと、智の頭を撫でた。
「智くん、自分でしたことあるの?」
何のことかわからず、口を開けて善也を見上げる。善也は智のその表情に涙をにじませるほど、声を上げて笑った。こんなに笑っている善也を初めて見た。善也は腹を抱えながら智の頭をもう一度撫でる。その手が耳にかかると智はびくりと体を飛び上がらせた。
「やり方知ってる?」
その言葉で何を言っているのかに思い至り、顔が赤く変色する。青ざめたり赤くなったりする自分の顔色を智は把握できなくなってきた。
目を閉じてぎゅっと拳を握り締めると頭を横に振る。自分には縁のない事だろうと、下手に快感だけを知ってしまわないように、何もかもを遮断してきた。だから何も知らない。とはいえ、興味があった時期がないとは言えない。おぼろげながらどういうことをするのかだけは知っていた。
「ふうん。本当に何も知らないんだね」
なぜか自分が無知なことを恥ずかしく感じた。知識だけたくさん持っていてもきっと恥ずかしいだろう。ほどほどという言葉が智の頭にはない。だから行動も考えれば考えるほどおかしくなってしまう。しかし彼はそのことには気づいていなかった。
「おばさん遅いんだよね?」
「うん……」
「じゃあ準備しようか。教えてあげるよ」
準備? 何の?
また呆けている智を見下ろして、善也は低い声で言った。
「したくないなら僕帰るから」
智は思わず、立ち上がった善也の足にしがみついた。ぶんぶんと頭を振る。なんだかよくわからないが、善也を怒らせてしまった。目の端に涙をためて縋り付く智を見下ろして、善也は満足そうに口を歪ませた。
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